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満たされることのない欠乏感にしがみつかず、自分のユニークな資質を教えてくれる人の言葉を素直に受け入れる一年に

あけましておめでとうございます。新年も8日たって、ようやく始動しはじめた相変わらずスローな私です。今年もぼちぼちと更新を続けてまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします!

本来の自分のペースより早く走り過ぎた1年間

昨年は私にとって超高密度な一年でした。

まず春。人生初のクラウドファンディングで沢山の方に応援いただき、これまで自信なく細々やってきたことに背中を押していただき、


その資金で新作のアート仮装「KESHIN」を制作してお披露目して、みなさんに楽しんでいただき、


それによって「心を解放するアート仮装「KESHIN」」という活動の確かな感触を掴み、素敵な舞台でワークショップをさせていただき、


記事にもしていただきました。


そうして何よりも衝撃的だったのが、顔面神経麻痺になったこと。


このくらいの忙しさなんて普通レベルだよ、という方は多いと思うのですが、心身のセンサーが敏感すぎる私には、昨年の日々は少し刺激が多すぎたようです。

でも顔面神経麻痺も、治った今だから言えるということはありますが、人生で本当に大切なものに気がつくきっかけを与えてくれた素晴らしい貴重な体験となりました。


昨年末に旅行したサンフランシスコの滞在では、麻痺のときから少しづつ読み進めていた本『死ぬ瞬間の5つの後悔』をおともにしたのですが、もういちいち全てのエピソードが身に染みて、機内で泣きホテルで泣き、今後の生き方について改めて決意を固めることが出来ました。(いちいち考え込んでいたので、いまだ読み終わっておりません…)


ついつい長年の習慣に流されて世間体を気にした行動をしてしまう自分ですが、この本に照らし合わせて「今死んだら後悔することをしていないか」と常に問うていきたいと思います。

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それぞれが思い思いにのびのびと楽しんでいる最高に素敵な公園、サンフランシスコのドロレスパークにて。
ちなみにタイトル画像は、夕焼けを何時間も追っかけて飛んでいた帰途の機上から撮ったもの。左上にある小さな白い点は三日月、その右下にあるもっと小さな点は金星です。


褒めてくれない人の評価こそを求めてしまういびつさ

ただそうはいっても、「あの人に認められたい褒められたい」「こんなところに取り上げられたい」「あんな賞が欲しい」、そんな外部からの承認が自分の行動の基準になりがちな私。

これは自分の成長のために必要なことではありますし、人間の根源的欲求といってしまえばそれまでですが、それでも私のレベルはしばしば度を越してしまいます。

じっくり自分を省みる時間的心的余裕がなくなるとすぐに、誰かに興味を持ってもらったり褒めてもらうために(そもそも誰も見ていないかもしれないのに…!)トンチンカンな努力をしたり、身を削って大暴走。


でも、麻痺になったとき、動かない顔を抱えて「健康とトレードできるほど価値のあるものはあるのか?」と繰り返し考えてみたら、何一つ思いつきませんでした

お金も地位もプライドも、もちろんとても大事で魅力的なものではあるけれど、それでも健康には変えられない。

健康を失ってから、「人に認めてもらうために体を犠牲にするんじゃなかった」と後悔するようなことはもう二度としない、と固く決心しました。


そのためにも、次のことを事実として素直に受け入れようと思います。


認めてくれない人は、認めてくれない。
興味をもってくれない人は、興味をもってくれない。


それは相性の問題でもあるかもしれないから、相手を変えようとしたり、逆に自分を相手に合わせるために矯正してもあまり意味がないということ。


そして同じ外部からの承認にしても、これまでは軽視しがちだった(本当に申し訳ありません)褒めてくれたり励してくれたりしてくれた人の言葉を、今後はありがたくしっかり受け入れていこうと思います。


その人たちは、決して私を甘やかしているのではなく、自分で気がつけていない私のユニークな資質を教えてくれている大変貴重な存在でした。

今年はそんな方たちと一緒に、自分の情熱や好奇心のままに何かワクワクすることを企てて、「ちゃんとしなきゃ」という心の検閲官を退治して、遊び心いっぱいで生きていきたい、そう思います。

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機上で雲海に沈もうとしている太陽を撮ったら瞳の形が。なんだかんだ最後は見守ってもらっているんだなあと、不思議な安堵を覚えました。しかも、この光の輪はよく見ると円形の虹でした。


といっても、こんなことは天真爛漫に生きている方には、当然のことかもしれません。しかし私にはとても難しいことです。

なぜそんなふうに考えられなかったのかを突き詰めてみると、その根底にとても不健全な思考習慣が潜んでいることに気がつきました。


私の良さを挙げてくれる人の意見は「甘い」と軽んじて、厳しいことを言ってくる人の意見だけが大切なものだとして、「改善してなんとか認めてもらえるようになろう」と思ってしまう。そして苦しむ。

ふと、これまでの人生で別のことでも似たようなことをしてきたことに思い当たりました。


自分のことを嫌いだったから、報われない恋愛を繰り返していた

10代から20代のかなり長い間、私は「自分のことを好きになってくれた人のことは受け入れられないが、自分にそっけない人ばかりを好きになる」という、報われない恋愛に陥っていました。

でもそれは全て「こんな価値のない自分を好きなんて気持ち悪い」と思っていたからにすぎません。

その病的思考に気がついたときはさすがにショックでしたが、「自分に価値があるように形だけでも装ってみよう」とまず行動を変えてみたら、辛い恋愛に振り回されることもなくなり、急にうまくいくようになりました。

人の好みは千差万別。例え私のことを好きになってくれる人は少なかったとしても、蓼食う虫も好き好きで、きっとそんな奇特な人がどこかにいる。

合う人は合うし、合わない人は合わない。
うまくいく時はうまくいくし、うまくいかない時はいかない。

力を抜いて考えたら、当たり前のことが見えてきました。ちなみに、そのときに出会ったのがダンナでした。

こんな素敵な記事にもしていただきました


満たされないことに快感を感じてしまう異常性

私は以前それを恋愛では実践できていたのに、仕事面では「成功」という実態のないゴールイメージに縛られて、「振り向いてくれないものにすがりつく」ということをしていました。

「『大御所幻想』から抜け出る重要性」について下記で以前に書いたのですが、「この人に認められなければ私に価値はない」というこの歪んだ思考は、幼少期の愛情の欠乏感が大きな原因なのは明らかです。


この世での存在を肯定してくれる愛情が満たされない状態に長年置かれていたから、それがたとえ自分にとってどんなに苦しくても自然な状態に思えて、無意識にいつもそこへ戻ってしまう。

こんな思考回路が心に刻み込まれてしまっているから、自分を認めてくれる人では物足りなくて、厳しいだけで自分を認めてくれない人にばかり追いすがって、振り向いてもらえるように報われない努力を繰り返してしまう。

でもこれは自分を削り続けるだけの、完全に病んだ思考です。共依存やDVなどと同じ病巣生まれの猛毒思考。

でも、人生は限りのあるもの。そして健康も当たり前じゃない。

死ぬ瞬間の〜』を読みながら一年を振り返っていて、つくづくそこに時間とエネルギーを使うことの不毛さを感じました。

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最高にフリーダムを感じたサンフランシスコのヘイト・アシュベリー地区のウィンドウディスプレイ。人の目なんか気にしない、したい格好をするの!というエネルギーが炸裂してました。


自分の価値は自分で決めていい。何かを成し遂げていなくたって、私はこのままで素敵で素晴らしい。

これまでは、こんな言葉を聞いても「そうはいっても自分にはできないなー」とぼんやり感じていたのですが、人生のリミットを知ってからは身をもってわかるようになりました。

誰も認めてくれなくなって、自分が認めてあげればいい。

むしろ傷ついてズタボロになった自分を自身で守ってあげなかったら、誰が守ってあげるの?

これは以前催眠療法のようなものを受けたときに、頭に浮かんではっとした言葉でした。

私と同じような思考回路を持っていらっしゃったら、どうか一人ぼっちでどこかで泣いている小さな○○ちゃんを、記憶と心の中に今すぐ探しにいってください。そうして力一杯抱きしめて「これからは守ってあげるから大丈夫だよ」と伝えてあげてください。彼らはずっと暗闇であなたの助けを待っています…!


自分らしいペースで歩み、積極的に甘えていこう!

昨年の一年は、例えるなら、ハンググライダーにエンジンを取り付けて飛んだあげく、機体が風圧に耐えきれずに木っ端微塵になったようなものでした。

色んな方に助けていただいたおかげで、今まで見られなかった新しくて素晴らしい景色を見られたことに、全く後悔はないどころか感謝しかありません。確実に人生のステージを何段階も引っ張り上げていただきました。

でも、情けないことに自分にふさわしいスピードと飛行量ではなかったため、色々な方に迷惑をかけることにもなってしまいました。

人の何倍もスローなテンポの私。この一年は、それを自覚して「頑張ったらもっとできるでしょ」と呆れられたとしても、自分らしいペースで歩もうと思います。

なにせ、ちょっと無理をすると、麻痺した側の目が引き攣れてピクピクと痙攣し始める状態。残念ながら麻痺は現時点で完治していないのかもしれませんが、「これ以上やると体が壊れるよ」と警告してくれるこの口うるさい番人の忠告を、今後はきちんと受け入れていこうようと思います。

そして、全てがますます高速になる時代に逆行するような自分を愛でると同時に、色んな人の生き方をまるごと肯定できる人間になりたい。

人を変えたくない、無理な形に矯めたくない。

自分も周りも、それぞれが自然な姿で楽しく笑いあいたい。


羽が折れて穴に落ちてしまって、私に助けを求めてくれる人がいたならば、喜んで地面に引っ張りあげるお手伝いをさせていただきたいけれど、その人が無事に地面に出てこられたら、どこへ飛んでいくのも全くの自由。


時々どなたかを引っ張りあげる以外は、私も気ままに歩き回ってのんびりと移り変わる景色を楽しみたいと思います。


そして、自分のありのままの姿が「甘え」として取り締まられる風潮に苦しんでいるサバイバーな仲間たちとお互いの健闘を讃えながら、「むしろ積極的に自分を甘やかしていこうよ!」と一緒に踊りたい

今年は全国でワークショップも予定していますので、そこで仲間のみなさんとお会いできたら嬉しく思います。


こんな私ですが、この一年もどうぞよろしくお願いいたします!


そしていつも背中を押してくださったり、励ましてくださるみなさま、本当にありがとうございます。敏感体質な人間のため、こんな決意を書きながらもしょっちゅう凹んでいたりするのですが、その度に勇気付けられています。

また、いつも「こんな自分語り、誰か読んでくれるんだろうか」と思いながらnoteを書いているので、読んでくださる奇特な方がいらっしゃったら、何かの折に「読みました」「自分だけじゃないと安心しました」などと温かい言葉をかけていただけたら、ポンコツで臆病な私がめっちゃ喜びます笑


一年前に書いたnoteを見ていたら、ほとんど同じような決意が書いてあって正直かなり情けなくなったのですが、それでもきっと少しは進化しているはず。今年もますます「心の解放運動」を草の根的に進めてまいります。


この一年が、皆様にとっても笑顔いっぱいの素敵な日々になりますように!

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サンフランシスコの対岸の街、サウサリートで出会った、現役で活躍中のクラシックカーの観光タクシー。これぞカルフォルニア!という佇まいでした。


知人の雨宮さんがオープンされた素敵なコンセプトの「逃げBar」。クラファンでここの1日イベント開催権を購入しましたので、まだ全然企画しておりませんが、開催の際はぜひぜひ遊びにいらしてくださいね。
力を抜いた生き方の方向の正しさを裏付けてくれるのが、大好きな恩師の存在です。思い返せば、昨今流行りの「ダイバーシティ」を昔から自然に体現していた人でした。

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