ソース(源)のサバティカル休暇!?
長い休みを取りたい・・・
井尾:
けんしゅうさんがこの間、数年前に一度大きなお休みを取った、という投稿をされていましたよね。あれを見て、これ私にいま必要なやつだ!ってすごく思ったんです。
けんしゅうさん:
そういう人いますね。自分も休みを取ったり、いまくすぶっている人の刺激になっているみたいです。忙しすぎる世界に違和感を感じている人が、ちょっといよいよ動き出そうか、みたいな。
井尾:
休むって決めたときってどんな感じだったんですか。
けんしゅうさん:
休むことにした2,3年前ぐらいから徐々に自分のバランスというか歯車が崩れてきた感覚があったんです。きっかけは主に2つで、1つは自分の組織論ですね。それまでまち作りや組織変革のファシリテーターをやってきて、年間100件ぐらいワークショップをやっていたんです。それ自身はすごくやりがいもあったし、ファシリテーションという集合知で世界はよくなる、という確信もあって楽しかったんですけれど、実際にすごくいい場がたくさん生まれると同時に、ヒエラルキーの難しさのようなものにも向き合うことがあって。「人類は組織の作り方を間違えたんじゃないか?」という問いが降ってきて、自分は本当の喜びに導けていないんじゃないかと違和感を感じるようになっていたんです。
もうひとつは自分の組織の中のことですね。当時、設立10年目ぐらいでしたが、ファシリテーションがまだ稼ぎにはつながらず、忙しいけれど回らない、という状況の中で、ある日事務所に戻ったら、みんな雑談してるんですよ。いや、雑談は別にぜんぜんいいんだけど、2時間超えてるぞ、と笑。そこにイラっとして、でも、よくよく考えると雑談ってすごく幸せな時間じゃないですか。僕は社会を良くする以前に出会った人たちを幸せにしたいと思って動き始めたはずなのに、一番身近な人たちの幸せな雑談の時間を喜べない、ということに違和感を感じたんです。
それでもう、このままでは走れないと思って、最初は3日間とか10日間とか休みを取ろうと思ったんですけど、そうするとだいたいカウントダウンが始まっちゃうんですよね。「残りあと何日」とか。そういう休み方はしたくないと思って、「1年休もうか」とふっと思ったんですが、すぐに「いやいやありえない」と蓋をして、でも蓋をしている間にもいろんな情報がやってきていたんです。
一つは、大学の先生は何年かに一回「サバティカル休暇」というのをとるんですよね。一年間何もしなくていい時間を取る制度がある、ということを知ったりとか、本田宗一郎が38歳のときに、「俺は何もせんにんなる」って言って休み1年間取って、本当に将棋ばっかり指してて、奥さんに「本当にあんた何もせんにんね」みたいな感じで突っ込まれてた話を聞いたりとか、あとは、ドイツのベルリンで、ネオ托鉢と言って、見返りのない寄付を集めて自分の生き方自体のアートを応援してくれる人からお金集めている子がいて。
井尾:
へええ!めちゃくちゃ素敵ですね
けんしゅうさん:
そんな生き方にも影響を受けながら、「一年間休む」という選択がそんなにありえないことでもないなと思えるようになって、仲間やお客さんに相談したんです。そしたら、ほぼみんな大歓迎で、「素晴らしい機会だからぜひ行っておいで」みたいに言ってもらえて、休むことを決断しました。そこから調整に1年半かけて、1年間休みました。
貯金はゼロになったのですが、充電がメインだったのでいいかな、と思っていたところ、Kampa!の??さんが「これまで社会貢献してきたけんしゅうがただ休むんじゃなくて世界のいろんなものを見ても回ること自体が、その次の未来への貢献につながる。お金が足枷になって探求できないのは社会的損失だ」と言ってくれて、応援のカンパを立ち上げてくれたんです。それでお金が集まって少し豊かな旅路になって・・・その中で、ティール組織とも出会いました。隙間を作ると本当に何かがやってくるんだっていうことをすごく感じましたね。
さわこ:
すごいですね。けんしゅうさんっていう世界への贈り物がお休みして余白ができたことが、みんなにとってのギフトになるっていう感覚ですよね。??さんの言った通りになりましたね。
「みんなの会社化」の途上で起きたこと
井尾:
わたしは3年ぐらい「みんなの会社化」に取り組んできています。
You be youは自分の原体験から創業してるので、やっぱり自分の作品のようにサービスをつくってしまう傾向があって、例えばうちは不動産を抱えていますが、数字的に大変でもそこを手放す発想には全くなれないとか、そういう強い願いでこの5年間やってこれたみたいなところがあります。そういったものを、「みんなの会社化」でみんなに分散して、すごく肩の荷が降りる感覚もあるんです。
運営のことを把握している人がいたり、私以外にも理念について語れる人がいたり。株主のみなさんも、それぞれ個性的で影響力がある人たちなので、かけあわせて何か場を開くことでも社会的なインパクトが生まれそうな状態になってきているんですけれど、やっぱりこの3年の間に起きたことの中には、なかなか普通は体験しないだろう、っていうようなこともあって、意外にダメージを受けているんだなということにもだんだん触れられるようになってきているところです。
けんしゅうさん:
ああ、なるほど。
井尾:
わたし、出産のとき産休も育休も取らなかったんです。みんな休んでねとは言うけど、休んだらどうなるんだろうっていう恐れが強くて。今子供が7歳なんですけど、ようやくその時のことを振り返られるようになってきました。
それまでも、折々で瞑想をしたり自分を癒すための時間を取って、お金も投資してきてるので、そこまで重症ではないと思いつつ、どこかでごまかしごまかしやってきている感じもしていて・・・だから、休んで何をしたいとかこういうところに行きたいとかは特別にはないんですけど。
けんしゅうさん:
なるほど。すごく分かる気がします。だいぶエネルギーが上がり下がりした感じですね。
井尾:
そうですね。数字的にもよくこれで生き延びたね、という感じもありますし、利益じゃなくて理念に共感して行動する人のあり方を学ぶ中で、やっぱり「お金を出した人がえらい」みたいな関わり方をする人にも出会ったりして。・・・あの、コロナのときに、そういう人の中の一人から「出資金を返して欲しい」っていう申し出があって、裁判になったんですよ。
けんしゅうさん:
そんなことまで起こったんだ。
井尾:
相手の方は、社会的な地位の高い方で。その体験から、自分が自分を弱者に設定していて、そういう権威のある人に見てもらわないと存在できないって思い込んでいる、自分が抱えている物語に気づいたりもしました。
そんなこともあって、これからは肩書きとかではなく、純度の高い思いを大事に、Atlyaと会社の純度優先で関わってもらおうと決めました。
裁判は、これまで人任せにしていた法律的なところや株式の扱いなどを、自分でやっていくきっかけにもなりました。何しろ相手は私の名前に対して訴えてきているので。そうなったときに、自分が公人になった感覚というか・・・いままでどこか守られてきた部分があったのが、本当の意味で経営者として、ソースとして引き受けるっていう体験になりましたね。
けんしゅうさん:
なるほどなあ。本当に価値観に共鳴して人が集まるのって、なかなか難しいですよね。
井尾:
今回の「みんなの会社化」ではその純度を感じながら皆さんにお声がけしていきました。私も33.●パーセント以上持たないという形に変えたんですけれど、そのときのソースとしてのあり方というか、やはり分散したとはいえ創業者の存在は強いものがあるので、「休んでみたいな」と思っても、実際に休んだらどうなっちゃうんだろうという思いはやっぱりまだあります。
けんしゅうさん:
そうなんですよね。結局、分散、集合的な組織にすると「私たち化」が進んでいきます。自分ごととして考えてくれるから多くの領域のことをしっかり担ってもらえるし、それがうまくいくと創業者にもそんなに負担がない形で進んでいくから、隙間も作れるし、休めます。
とはいえ、私たち化はけっこう容易にグリーンの罠にかかっていくんですよね。物語を紡ぐのではなく奪い合ったりつぎはぎになっていくことも起こりやすいんです。宮崎駿の映画を「みんな」でやれるかといったらやれません。だからやはり著作権は手放さない。そうではなく、魂と魂がつながったら集合的に洗練された物語を紡げるかもしれませんが、現状ではちょっと理想論に近いですね。
物語の洗練を高めるソース役としての覚悟と、でもそれを自分が言い過ぎると私たち化ができないから、そこの兼ね合いのバランスは難しいです。最近の集合的アプローチで行くと、物語をあまりにも渡しすぎてしまって集合的な罠にはまり、結局お互いに気を使い合ってるだけで進みにくいからエネルギーが上がらないっていうケースは結構あります。
井尾:
それは本当に何度もその感覚に陥っていますね。遠慮もあるし、そのさじ加減が本当難しい。ただ、これまでにだいぶ探ってきて、手放さない部分がちょっとわかってきた感じはもあります。ここはやっぱり私しか語れないとか、誰かが話してくれようとしても、あ、そこ私やりますって言えるっていうか。
それでも、休めないのはなぜ?
けんしゅうさん:
さわこさんが今隙間を空けられないのって何なんでしょうね。例えば、物事が勝手に進んで何か変なとこに行きそうなのか、誰かが動かないとお金が保たないとか。
井尾:
いちばん心配なのがやっぱ売り上げですよね。今、固定で入ってくるような売り上げがそんなに多くないので、スポットで売り上げるサービスが何ヶ月かに1回あって、その発信のほとんどを私が担っています。わたしがギューっとやってようやくみんながそこに合流してくるようなところがあるので、もうひとつ、魂同士で共鳴し始めてる株主のメンバーと別のサービスを作って、ある程度固定の売り上げが立つところまで持って行ってから休もうかな、とかそんなことを考えてます。
けんしゅうさん:
まあね~、できれば早く行った方がいいと思いますけど。
井尾:
休んだ方がいいと思いますか笑。
けんしゅうさん:
そうですね。休みたいときに休んだ方がいいです。休むモードになってる時って、休むための調整作業がめっちゃ大変ですから。基本的にもうゲームから降りようとしてるのにゲームを作らないといけないってことだから、できるだけ早く休めた方がいいとは思います。
井尾:
そうですね・・・何か喋ってて、思っている以上にやっぱ休みたいですね笑。なんかまた頑張れるかもっていう気持ちもあったんですけど・・・
けんしゅうさん:
あのね、「頑張れるかも」っていう言葉が出た時点でダメです。プロジェクトって頑張るんじゃなくて、楽しいとか夢中になるもんじゃないですか。それがいま、まだ頑張れるかもっていう話になってます早くお休みください。と、僕としては。自分の衝動にドライブされてない感じが出ています。僕としては、「早くお休みください」と。
井尾:
そうですね。やれることのベースはけっこう作ったなとも思います。だからあとはうまく調整したり継続してくれれば大丈夫なんだけどな、って。でもそれも、なんだかわたしが旗を振ってる感じがして・・・。本当はわたしが張り切らなければもうちょっとみんながやれたりするのかなとか。
ソースの役割はリスクを取り続けること
けんしゅうさん:
なるほど。
ソース原理の考え方で去年すごくインパクトを受けたものがあって。それは何かっていうと、リスクに関してなんですね。普通、経営者ってリスクを低減することだけしかしないんだけど、ソース原理でいうと、リスクを取り続けることって、ソースの役割なんです。この世界を作っていく、目的を推進していく上で、今取るべきリスクは何なんだろうかと常に考えていくのが、ソースのやること。要は、わかりきった道に行くっていうのは創造的じゃないわけですよ。本当に創造的な活動ってのは世の中にないものです。不確実性の中に一歩踏み出すっていう、究極もう、なるようになるという一歩しかない。まさに創業なんてそうじゃないすか。結局、何かこれやったら楽しいとか絶対世の中にとって価値はあると思うけど、上手くいくかどうかは分からない。それでも一歩踏み出すんだって言って、たぶんさわこさんも始めたと思うんですよね。
それが初めの一歩だけじゃなくてずっとなんですよ。僕が今年取ったリスクは、今年度いっぱいで大学辞めることにしたんです。大学の先生って、めちゃめちゃ自由だし、肩書きもあるし経済的にも結構いいんです。だけど、やっぱり微妙に人生のラインがずれてるんですよ。客観的に見たらみんなもったいないなというんです。国立大の准教授って仕事も制限されないし、副業もOKですし。子供も生まれますから安定も魅力です。でも、なんか腐って行っている感じがして。
で、僕が取ったリスクは大学をやめること。あとは、その後仕事を増やさないこと。収入はめちゃくちゃ下がるんですが、僕としてはせっかく生まれている子供との時間っていうのをやっぱり大事にしたいですし、もうずっと「研究する時間がない」って言っていたんだからもう言い訳はしないということも含めて、やめるっていう決断をしたんです。そうすると、かなり恐ろしい決断なんですけども、エネルギーは上がるんですね。それは多分、不確実だけども、自分の魂には嘘をついていない。
井尾:
そうなんですねやっぱり。
けんしゅうさん:
ソースはリスクを取り続けることが役割だったときに、何がさわこさんの人生としての取るべきリスクなのかな、というところですね。
井尾:
それはちょっと究極の問いですよね。
けんしゅうさん:
不確実だけども、わくわくする何かがあるのかもありませんよ。
窮屈さに向き合う
けんしゅうさん:
何でしょうね、なんかちょっと今、戦略と気合と意志力で乗り越えようとしてる気がして
井尾:
いや、ほんとそうですよ。私、そうは見えないかもしれませんけど、この7年ぐらい本当に夜とか出たこともないし、誰かと会うみたいなこともあまりないんです。2年前ぐらいに自分自身のホロスコープのネイタルチャートを見たときに「365日中280日ぐらい外にいるような人なのに、参宮橋と家の往復ってありえない」って、友達で星読みのyujiさんって有名な方がいるんですけど、彼が言ってくれて。で、旅を始めたんですよね。
けんしゅうさん:
なるほど。
井尾:
何かお仕事としてこういう感じでいろんなとこに行けたらいいなって。仕事だっていう言い訳もできるし、みたいな。そういうのをちょっとずつ入れていくんだけど、ただ、それがまた仕事になっちゃうから、またそれで縛られてしまって。
けんしゅうさん:
なんか窮屈なんですね、そこも。例えばそのラーニングジャーニー自体を仕事にしちゃえばいいじゃないかっていうアイディアも出るけど、それも今は窮屈なんですね。
井尾:
そうそう、そうです。それも初めは機能してたんですよ、リトリートとかもやってたし、それで喜んでくれて参加してくださる方もいたし。でももう正直楽しめないっていう気持ちがあって。
けんしゅうさん:
はいはいはい。なるほど。
井尾:
純粋に「ここに行ってみたい」って思って行って、みんなに「ここにこんな素敵なものがあったよ」って伝える。たぶん私、1回は機能するんですけど、その後同じところに連れて行ったりするのがしんどくて。本当は、私が行ってすごく良かったところをシェアしたいって言ったらそのツアーを誰かが作ってくれて、私はそこにいるだけみたいな形ならいいんでしょうけど、どうしても仕事っぽく自分が作り込みとか始めちゃうじゃないですか。そうなるとつまらなくなってくる。
けんしゅうさん:
超・開拓使なわけですね。それは僕もそっくりなのでよく分かります。企画ものは第2回をけんしゅうにやらしたら駄目だって言って、有名なんです。第1回はめちゃめちゃ盛り上がるので、第2回が求められるんだけど、それに応えて2回目やろうってなった瞬間に、もうメールの返信とかめっちゃ遅いし、調整もできないし。なので、選択肢は2つですね。任せるか、毎回タイトルを変えるかっていう。
井尾:
そうなんですよね。でもそれってなかなか理解されないし、求めてくださる人もいたりするから。
けんしゅうさん:
あと経済的なうまみもね、ちゃんと2回目3回目やれる方がうまみが大きいですね。
井尾:
そうそう。なので、そういうのを目の当たりにすると、また私本当にわがまま言ってるなと。
ゼロイチの人と1→3の人とのマッチング
けんしゅうさん:
僕もできてるわけじゃないですけど、やっぱそこにマッチングあるはずなんです。ゼロイチができなくて、いいものがあったら形にしたいんだけどそれが見つからないという人はいますよね。さわこさんが頑張って、ゼロイチから始まって1から3、3から5ってやっていくと、いつまで経ってもその生き方で人生を構築しちゃう。どこかの段階でやっぱり、1から3が好きな人と出会って、本当にゼロイチを自分のストレスがなく人に貢献できる領域で仕事をし続けるとめちゃめちゃ幸せですよ。
井尾:
そうなんですよね。
けんしゅうさん:
頑張っちゃうと、そのマッチングはいつまでたっても始まらないです。できると思われてしまうし、出来なかった時に突っ込まれますし。それより、もう初めからゼロイチしかできない中で、「そんな私に価値を感じる人は一緒にパートナーを組みましょう」って叫び続けた方がいい。
井尾:
そうですね。たぶん、引き受けることと0から5まで自分で抱えることを、混同しているのかもしれません。
けんしゅうさん:
ちょうどこの間行ったピーターとの講演会で、ソースとリーダーとマネージャーの違いみたいなことをやったんですよ。そしたら、ソース役はアーティストであり続けることであって、リーダーシップを発揮することでマネジメントするっていうこととは違う。集中すべきは、アーティストとして、次のアイディアとかビジョンを描き続けること。そこにコミットするのがソース役であって、リーダーシップを発揮することとは違うんだ、と。
たぶん意志力は必要ないんです。頑張るとか意志力なく、思い描いている世界に「一緒にやりたいです」っていう仲間が集まるといいですよね。もっと突き進む感じで、より豊かに、世界中の人との繋がりとか、面白い世界をどんどん拾い集めてくるだろうし。
井尾:
リーダーとマネージメントを両方やらなければいけないと思ってましたね。
けんしゅうさん:
うん。そんな暇はないんだ。
井尾:
そうか笑。なんか、すぐそこが本当にきつかったんだなって今気づきました。
けんしゅうさん:
うん。やらなきゃならない人生の中で、何か積み上げちゃってるはずです。例えば、「言ったからには責任を持たないといけない」と思い込んでるとか。
僕自分が人生で大切にしているのはインテグリティなんですね。誠実さ、言行一致。それに気づいてピーターに言ったらそれはもう素晴らしいね、って言われたので、うん。すごく大切にしているんですけど、一方で、誠実であらなければならない、と自分に課してた気がします。
マネーワーク的には、自分に「私は不誠実だ。それでOK」というのが次のワークなんです。そう言うと、そうだよね、人間って不誠実だよね、って思える。誠実がいいのは間違いないし、誠実さは素敵だけど、自分の本質は多少よこしまなことも考えるわけです。どっちかというと誠実に生きたいのは間違いないんだけど、でも確かに不誠実なところあるよな、っていう風になったときに、なんか笑えてきたというか。「不誠実と見抜かれてはいけない」とか「誠実でなければならない」って、力を込めすぎてたんじゃないかなという感じがあって。
だから、もしかしたら、さわこさんの中で、「私は頑張り屋さん」とか、「責任感のある人」とか、そう言うからには行動も伴わなければ、とか、本当の光の部分に対して、何かブレーキをかける声が多少内在化してる感じがありませんか。
井尾:
めちゃくちゃ内在化してると思います。いろいろそういうワークもやったりして話してきたつもりですけど、生み出した後に持続可能にしていくまでのところは、実は私の役割じゃないのかなって今気づきました。
けんしゅうさん:
うん。だけどそこに責任感と、アイディアだけ出すのって無責任だとか、地味な作業をやってくれてる人がいるのに、私はそんなこともできないなんて、とかなんか分からんけど、そういうのが出てくるんですよね。自分の苦手なことを、苦手な故に引き受けちゃうってことが結構あるんですけど、引き受けたらめっちゃ時間かかって逆に迷惑かけちゃう。頑張らずにやれる、本当の強みだけに絞るって勇気いりますよね。僕もできてるわけじゃないです。
井尾:
細かいことやってくれてるメンバーがつらいときは自分が代わってあげたいって思うから、把握しとかなきゃと思って一緒に見ているようなところもあります。
けんしゅうさん:
そういう人たちが重たいものを抱えたり、その人の何かやりたいことが変わったりしたとき、変化できるような組織の流動性、助け合い文化を作っておくことは、すごく素敵だと思います。でも、だからといってそこをさわこさんがやりに行くのが必要なのかというと、全くそうではないような感じがします。
これは僕が言われたことなんですが、「それは世界に対しての損失で、その時間をさらに開拓することに使えると、もっと物事を動かせるかもしれないから」っていう。その中で、そういった人たちが働きやすいようにするために、そういうののデザインが得意な人に提案してもらったりしたほうがいいです。そこでさわこさん自身がグリーンの罠にはまってしまったりはしないようにした方がいいと思います。
井尾:
休みたいのかな、休みたくないのかなってぐるぐるしてたんですけど、「アーティストを貫く」ということが、今私が一番願ってることなんだと分かりました。リーダーやマネジメントをやれないといけないことにすごい苦しさがあった。
けんしゅうさん:
そうですね。多少は充電した方がいいと思うけど、長く休む必要はまったくなさそうです。それよりも多分そのアーティスト特性を生かした、チームの作り方とかプロジェクトの回し方を身につけるというか。
井尾:
そっちが大事ですね。
アーティストとして生きる覚悟
けんしゅうさん:
これは僕も陥りましたが、以前は、何かアイディアを思いつくことが楽しくて仕方がなかったのに、だんだんアイディアをやろうとした瞬間ネガティブな声が想像つくというか、こういうこと言われそうだなとか。半年後にこういう難しさがやってきそうだなって想像した瞬間、いきなりブレーキがかかるみたいなこともあったりする。
井尾:
「わたしはアーティストだ」ってなったときに、この組織と仲間たちがうまく機能するように考えていくために、いったん今日みたいに本当に自分の真実に繋がる時間をちゃんと持つとか、何が自分を閉じ込めてるかとか、その日常のサイクルも含めて見直す期間として、長期じゃなくていいけど時間を取ることが大事ですね。業務に触れている時間をちょっと休めて、自分がアーティストとして生きていく上で、どう仕事に関わるか、チームに関わるか、家族との暮らしはどうしたいのか、どんな日々を過ごしていることが理想なのか、みたいなことを描く。そもそもアーティストなので、描く時間が必要なんですね。
けんしゅうさん:
うん、いいですね。その時間を1回しっかり取ることと、それが終了した後も、自分がソースと繋がってアーティストである時間っていうのをどれだけ日常に確保できるかってすごく大事です。どうしても戦略とか実行のための計画作りとかの方に時間が奪われたりするわけですよね。そっちじゃなくて何がしたいんだろうとか、次のビジョンは何なのかみたいなところだけに集中するソースタイムがやっぱり必要です。アーティストとして尖った方が、結果として経済循環も起こると思いますし、イライラもしなくなっちゃうし、仲間が幸せに働けるところに絶対繋がります。
井尾:
頭ではその感覚はすごいあるんですけど、私がそういうふうに自分にフォーカスを当てて、自分を生き切った方がいいっていうのは分かるんだけどできないっていうのはなぜでしょうか。
けんしゅうさん:
うん。それは自分の中の許しが必要ですね。自分へのダメ出しとか課してるものがね。真面目だとそうなるので、そうじゃないダメダメなリーダーを許すというか、許して緩む方ができるかが大事だという感じもします。
井尾:
作業レベルでは自分のことをポンコツだとか言ってるんですけど、「そもそもアーティストだから」みたいなところまでは振り切れてませんでした。まさに自分を許せていないし、それが日々の暮らしの中で、仕事以外のところでもすごく窮屈さを生んでいる。でもそんな家族のスタイルは誰も喜んでないと思うし、何かそこもやっぱクリエイティブなところだと思うので、うん。
一緒に生活していることが家族だとか、一緒にいることが正しいことだみたいなとか、子供は母親が最終的には見なきゃいけないとか、なんかいろんなものがあるんで。女性特有の、母親としての信念みたいなものもたくさんあるなって思いますね。
けんしゅうさん:
そこら辺の「こうしなければ」というものにまず気づいたら、それは絶対どこかの原体験から始まってたはずです。何か失敗して親に言われたとか。その構造の始まった瞬間を思い出せる時が来るので、その前の自分がどんな熱感とかエネルギーで子供として振舞っているのかという質感に繋がることができたら、一気に取り戻すことができて、その質感だったら今どういう選択をするか、という感じで見られるようになります。
自転車は止めないと修理できない
井尾:
なるほど。プロセスがちょっと見えました。何が大事で何を許したくて、休みの話をきっかけに何を得たかったかっていうのが、話していてすごいわかりました。なんか、もっと頭で理解しようとしてたなって。何かけんしゅうさんの体験と、ノックしてもらった感じっていうか。ちょっと深いところに触れることができたので、よかったです。本当にこのまま進まなくて良かった笑。ち
けんしゅうさん:
なんかね、止まってるときって周りに迷惑かけてる感じもあるから、うん急いで解決しようとしちゃいますけど、やっぱりそこは残念ながら解決されないので笑。
1年間のサバティカルの最終段階ぐらいで出会った友人が「けんしゅうさ、自転車って壊れたとしたら、漕ぎながらは修理できない。スピードは緩めてるかもしれないけど、一回止まらないと直せないよ」って言ったんです。僕もやっぱり、休んだのにやっぱカンパをいっぱい集めたこともあるし、やっぱり僕のメンタルモデルでいただいたものを返さなきゃ、っていう気持ちもあって。外から見ると滑稽だと思うんだけど、カンパもらってることに1ヶ月ぐらい悩み続けてました。リセットしたい思いもあるけど、その中で何か次を見つけたいっていう気持ちもあるし。自分の人生に対する安心感を得ながらというか。あらゆる人の人生には豊かな流れがあると思うんだけと、その豊かさを信用せずに、「せっかく休みんだんだから」と焦っていました。その気持ちは完全には拭えなかったです。
井尾:
それだけ休んでいても。
けんしゅうさん:
だから、結論としてはもう普通に3ヶ月の休みを単年おきとか2年おきに取るのもいいかもしれません。究極は多分、何かしたらリセットされるってことじゃなくて、課題がなくなることは絶対ないから、その中でも、究極的にリラックスして、人生の豊かさを知って信頼するっていう境地に行くというか。
井尾:
めちゃくちゃ難しそうですね。
けんしゅうさん:
結局そこだろうなっていうか。でもどこかでもう分かっているはずなんですよね。どんなことがあろうが、良い人との出会いはあるし。いいことが起こるじゃないですか。信じてやっていれば。本当はもっと世の中に安心していいと思うんです。いろんなことに。
井尾:
そうですね。人にはそんなこと言ってますけど全然安心してないですね。
けんしゅうさん:
だから安心できてないからというのを考えるし、研究するからサポートするときに言えるわけ。面白いですよね。究極に急遽に悩んでる人が支援者なんです。悩めない人は支援的なものが絶対身につかない。
井尾:
そういう意味では、この体験も誰かの何かになるかもしれないし、ならないかもしれないし。
けんしゅうさん:
そうそう、なれたらなりますよ。
井尾:
ちょっと進めてみます。ありがとうございます。
けんしゅうさん:
何かあったら連絡またください。僕も興味あるので。
プロフィール:場づくりの専門集団 NPO法人 場とつながりラボhome’s vi 代表理事、東京工業大学リーダーシップ教育院特任准教授、『ティール組織』(英治出版)解説者。
人が集うときに生まれる対立・しがらみを化学反応に変えるための知恵を研究・実践。研究領域は紛争解決の技術、心理学、先住民の教えなど多岐にわたり、国内外を問わず研究を続けている。まちづくりや教育などの非営利分野や、営利組織における組織開発やイノベーション支援など、ファシリテーターとして年に100回以上のワークショップを行っていた。
2015年に1年間仕事を休み、世界を旅する中で新しい組織論の概念「ティール組織」と出会い、今に至る。翻訳本に「自主経営組織のはじめ方―現場で決めるチームをつくる」(英治出版)「すべては1人から始まる―ビッグアイデアに向かって人と組織が動き出す「ソース原理」の力 」(英治出版)、共著に「ティール組織へのいざない」(中外出版社)等がある。
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