多様性。
今日は30℃超えの真夏日
日差しの強い中 能登半島珠洲市へ車を走らせる
珠洲市在住の友人を訪ねてきました
1月1日の能登半島地震から6カ月が過ぎている
この半年間
何度も珠洲市や輪島市に炊き出しボランティアや
物資輸送のお手伝いに参加してきました
その度に徐々に道路状況もよくなってきている
車を運転する側としては
ガタガタ道からスムーズに車を走らせることができるのは
ありがたい
至る箇所での道路工事を横目に被災地に入るが
道路はよくなっても
見える光景は変わらない
つぶれた家や半壊した家がそのまま
ブルーシートを施してある家も地震発生当時と変わらない
そんな中
人はそのままこちらで生活をされている方
家に住めない方は仮設住宅に入ったのでしょうか
みなし住宅にお住まいで 能登から離れている方もいるだろう
わたしの親戚も珠洲市に居ますが
珠洲を離れることなく
そのまま留まることを選択している
今日 訪ねた友人も同じ
「離れたくない」
避難所生活から一旦家に戻り
畑を守り
水は雨水をためて使ったり
井戸水を使うこともあるそうだ
そんな中
畑から収穫してきた野菜で
塩とコショーだけで味付けしたパスタをごちそうしてくれた
シンプルだけど
野菜の甘味が引き立つ
食材を大切していることがわかる
友人は言います
地震を経験して
シンプルライフを改めて考えたと
便利な時代で
お金さえあれば何でも買える
されど命は買えない
自分で自分を守ること
特に食に関して
避難所の食事はありがたかった
非常食もありがたかった
炊き出しもありがたかった
だけど
いつかは自立しないといけない
自分で自分を守るために
畑は守ろうと
野良仕事に汗をかく毎日
だから
ここに留まったという
多様性の時代と言いますが
被災者の方々も
家の損害の状況
仕事 家族も多様です
考え方も多様です
一昔前は
「合わせる」ということが美学で
状況がそれぞれ違えど「合わせる」や「まとまる」
で何かを動かそうとしてきましたが
合わせるには
何か犠牲にしていることに気が付かなくてはいけない
犠牲とは
わたしから言わせたら「我慢」なんですが
我慢強さも日本人特有の美学ですが
それももはや 時代遅れではないかとも思う
相手に我慢をさせてまでも
「合わせる」「まとめる」「束になる」
から 効力または強さが増すものかと思う
スポーツとか健全なことなどは
ですが
裏を返すと
ひとりでは立ち向かうことができない
「弱さ」を認めたことでもあったりする
多様性とは
ある集団の中に異なる特徴•特性を持つ人がともに存在する
ということです
今まで主張できず
まわりに合わせることを良しとしていた時代から
個の特性を良しとする理解だと思いますが
実に 個が逞しく育ってきたということではないかなと思う
わたしも
女性はこうあるべき
という押し付けに対して
長く合わせてきましたが
どうも窮屈だったんですよね
所謂 演じることが長きにわたると
具合悪くなりますよね
だから 個を自ら大切にするということは
勇気も必要ですし
自分自身を逞しく育てることも必要だと思う
被災者も多様化
様々な状況があって主張しはじめている
行政のみなさんは
それを「まとめる」のは大変なご苦労があると思うが
相手が逞しいのなら
こちらも逞しくなる必要があるということ
いつまでも「昔」の成功事例にしがみつくのではなく
新たな時代に対応できる筋トレ大事ですよね
珠洲市では
いろんなお店にも顔を出してきましたが
それぞれに頑張って営業されているお姿
逞しく思いました
まだ 乗り越えたわけではないですが
個を生かして日々 鍛錬されている姿の現れだと思う
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