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身体に命令せず、イメージで動いてもらう。

いちばん言いたいことを、タイトルにしました。

器楽演奏をする上で、身体をどう使っていくかというのはとても大切なことですが、考えすぎてもうまくいかなかったりして、もっと良い演奏をしたい!と身体に向き合った時に苦労されている方が多いように感じます。

かくいう私も、このタイトルの境地に達するまで随分遠回りをしました。元々私はとても感覚的にフルートを吹いていたのですが、高校生の頃に専門的なレッスンを受けるようになってからは、身体の使い方について細かい指導をたくさんいただきました。例えば顔の筋肉でも、ここはこっち、ここはこっちに引っ張って、こうやってアンブシュアを作る、というような。そしてその通り作っていくことに一生懸命取り組みました。

そうやってレッスンを受けて言われた通り作り上げたものは、一見、短期間でらしくなったように見えるのですが、自分の奏法に無理があること、見直さなければいけないことは大学時代に気付きました。が、そこからがとても長かったです‥。一旦ゼロにしてから、全てのことをひとつひとつ検証する作業の積み重ね。我ながら、よくあきらめずにやったと思います。

その中で気づいたのは、フルートを演奏する上で私に起こったよくないことや不自然なことは、「ここをこうする」というように身体に使い方を命令するような練習を積み重ねた結果生まれていたということ。

身体は知れば知るほどおもしろく、私は整体師さん、鍼灸師さん、舞踏家、ダンサーなど、身体を専門とする人をSNSでもたくさんフォローさせていただいています。いろんな角度から身体について語られるのに触れていると「身体は宇宙だ!」とさえ感じるのです。

医学で身体のことがわかるようになったと言ってもそれは身体の全てが解明されたというわけではなく、一部の説明がつくようになったということ(その研究をされている方には大変敬意を持っていますが)。

だから今わかっていることだけで身体に指令を出すというのは、可能性を狭める場合もあるのではないかと思うのです。身体は私たちの理解を超える可能性を持っていて、私たちの思考の及ばないところまで動いてくれる、それが長年身体を意識しながら演奏し続けて私が感じたことです。なのでまず、身体を信じること、委ねることが大切じゃないかと。もちろん私もレッスンをしていて、ここをこうするといいよ!というようなワンポイントアドバイスで良くなるのを目にすることはあります。では、よくない場合は何が違うのかと言うと「身体に合ってない、身体が拒んでいることを、無理に定着させようとすること」ではないかと私は自分の経験から考えています。

別の機会に詳しく書きたいと思うのですが、私は「口の中を広く」という管楽器界ではよく言われてきたことを守り過ぎた結果、舌の位置が奥へ行き、舌の付け根と喉に力が入ってしまっていました(私の先生は奥歯と奥歯の間を1センチ以上開けなさいと指導されていたのです‥涙)。フランスのオールドフルートを吹く中で、なんだかこれはうまくいかないなぁ‥と感じ、楽器に導いてもらいながら奏法を変えていきました(現代の楽器はこのように奏法を教えてくれることはあまりないように感じますが)。

ただ私の場合も、楽器が教えてくれたというだけではなく、「私が知ってるフランス的な音じゃない!」と耳が知っていたということも大きかったです。これがタイトルで言った「イメージで動いてもらう」です。

最初は資料や楽器を辿って奏法を分析し徹底的に考えていったのですが、今はその上でイメージに導かれるように日々練習しています。そうすると本当に身体が気持ちいいし、楽しいのです。

楽器を演奏することは本来こうなはず。でも苦しんでいる人が多いのは、現代は楽器が人間のごくごく普通の力を超える力を要求するものとなってしまったことも影響しているように感じています。古楽器やオールドフルートを演奏していると、演奏そのものは難しいけれど、特別な力を要しないことにほっとします。(この問題は根深いので今日のところはこのくらいにしておきます)

先ほど言った通り、楽器を演奏するのは気持ちいい!楽しい!はずなのです。もし苦しみが多いとしたら何かボタンを掛け違えているのかも知れません。苦しい修行をしなければ上達しないということはないと私は思います。ちゃんといいところにハマっていたら、きっと修行にも楽しさが溢れ、時間を忘れてしまうくらいなはず。

身体を信じて。耳を信じて。感じて。イメージを大切に。
みなさんの音楽ライフがよりhappyなものになりますように。

最後までお読み下さりありがとうございました^^

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