「恋愛」音川太一と家族と恋について①「小説」

「映画館で涙を流していた彼女について」
 
 嗚咽が聞こえる。

おかしい、今の映画のシーンは大学生が酔っ払って、エッチしたいとぼやいているだけだ。
 どこにそんな泣く要素がある。
「やりてーなー」
「やりてーよー」
 そんな言葉が行き交うだけの、聞いていて、何の感情も起こさないシーン。
それなのに、切なげに声をこらえるように押し殺して、それでも聞こえる涙声があった。
「どこだ」
 かすかに口から漏れた自分の声。俺は気になって周りを見渡していた。
 
 その日、俺は映画館に来ていた。
夜中の天辺を越える頃、家の近くの商店街にある映画館では自主制作映画を流すことがあった。
映画館のオーナーの趣味だそうだ。
ほとんど客の入らない時刻に、そんなヒット作にもならない映画を流し続けるオーナーの根性は凄い。
 俺は最近、そんな映画館の夜中の常連客になっている。
 映画はそれほど見ているわけではない。ただ夜中になったこの町では、駅前のマックやカラオケ、それからスナックなどの飲み屋しか開いていない。何度も通って顔を覚えられるのは面倒だった。
 正直それは映画館も変わりはないのだが、入って、1000円でチケットを買い、そうしたら少なくとも二時間は気にされない。映画はつまらなければ寝ていられる。そんな俺を、誰も責めないのが居心地が良かった。
 ……最近よく寝られていない。幼い異母妹の桜の夜泣きが止まらないからだ。正直家にいても落ち着かない。
 
 おかしい話だけれど、俺は一人で映画館にいるより、家族みんなでいるときの方が、独りに感じる。

 今日見ている映画は、とある大学の映画制作サークルが作った映画だった。
内容は特に特筆することはない、ありきたりな恋愛ストーリーだ。大学サークルの「姫」との交際を願いつつ、日々を悶々と過ごす大学生。果たして彼の思いは報われるのか。
 やばい、正直どうでも良すぎて、何にも言えない。
今時、恋にうつつを抜かして、サークル活動でバカ出来るなんて、ある種の特権階級だ。
親が仕送りできず、バイトで身が潰れそうみたいな話を聞くが、その逆はあまり聞かなくなっている。
ずいぶんと幸せだなぁと思うが、この映画の設定ではそんな学生が「当たり前」らしい。
まるで、ユートピアだ。
 そんな平凡(幻想)な映画を、わずかな苛立ちを感じながら見ていると……ふと、映画の音声ではない声が聞こえた。すすり泣く声が聞こえたのだ。女の泣き声のようだった。
 
 映画のシーンは、二人の男子学生が「やりたい」「やりたい」とぼやきながら、ビールを飲んでいた。
 
 見ると俺の座っている列の端で、女性がいた。そこで女性は泣いているようだった。
どうして、泣いているのだろう。これのどこが、泣けるのだろう。
 そのかすかに聞こえる泣き声は、切なく、惜しみない悲しみに彩られていた。
 
「……」
 気になってしまった。
どうして、こんなに悲しく泣くのだろう。
気になってしょうがない。
静かにそっと席に近づき、座る。
彼女は一つ開けて座った俺に気づいていないようだ。
「っつ……く……」
 彼女は涙を拭わなかった。涙が頬を滑り落ちるように流れる。
時折来る嗚咽だけ、殺すように堪えていた。
こんなに泣いているのを見ると、なんだか見ていていたたまれない。
 俺は後ろポケットに義母の晴美が渡してくれたハンカチを持っていた。
正直必要なかったのだが、晴美が渡してくるのを人前では無下に出来ない。
心の中ではしぶしぶ受け取っていたが、今このときでは役に立ちそうだった。
俺はそっと、横を見る。
 ずいぶん、綺麗な女性だった。
鼻筋も通っていて、唇の形もいい。長い髪の毛は癖もない。来ている白のワンピースと桜色のショールは密やかに彼女の美しさを際立たせていた。胸も大きいようだ……俺はわずかに息をのんだ。
 だけど一番目を引くのは涙だった。まなじりからこぼれる清冽な涙が、彼女の白い肌や紅潮した頬を宝石のように際立たせる。
「あ、あの……」
「え」
 突然声をかけられたからだろう、女性は目を丸くした。
映画の光を通じて見える彼女の瞳は、涙で輝いていた。
何だろう、彼女の見られてしまうと、逆に緊張してしまう。
やばい、俺は地雷を踏んだのだろうか。
いやいや、そんなことを言っても一度始めてしまったのだ。
虚勢でも張ってでも、やり通すしかない。
 俺はハンカチを差し出す。心なしか、声を固くしながら言った。
「拭いてください。涙」
「え、でも……」
「いいんです。拭いてください」
 自分でもびっくりするほど、ずいっと差し出す。
ここまでしたら、引かれないかなと考えてしまう。
だけどここで断られたら、余計にダメージが増えてしまう。
受け取ってくれ、今更この手を下げられないんだ!
 謎の懇願である。
 何だろう、彼女に気遣っているはずなのに。
こちらが気遣われたいような気分になっている。
 彼女は一瞬ためらったが、そっとハンカチを受け取った。
「ありがとうございます、すいませんね」
 ほんの少しの笑顔。
 何だろう、この感覚。
 俺は乗り越えたのだという感覚がした。
見知らぬ人と割と一方的に関わろうとするのは怖い。
だけどそれがうまくいったときは、拳を握りたいほどに嬉しいものだ。
でもしばらくはやらなくていいなと思った。
 彼女はお礼を言うと、ハンカチで涙を拭い、また映画を見始めた。
とても真剣な目だった。
 明日、この映画の内容が単位のかかったテストに出るから、見ないといけないって言うくらいを凌駕している。
 
 俺は疑問を拭えないまま、映画を見た。
 やはり……つまらない……演技が棒すぎだし、話の流れが読めちゃうし……つまらない……つまらなすぎて……。
 
 寝た。

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