「恋愛」音川太一の家族と恋について③「小説」

「彼女の度胸あふれる仕事ぶりについて」

 吉永の顔が青ざめている。
それはそうだろう。地方都市の喫茶店、地域の密着度は高いが、それでも面倒な客はやってくる。
その中でも、その客は別格だった。頼んだ注文は間違ってはないはずなのに、間違っていると言いだしたり、届いた食事が遅いと言って値切りを要求したり。近所の人間関係を気にしないといけない地域でもあるのに、そのお客の女性は特別だった。
 まるで困ることはないといわんばかりに、無茶なことを言い出す。それでも客であることは間違いはないので、ここらの飲食店ではその女性を「女王」と言って恐れられていた。
 吉永は俺に食いかかるといわんばかりの勢いで話しかけてくる。
「やべぇよ、今度は何を言ってくるのか」
吉永は女王に手ひどい目にあうことが多く、すっかり女王が来るだけで取り乱していた。
「ビーフシチューに入っているパンを指定してくるんじゃないか」
 俺が前回の一例を出すと、吉永は大仰にため息をついた。
「それなら良いけど、今日は柏木さんいるじゃん。あいつ、新人が大好物だからな」
「あー……」
 俺は曖昧な声をあげながら頷く。
女王は新人のそつのある動きが大好きだ。新人の出来ないところをあげつらい、責めてくるから嫌らしい。
太一も吉永も、その洗礼を浴びてきた。この店で働き続けるためには、どうしても女王のことをクリアし、慣れていくしかない。
「大丈夫だよ……柏木さん、仕事慣れるの早いし。女王だってきっとクリアできるよ」
 柏木さんを心配なのだろう。吉永は露骨に顔をしかめている。
俺も正直吉永と同じ気持ちだった。新人のオーナー候補であるが、柏木さんはとても仕事ぶりは優秀だった。
一度教えたことはメモして、すぐに覚えるし。料理も以前レストランのキッチンに入っていたらしく、柏木さんが作った者を試食した瞬間、吉永と顔を見合わせるくらい旨かった。まさに飲食店のエキスパートといわんばかりの腕前だ。
 だけど、そんな柏木さんでも、女王は扱いづらいだろう……。いちゃもんの腕は、嫌なくらいレベルが高いのだから。

 女王が着席し、メニューを見ている。
いつも同じメニューを頼むのだが、メニューは欠かさず見る。
新メニューを見ると、店員を呼んでメニューの内容を聞く。
 答えられないと論外。まぁ、店員は把握しているべきなのだが……その時は満面の笑顔で。
「あらぁ、あなた、何にも知らないのね。恥ずかしくないのかしら、その制服はどういうつもりで着ているのかしらね」
 新メニューの内容が答えられると、つまらなさそうに鼻で笑う。
「ちゃんと勉強してるのね、まぁ当然よねぇ。でも、その説明の仕方、ちょっと丁寧じゃないわね……私常連なのよ。舐めているのかしら」
 どんなことになっても嫌みは欠かさない。これが原因で辞める店員もいた。
「やってらんねぇよ!」
 そう叫んでロッカーを後にした店員の背中はなかなか忘れられそうにない。確かその店員は、水をかけられていた。
ばしゃっと勢いよく。

「ちょっと」
「はい、何でしょう」
 女王が柏木さんに声をかける。柏木さんは足取りも良く近づくと、女王は柏木さんをじろじろと見た。
「あなた、最近入ってきた人ね……」
「ええ、そうですが」
「さっき、持ってきてもらった水がくさいのよ。ちゃんと洗ってるのかしら」
 柏木さんの表情は穏やかなままだ。
「それは申し訳ございません。新しいものをお持ちします」
 軽く一礼して、柏木さんはコップに手をかける。その瞬間、女王が激高した。
「何! その態度。くさい水を出しておいて、それだけ!! もっと誠意のある行動、態度を見せなさいよ!」
 柏木さんは目がつり上がり、机をばんばんと叩く女王に、眉一つ動かさなかった。
まるでそのことに何も感じないかのように、ただ穏やかにゆっくりと謝罪する。
「申し訳ございません。では、お客様は何がお望みなのでしょうか。何が誠意になるのでしょうか」
「そんなの自分で考えなさいよ! 私はお客様よ。誠意の見せ方も分からないの!」
「……お客様は、以前から割引や無料でサービス提供を求めているということは、知っております」
「何よ、その言い方。まるで私がたかりみたいじゃない……。私は矯正してあげてるの、ここらの店は本当にレベルが低いんだから! それくらいしなきゃ、誠意にならないでしょう!」
「お客様はそれを、お望みなのですね……」
 柏木さんはにっこりと笑う。
何だろう……邪気も何もない、ただあまりに綺麗な笑みに、ぞくりとする。
女王はそれを感じたのだろう。
「馬鹿にするな!!」
 くさいくさいと連呼していた水を、柏木さんにぶっかける。
けれども柏木さんは、軽く息をつくだけで、まるで表情を変えない。
何だろう、まるで大きな犬に鳴き声を上げる子犬のようだ、女王は。
感情を荒立たせようとしても、まるで柏木さんには効いていない。
 メンタルが鋼鉄、過ぎるだろう。
 
 その時だった。騒然としている店の中に、制服警官が入ってきた。
「すいません……暴れている人がいると聞いたのですが」
 吉永と俺は顔を見合わせる。
すると柏木さんは、あははと困ったように笑った。
「あら、通報した方がいらっしゃったんですね」
「いったい、誰が……」
 警官の言葉に、店内のお客と店員の視線が女王に集まる。
「この方、ですか……?」
 柏木さんは困ったように言う。
「誰が通報したか分かりませんが、そうですね……」
 柏木さんと警官は話し続ける。
 女王は唖然とした表情を浮かべている。まさか警察を呼ばれる事態になったと思わなかったのだろう。
やがて警官は女王をじっと見た。
「少しお話を聞かせてくださいますね……」
 女王は二の句を告げない様子で、ただうろたえながら警官の言葉に頷いた。
二人は店を出て行く。柏木さんは他の店員に向かって。
「ちょっと、行ってきます。ごめんなさい、よろしくね」
 俺と吉永は状況をうまく飲み込めないまま、ただ頷くしかなかった。
 
 柏木さんは閉店した後に帰ってきた。
その前に俺と柏木は食洗機を動かしながら洗い物をしていた。
「すげぇな」と吉永は言った。
 何について言っているのか、すぐ分かる。俺は頷いた。
「ああ、そう思う」
 警官に通報していたのは、客の常連のじいさんだった。
前から女王を、静かに新聞を読ませてくれないと不満に思っていたのだが
柏木さんがやられているのを見て、とっさに電話を取ったらしい。
 何故日の浅い、柏木さんを助けたのか……。
 じいさんはにまにまと笑った。
「あの子は、良い子だからな……」
 どうも、仕事して一週間で、常連の心をがっつり掴んだようだ。
 
 吉永は純粋な目で俺を見た。そして一言。

「柏木さん、やばくね」

「そうだな」

 度胸が並じゃない。

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