セーラー服と恋

 私の双子の姉の美玲は一年前に死んだ。それは美玲とトラックとぶつかってしまったことが原因であり、轢いた運転手も人が来ない道だから、油断していたと供述している。美玲はその道を普段使っていなかった。むしろ使えば目的地まで遠くなる道だった。
 どうして彼女はそんな道を使ったのか分からないが、その死につながった選択のせいで、彼女の恋人はおかしくなった。彼女のセーラー服を着るようになった。
 淡雪が降りしきる中、深く積もった雪の壁を沿うように歩く、セーラー服の男。
 彼は今日も、美玲と待ち合わせるはずだった、神社でお参りをしている。

 その情景を、私は地獄だと思うのだ。

 雪を踏みしめて歩いていく。二月の雪は、昼間の気まぐれな暖気で少し緩みを見せる。
しかし夜の冷えで朝には氷のように硬くなる。踏みしめて歩けば、足の裏でしゃくしゃくという感覚が伝わる。雪はまだ溶けそうにない。雪は水になりたいと願うのに、まだ、このままでと願う空気の透き通った冷たさが、引き留める。もう少し。もう少しと。
 雪に沈んだような片田舎の、白い歩道をとつとつと歩いていく。
 目的は、男を迎えに行くことだ。男に迎えに行くとなると、少し色のついた話にもなろうが、私の迎えに行く男は、セーラー服を着てダッフルコートをつけている男だ。
 安城友和(あきともかず)、私の姉の恋人だった。今は、彼女が亡くなってフリーである。
 ただし彼の心は、一年前から動いていない。ほとんど。
 最後に会うはずだった神社で、セーラー服を着て、美玲を待っている。
彼女と待ち合わせた時間に、もう来ない人のことを考えているのだ。

 彼のセーラー服はひどく不格好だ。肩が合っていないし、スカートからのぞく足はひどく男らしい。彼の家族からもうちの家族からもやめてくれと、泣いてすがられるほどに大不評だ。
 私は彼の背中を見る。寂しそうに濡れた肩を見る。跳び蹴りをしたい。
 そうして――私は唇を引き結んだ。
 息をゆっくりと吐いて、彼の名前を呼ぶ。
「安城」
 彼は振り向く。はっとしている。それはそうだろう。私と美玲は一卵性だ。体は彼女と同じなのだ。しかし美玲は安城を「あき君」と呼んでいた。彼と親友で、美玲よりも付き合いが古い私は、気安く呼び捨てにしていた。
 彼は目を細める。
「美樹ちゃん。また迎えに来たの?」
 私はぶっきらぼうな表情で頷いた。
「こんな寒いのに、また来ているんだろうなと思って。うちに来なよ。母さんがココアを作ってくれるよ」
 親友に対してであろう。柔らかな目をして、乾いた笑い声を安城はあげる。
「僕はコーヒーがいいなぁ」
「私はコーヒーが嫌い。ココアがいいな」
「美樹ちゃんは甘党だもんね」
「美玲は苦いものが好きだった」
「僕達、舌の相性は、君よりは良かったんだ」
「……知っている」
 逆に言えば、それくらいしか話の合うことはなかっただろう。好きでつながる共通点の少ない別人同士のカップルだった。
 私は缶コーヒーを差し出した。安城は眉をあげる。
「飲みなよ。体、冷えているんでしょ」
「ありがと……ブラックだね」
「好きなんでしょ」
「好きだよ。美樹ちゃん」
 そこで安城は何故か目をつむって、深く息をついた。
「だけど、僕。お金を持ってきていないや」
「いいよ。お金なんて要求しないよ」
「ダメ。それはダメだよ」
「ダメって、何が」
「甘えちゃうじゃないか」
「は?」
「ここで君におごってもらったら、僕は君に甘えることになる」
「大げさだなぁ」
「僕は君に甘えたらダメなんだよ」
「何で?」
「……美玲の妹だからだよ」
「そう」
 私はポケットに手を入れて、強く拳を握った。
美玲の妹か。心の中で呟くと、安城が私を見ていた。透明な瞳が私を映す。心底困ったような顔をしている。
「あき君」と呼んだら、彼はどうなるのだろう。
 私の前で膝を崩すのだろうか。美玲と同じ体で、顔で、最近髪まで似せた私の前で。そんな張りつめた心を壊して、私にすがるのだろうか。
 胸に差し込む誘惑を必死に振り払う。
 私は自販機ではちみつレモンの小さなペットボトルを買った。
 人気のない社の下で、安城はこくこくと喉を動かして、コーヒーを飲んだ。
「冬にセーラー服はしんどいね。足下がすぅすぅして、しょうがないよ」
「もうセーラー服を着るのをやめたら?」
「ダメだよ。美玲が分からなくなる」
 彼の道理によれば、きっと美玲は死んでしまっているのかもしれないけど、もしかしたら道に迷って帰ってこれなくなっているだけなのかもしれないという。
「自分のセーラー服を着ている彼氏がいたら、きっと美玲でも怒るだろう。きっと背中を強く叩いて、何よこの変態と言い出すに決まっているよ」
 美玲に聞かせてやりたいせりふだ。こんなに優しくて愚かなせりふを聞いたことがない。
 生前、美玲は安城の態度をいつも不安がっていた。優しくて好きになったのに、彼の振りまく優しさが今は怖い。自分よりいい人に惚れられて、彼を奪われるのではないかと思ってしまう。

……馬鹿だよね、信じているのに。

……どうすればいいのかな、美樹。

 不安そうにしながら私に甘える美玲の声が、耳の中で響いた。
 同じ顔でありながら、美玲は私よりずっと綺麗だった。でもトラックに轢かれて、見るにも耐えられない残骸になってしまった彼女は、早々に火葬となり、骨壺におさめられた。
 動転した彼が見た、彼女の最後の姿を彼は信じなかった。あれは、美玲じゃないと言い張ったのだ。そうしてセーラー服を着る男になった。

 時の流れを拒むように、過去を抱く彼を、人を憐れんだけど、実際の彼の内情は少し違うようだ。彼は美玲が死んだことを、どこかで分かっている。それは時間が経つにつれて明白になり、彼を蝕んでいる。彼は過ぎゆく時間に抗うように、ここに来るのだろう。
 それは知っている。
 彼が連日の薄いセーラー服を着た生活で、風邪をこじらせた。そこでお見舞いに行った時、彼は熱で意識を混濁させて、私の手の甲に自分の顔をぎゅっと押しつけた。歯を食いしばって、苦しげに呻く彼を見ていると、彼はかすれた声で言った。

「狂えたらいいのに……何も分からなくなればいいのに」

「どうして、いなくなったんだよ……?」

 ボーダーライン。彼は現在の時間に何とか生きている。でもそのラインから落ちて、過去と添い遂げてしまうかもしれない。同時に夢から醒めるように歩き出すかもしれない。けれども今の私にはそれの判断がつかなかった。

 私はさえざえとした頭で、急に自分の膝に顔を埋める安城を見ていた。
 情緒不安定な彼の日常だ。
「僕のせいなんだよ」
 そう、これはいつものこと。
「僕があの日、この神社で待ち合わせをしなかったら、美玲は死ななかったんだよ」
「……そう」
「僕が美玲を殺したようなもんだよ」
「違う。美玲はあの道にいたから死んでしまったんだ」
 唇を細かく震わせて、安城は壊れそうな瞳を私に向けた。
「どうして、そんなことを言うの? 美樹ちゃん」
「どうして?」
「どうして、僕を責めないの?」
「責めてどうするの?」
「分からない。だけど美玲が死んだきっかけは、僕なんだよ?」
「……馬鹿」
 何度も繰り返された言葉、嘆き、赦し、謝罪。
何度も繰り返されても、私は安城に責められたいという気持ちを知る度に、反射的に怒りが湧いて憎たらしくなる。このセーラー服男と自分を。
 どうしてこんな情けない声の、セーラー服を着ている、脆く、優しい男を私は好きなんだろうと思う。

 美玲が彼に告白したことで気がついた恋心を、私は一生胸に潜めようと考えていた。すれ違いの会話をしてばかりだったけど、二人は一生懸命に互いが好きだったはずだ。それを自分の気持ちでひっかき回すわけに行かなかった。
 けれどそう思う条件の一つである彼女は、もうこの世にいない。
 私のエゴイズムは囁く。愛は囁く。
「あき君」って呼べと。
 そう言えば、彼は呆気なく私のものになるだろう。
 でもそれは哀しい、依存だ。
 1人で立つのが辛いから、現実を見るのが哀しいから、どうか僕の一部になって、僕を愛してください。
 喪った痛みを、美玲と同じ体の私で塞ぎたい、同じでしょ、愛した人を喪った哀しみは分かるでしょう。
 助けて、助けて……。
 私は耳を塞ぎたくなるような衝動を堪えて、足に力を入れた。地面を踏みしめた。
 喪った痛みで、どうすればいいのか分からなくなってしまったこの男は、どうしたらいいんだろう。瞳孔が開き、再び膝に顔を埋めた彼の頭を食い入るように見る。耐える。
 安城を、こんな安城を受け入れまいと。
 厚みはあるのに、心細そうな肩や、伏せた頭の寂しさや、その他諸々を。
 私は私という人間の誇りをかけても、彼の一部にならない。
 だって、そうでしょう。
 今のあなたを受け入れても、あなたは私を自分の傷のために依存する。
 あなたは私を愛さない。抱きしめてすがるだけだ。

 死んじゃう、そんなことになったら。

 死んじゃうよ、安城。
 
 私は私を愛してくれる、あなたが隣にいて欲しいのに。

 私は彼の頭を叩いた。ふたの開けていないはちみつレモンで。ひどく間抜けな悲鳴があがった。
 男の情けない鼻づまりの声だ。
「馬鹿、言っていないで。うちに行こう。安城」
「うん……」
「寒いから馬鹿言っちゃうんだよ」
「うん……」
「早く、行こう」
「うん……」
 ほんのわずかに間があいて。
「ねぇ」
「何?」
 安城は私の顔を見て微笑む。
「呼んだだけ」
「……馬鹿」
 呼びかけたら、応えてもらえる。それは彼にとって、当たり前のことだった。けれど実は、そんなに当たり前じゃなかった。ある種の奇跡だ。
 安城の安堵した顔を見て、私は馬鹿と何度も心の中で呟いた。
 私は死んだって、あなたが呼んだら、あなたの声に応えてみせるよ。
 私は何でもないような顔をして、膝を曲げた。そして次の瞬間、足裏がつった。
 顔をしかめ、声にならない声を漏らして、痛みに対抗していると、安城は不思議そうに私を見た。
「どうしたの?」
「足が」
「足が?」
「……つったの」
「そりゃ、大変だ」
 セーラー服の男が立った。彼はそれなりに大きい。中腰になる。
「肩貸すよ」
「別にこんなのすぐに治るでしょ」
「でも痛いよね、今」
「そう、だけど」
「じゃあ、助けなきゃ」
 彼は人の良さそうな笑みを浮かべた。
 私は大きく息をつく。
「もうワケが分からない」
「美玲はそんなことは言わなかったけどなぁ」
「ふぅん。でもあの子は裏で何を考えているのか分からないところがあったわよ」
「そうなのか」
 死んで一年が経つのに、初めて知ったよ。彼は寒そうに膝をすりあわせた。私は伸ばされた彼の腕を掴み、肩を借りる。
「今日だけ、貸して。絶対二度ともう、足なんてつらないから」
「そんな不思議な宣言は、初めて聞いたなぁ」
 のほほんと言う安城の顔や声が近い。
 私はうなじに赤みや熱が帯びるのを感じながら、彼と一緒に歩き出した。
 灰色の雲から、淡雪がちらちらと降り出していた。

 最後にまだ数ヶ月発見されるまでに時間がかかるが――。
一年前に死んだ彼女の部屋の鍵のついた引き出しに、日記が一冊ある。

 二月十五日

 彼と明日、いつもの神社で会おうと言われた。
彼の声はいつもと変わらなくて、私は泣きたくなった。どうして彼の声を聞くと、泣きそうになるくらい好きだと分かるのに。私は自分の決断を変えられない。明日、彼に別れを告げようと思う。
 あぁ。振ってしまうのだ。彼を捨てるのだ。
 ゴミみたいに振ってやる。
 彼は私を好きだと言ってくれる、抱きしめてくれる腕に嘘はないと思う。でも同時に、彼が美樹に向ける顔を見るのが辛い。屈託のなさそうな朗らかな瞳。私にはそんな顔を見せないのに。
 そんな顔を見たら、美樹は期待するじゃないか。あなたが好きなのよ、私のために引いてくれたのよ。心が怖いくらい震えている。彼はいつか気づくだろう。自分は美玲より美樹といる方が楽なことに。美樹という存在がとても大きくなるだろう。でも彼は優しいから、最後まで認めないはずだ。私がいる限り。
 だから捨ててやる。振ってやる。
 そうしていつか、自分の真意をばらしてやるの。幸せになった二人に、何でもない顔でばらすの。
 ふふ、二人ともびっくりするくらい私に感謝するよね、感謝してよね。

 大好きな二人に、置いてかれたくないの。

 置いていかないで。私を大切にして。

 こんな姑息な恩の押し売りしてごめんね。

 いけない、いけない。
最近不安ですぐにネガティブになってしまう。
 明日はいつもと違う道で神社に向かおう。
 少しでも遠回りをして、頭を冷やしていこう。

 あぁ、視界が潤んで、苦しいや。

 本当、馬鹿みたい。

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