蚊に刺されたから痛みについて考えてみる
今日は蚊に刺されたから痛みについて考えていこうと思う。
他人の痛み
他人の痛みは理解できない。
これは紛れもない事実だ。
ただ、理解できないからといって我々セラピストが他人の痛みを理解しようとしなくていい理由にはならない。
痛みを、辛さを、理解しようする姿勢が重要なのだ。
だからこそ「なんで痛いんだっけ」と思考を巡らす。
そんなこんなで昨日、蚊に刺された。
気付くと足がぷくっとしている。
かゆい。。。
痒さを忘れようと仕事に集中してみる。
その数分後足がチクッとした。
また蚊に刺された!と思って足をみるとそこには誰もいない。
そんなことが数回あった。
そう。これは一度蚊に刺されたという記憶が知覚を過敏化して、「また蚊に刺されたかもしれない」と勝手に知覚を作り出したのだ。
作り出したといっては語弊があるかもしれない。
何かしらの刺激を蚊に刺された刺激として装飾した。
の方がしっくりくる。
末梢で刺激を受けて、脊髄の後角へ信号を送りそこから感覚野へ。
1度目に蚊に刺された部分とは違う部分を刺されたのだから、末梢や脊髄の後角にはなにも変化は起きていないはすだ。
おそらく、脳の中で装飾された。
頼んでもいないのに、飾り付けてきやがる。
そんな勝手にやめてくれと思うが、これが役に立つことだってある。
子供の時に高いところから飛びおりてケガをした記憶が、今日高いところから飛び降りることを躊躇させる。
痛かった=危険
だから今日はやめておこうと足を止める。
患者さんの痛みに関しても同様なことがいえる。
過去にぎっくり腰で痛くて歩けなかった記憶が、今日腰に出現した違和感を装飾する。
『ヤバい。また歩けなくなるかもしれない』
こんな過去の記憶により、疼痛の閾値は低下する。
痛い気がするではなく、本人からしてみれば「痛い」のだ。
だから、「こんなの痛くもなんともないですよ」と第三者が本人の痛みを決定するのはお門違いだ。
ただ、このような機序を理解し、感情に寄り添い安心感を与えるだけで痛みが低下するということもまた事実。
突き放しすぎず、寄り添いすぎず。
絶妙な距離感を取りながら。
ああ。。。かゆいぜ。まったく。
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