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初舞台を迎えて

こんにちは。増田拓己です。
今回は僕が出演させていただいた
® 360(ルートさんろくまる)さんの舞台
「雨男≠晴男~アメオトコハハレオトコニアラズ~」
の感想を書きたいと思います。

さて、どこから書くか、どこまで書くか。
この約2か月をメモしていたわけでもないしポンコツな頭を持っているもんで、つぶさに覚えているわけではないです。じゃあ覚えていることを書こうかな、と思ってもほとんど人の目に触れないとはいえデジタルタトゥーとして残すわけですからそこには配慮したものにしないといけないし。
あ、上の2行は頭の中の声なんで文字にする必要ないんですけど。書いたことによって読み手に余計な勘繰りをさせてしまうんですけど。

さて、読者の方の貴重なお時間を奪ってしまうわけにはいかないのでそろそろ本題に進みましょうか。

とりあえず時系列を無視して、公演を終えた翌日にコメダでたっぷりアイスミルクコーヒーを嗜みつつ、振り返って感じていることを言いましょうかね。

甘さのバランスが絶妙なんだよなぁ

違う。全然関係ない。その話じゃない。
頭の中に意識を潜らせようと思っても目の前の事象にしか注意が向かない僕はやはりポンコツなのでしょう。
じゃあ家で書いたほうがよくないか?だったらドリンクをたっぷりサイズにするんじゃなかったわ。長居する想定だったのが完全に裏目に出てるじゃん。でも割といいお値段だから時間を過ごして元取りたいしな。
あ、これも脳内の声なので無視してもらって構いませんよ。
もう遅いか。


たくさんの方に支えられたなぁ

あ、これは感想です。読み飛ばしちゃダメです。
顔合わせから公演終了まで様々な記憶を巡っている中で自分の決して凪でない起伏の多い感情を思い出しましたが、どの場面にも誰かの存在がありました。
今こうして振り返りをネットに上げることができるということは、プラスの感情で終えられたということで解釈していただいて問題ないのですが、絶対に僕一人の力ではこうはなれていませんでした。

僕は初出演なのですが、周りの皆様は既に多くの表舞台に立ってらっしゃる方ばかり。当然ながら実力差があるわけです。さらに僕の肌感覚だと演技のレベルのスタートラインが他人よりもかなり低いところから始まっています。ほかの素人の方でももっと上手くやれるのではないかと思っています。このように自分の演技が下手なことをことを自覚してしまうと、劣等感や申し訳なさに溺れてしまいました。

上手い方同士だとお互いが舞台の上で反応しあってより良いものになっていくのですが、片方が下手だと乗るに乗り切れず最高潮に達することなく終わってしまうと、ほぼ素人ながらそう認識しています。
だからこそ自分の圧倒的実力不足が足を引っ張ってるなと感じざるを得ません。

そして、その下手というコンプレックスを本職としている人の前でさらけ出すことになります。当たり前の話ですが、自分の演技を見せなければいけないので劣等感や恥ずかしさといった自意識が自分を苦しめることになります。本物の歌手のまえで音痴が歌う恥ずかしさと例えたら少しはこの感情が理解していただけるでしょうか。あまり変わってないかな。
ともかく、これが僕が三流である所以なのかもしれませんが、周りから0点と評価されている芸を見せることはつらいものがありました。

ここまで良いこと一つもなしで読者のテンションを落とすことに全力をささげているわけですが、ここで悲報がもう一つ。

どう練習をすればいいかわからないという問題が出て来ます。

前述したように実力がないのは事実なのだから努力をすればいいだけなのですが、何をどう変えればいいかがわからないのです。それは自分が周りからどう見えているのかがわかっていないという原因があるのですが、そこに気づくのにも少し時間がかかりました。
自分のどういった行動が観客に意図していない印象を与えるのか把握できていないのでどう改善しようともできないのです。
言われた通りやっているつもりですがそうは見えておらずご指導をいただきますがそれもうまく咀嚼できない始末。
ここだけの話、役者という道は諦めるべきなのではないかとも考えていました。

おっと、ブラウザバックしたくなりましたか?すみません。
けど本当にこのように全くもっていいとこなしだったんです。

でも舞台は一人でやるものではありませんでした。

初めのきっかけは稽古終わりの帰り道でした。
共演者のある方(本当は名前を出したいのですが許可を得ていないので伏せておきます)から教えていただいたことです。
「もっとこうハリのある動きが必要なんじゃない?」
コミュニケーション能力が低く周りに話しかけられなかった僕に初めてアドバイスをしていただけた方です。
「今はこんな感じに見えるからもっとキビキビした方がいいかも。」
一言一句一緒ではないですがこのようなニュアンスのことを言っていただきました。
そこで僕は自分が思っているよりもゆっくり動いて(話して)いるのだなと気づきました。
実際に体を動かしながらセリフを言ってみると言葉に鋭さが出たりするよ。
なんていうわかりやすい練習法までも教えてくださいました。

今気づいたのですが、お芝居に限らず美術や音楽もオノマトペを表現することはかなり重要なスキルな気がします。これをヒントに練習していくのもアリかも?
すいません、完全に蛇足です。本筋に戻ります。

僕は途方に暮れていましたからすがるように実践しました。セリフに集中させていた意識をキビキビや鋭さといったイメージを表現するべく分断させます。そうすると初めて周りの反応が変わったことを感じました。もちろんすぐに100%こなせるほど器用ではないので少しマシになった程度だと思うのですが、僕の中では大きな転機になりました。意識を割いたぶんセリフが飛ぶなど他の練習不足が露になるのですが、何をしていいかわからなかったときに比べればなんてことないです。



そして、僕を最後まで面倒見てくださった方。
始まりは稽古場でひとりでいる僕に気にかけて話しかけてくださいました。
(コミュニケーションは演技の上手さは関係ないのに自分の性格のせいで気を使わせてしまって本当に申し訳ないと思っています…)
次第に僕の演技に対しアドバイスをしていただけるようになりました。
ご自身のこともあるでしょうに僕につきっきりで助言を下さり、ちゃんと良し悪しを言ってくださりました。また、僕が自分のことを見れていないと察知してくださったのか動画を撮って下さったり。おかげでもっとこうした方がいいのだなと自分でも発見し、修正できるように仕向けてくださいました。
おそらく僕が千秋楽までの間に一番お話をさせてもらった方です。
直すべきところはちゃんと指摘してくださる。僕はそれで少しずつ、本当に少しずつお芝居を咀嚼し始めることができたように思います。
こんなことをいったら生意気でしょうか。でも真っ暗だった視界にうっすら光が差したことは誰に言われようと事実だと思っています。

他にもここに書ききれないほどの多くの方から支えていただきました。
普段の練習法を教えていただいたり、帰り道悩みを聞いていただいたり、舞台での常識を教えていただいたり、はたまた制作としてお手伝いいただいたり、そもそも僕をこの機会と出会わせていただいたり…

舞台は多くの人の気づかいや愛で成り立っているものなのだなと実感いたしました。
相手のことを見てその場でやるべきことをしてお互いが反応しあうことでいいものが出来上がっていく。
これは舞台の上だけではありませんでした。
1つの公演には多くの人のかなりの時間と労力と気遣いとお金でなりたっています。
これを自分の五感をもって感じることができたのは今後の人生において貴重なことだと確信しています。
そして”初めて”という免罪符のようなものをぶらさげてあまりお役に立てなかったことを深く反省しております。
確かにわからないことだらけではありましたが、もっと自分にできることはあったはずだと思います。

すいません、完全に私信になってしまいました。

なんだかこのままで終わりそうですが、そういえば本番のことを書いていません。どうしよう。
もちろん本番も”床と仲良くなった”など色々な思いがありますが、一言でいうと緊張も含めて楽しめたということですかね。

詳しく書くともっと書けるのですがここで終わらせようかと思います。それにそれぐらい舞台は稽古にかける熱量や時間が多いということでしょうか。

今回僕はたまたま出演する機会をいただきました。僕の実力で舞台に立つことは本来であればもっと先になっていたと思います。そんな僕を辛抱して使っていただき、本当に感謝しています。

今回見た多くの方の背中を追いかけて僕は進みます。
不器用でうねりながら遠回りをしても。
お芝居は一人でやるものじゃないのだから。


お読みいただきありがとうございます!

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