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私たちの中にある、「定量的情報」と「定性的情報」。結構だいじ。

ひとりひとりが、自分らしく生きることを大切にされている今の社会。

かつてのように、みんなが進んでいくゴール的なものの存在も薄れかけ、ただよいながら、それもまた良しと生きている気もする。

この状態をなんとか受け入れようとした結果なのか、多くの場所で、見聞きするのが多様性という言葉。でも私は、その単語に結構迷わされたりもする。なんでもアリなんだけど、どうなんでもアリなのか。ついでに自己肯定感という言葉の意味もときどきわからなくなったりもする。

じゃあどうするか。

まずは、自分の生きている、立っているこの曖昧な場所を好きになること。
それは家という安心感の内側かもしれないし、外かもしれない。

台所だったり、玄関だったり、寝室だったり。

で、じゃあそれをどうやって好きになっていくか。

そこで今日のロジカル。

私たちの中には、「定量的情報」と「定性的情報」というものがあります。
これは、お金の世界で言われる言葉でもあるけれど、案外広い言葉。

「定量的情報」は、ある程度数値化できるもので、例えばお金なら、収入支出だし、家の中の片づけなら、持っているものの量や内容といった、客観的に計れるモノやコトの量。

そして「定性的情報」というのは、個人の性格や考え方、価値観。育ってきた傾向など主観的だけれど、その人をつくりだしている部分。

この両方が大切で、「定量的情報」が圧倒的に通常の生活を脅かすようでもダメだし、「定量的情報」に対して、相反するような「定性的情報」でも問題がおこる。たとえば、お金のことが全くわかっていなくて困っているのに、お金のことは考えない方がうまくいくと思ってしまったり、モノで溢れかえった家の中でいつも探しものをしているのに、片づけより大事なことがあると自分を納得させてしまったりという感じ。
そうして破綻した状況が続いてしまう。

私たちが、素敵だなー、いいなーと憧れる人たちは、多分このバランスがすごくいい。意識的にかもしれないし、無意識かもしれない。

そしたら凡人の私のような人はどうすればいいのか。
「定量的情報」と「定性的情報」の関係性を探ってみるということ。
これは、自分一人でできる場合もあるけれど、ある程度客観視しながら他者の目を入れることがだいじかなと思っているこのごろ。

と、聞いてくださってありがとうございます☺︎

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