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書くことは脱ぐこと

 私はnoteを書くにあたって「何を書くか」以上に「何を書かないか」の方に頭を使っていると思う。

 文章を書くことは裸になるのと同じだと母は言っていた。ほかの分野のことはわからない、でも本当にそうだと思う。どんどんその人の「ひととなり」が文章に露わになっていくのだ、書けば書くほど。書くことが多くなればなるほど、服を一枚ずつ脱いでいるわけだ、書き手は。私は猥褻罪になりたくないしお見苦しいものはできるだけ見せないようにしたい。そして何も全裸で街を歩く必要もないし需要もないわけで。薄着になっても、身体の線をゆったり隠す綺麗な布一枚くらいは纏っていたいし、そうでないと周りも迷惑だ。隠すところは隠さないと。

 素っ裸にならずに裸に近い状態になる、それが「書かないこと」を決めながら書くことだと思う。

 白髪を隠したければずっと帽子を被っていればいい、脚を見せたくなければズボンを履いていればいい。コートを脱ぎたくない日もあっていい、思い切ってビキニになる時もあってもいい。基本的にノースリーブワンピースです、ならそれで通せばいい。

 ここまでは書くけどこれ以上の手の内・心のうちは明かさない。おそらくほとんどの人がそのような何らかの境界線を決めているはず。プライドやプライバシーを守るため、または誰かを不必要に不快にさせないために。それは多分服が身体を物理的に守るように、書き手自身を守ることにもなると思う。



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