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小林カツ代著『ミセス漫画学校へ行く』驚いたり、ためになった3つのこと

へ~。小さい頃は漫画家になりたかったんだ。

昭和と平成にテレビや雑誌で
活躍した料理研究家の小林カツ代さん。
忙しい主婦のための料理レシピだけでなく
エッセイも数多く残している。

この本のあとがきに、
料理家になる以前は
もの書きか絵を描く道に
進みたかった、とある。

3つの驚き その1

漫画家になりたかったカツ代さん

時は1969年、
まだ料理家になろうとは
ゆめにも思ってもいない頃のお話。

小さい頃から
漫画を描くのが好きだった。
心ひそかに
自分は世界に名だたる漫画家に
なるのではないかと思っていた。

しかし絵とは無縁の短大へ進学、
卒業と同時に結婚。

すこし年月が経ち
子供もまだいなく、
何か真剣にやりたいと
考えた。

そのとき出した答えは
昔から好きだった
絵を描くことを活かす
ということ。

なろうと決めたのは
グリーティングカードの
デザイナー。

しかし、
グリーティングカードの
デザイナーになる
専門的な知識を身につけるための
養成機関がわからない。

どうしたものかと
考えあぐねていたときに
グリーティングカードに
ついての新聞記事を目にする。

そこで新聞記事にあった
グリーティングカードを
取り扱うG社へ手紙を送った。
返信用の切手を同封して。

グリーティングカードの
デザイナーに
なりたいと思う者ですが、
そのための技術を
身につけられる養成機関を
知っていれば教えて欲しい、
ということを書いた。

数日後、G社の製作課の方から
親切に書かれた手紙の返信があった。
そこにはデザイナーに
求められる技量が
びっしりと書かれていた。

3つの驚き その2

デザイナーになるための技量

以下、返信の手紙。
本から抜粋。

「現在、日本で売られているグリーティング・カードのほとんどがアメリカ製のデザインであります。というのも、まだ日本にこれだけのテクニックをもったカードのアーティストがいないのです。ですから、それらの養成機関も今のところありません。
カードのアーティストというものは、ただ好きだというだけではだめで、たくさんの人々が、一体、なにを求め、どんなデザインを欲しているのか、ということに敏感でなくてはなりません。
アーティスト志望のほとんどの人が、印刷技術に乏しく、また、一つのモチーフをいろいろに展開したり、アイディアをてっとりばやく図にしたり、生きた線で自分の感情をあらわすという点で非常に勉強不足なのです。
私共は、日本でのオリジナルカードを開発しなくてはならないというさしせまった問題を持ちながら、我々の意図を充分にくみとって、なおかつ新しい、その人でしか出来ないものを生み出せる人がいなくて困っています。
それで、あなたは右のような要求のほかに次の諸点であなたの技量は充分でしょうか?

 素手できれいな線が描ける。
 顔料、画材について充分な知識がある。
 デッサン、クロッキーに自信がある。
 少なくとも百種類は同じキャラクターで表情を変えられる。
 すべての人を喜ばせることのできるアイディアがある。
 文字でなく絵だけで感情を表せる。
 動物や物の擬人化がすぐにできる。
 色彩に自信がある。
 色彩の構成だけで、ある特定のムードを表せる。
 レタリングができる。
 版下技術を持っている。
 写真の知識がある。
 製版技術についての知識がある。
その他にもまだたくさんありますが、あなたはどの位イエスといえましたか?
アーティストとして世に出ようとすれば、最小限これだけは必要です。アメリカのカードはほとんどとうした基礎技術をマスターした人々の手によって作られているのです。」

出典
小林カツ代(1971年)『ミセス漫画学校へ行く』講談社
(1991年)『青春どないしよう⁉』に改題 晶文社

ん~、昔は
デザイナーに求められる技量の水準が高い。

今は簡単に「デザイナー」と名乗る人が
多い印象があるが、やっぱり
本物のデザイナーになるには
ある一定の基礎鍛錬が必要だ。

カツ代さんの話に戻る。
上記の技量を身に付け
グリーティングカードの
デザイナーになるために
見つけた学校が漫画学校だった。

そして漫画学校に通いつつ
この手紙の方とは
グリーティングカードの
作品を見てもらい、
アドバイスをもらう、
という関係になる。

3つの驚き その3

諦めない行動力

「やる」と決めたことに対して
諦めず突き進むカツ代さんの行動力が
全編通して痛快。

例えば、上記の
デザイナーの養成機関がわからないので
グリーティングカード販売会社へ
問い合わせたこと。

漫画学校の試験時刻を勘違いし、
遅れて行ったにもかかわらず、
受験させてもらい、合格したこと。

入学した学校がわずか半年で閉校になって
しまったが、自分たちで勉強の場を作ったこと。

まとめ

『ミセス漫画学校へ行く』で
驚いたり、ためになったこと3つ

  1. カツ代さんは漫画家になりたかった

  2. デザイナーに求められる技量の水準が高い

  3. 諦めない行動力

時代は違えど、活躍している人は
とにかく行動する人なんだなあ、
見習うぞ~。

小林カツ代(1971年)『ミセス漫画学校へ行く』 講談社
(1991年)『青春どないしよう⁉』に改題 晶文社

NHKの銀河ドラマ「てんてこまい」の原作にもなった。

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