大学受験後の生活

大学の合格発表がちらほらと始まり、
合格した人はおめでとうと拍手を送りたい。

不合格の人は「今はとことん落ち込みなさい。」
私が目の前にいたら、そんな声をかけたい。

私自身、後者の不合格の人間だからだ。
落ちた人の気持ちは痛いほどわかる。
わからなくても気持ちに共感し、
想像することは合格した人よりはあると
自負している。

私の大学受験のことを話そうか。

私は地元の国立大学の教育学部を志望したが、
最後の年のセンター試験(現:共通テスト)で、
盛大に失敗をしてしまい、
滑り止めの私立大学に入学した。

3年間、努力し続けた結果、
たったあの2日間のマーク試験で、
大学4年間が決まってしまう。
まぁ、なんとも残酷なシステムなのか。

いま、あの時に戻ってもう一度、
受験したいかどうかと胸に手を当てても、
やはりもう嫌だなと思ってしまう。

この文面だと、
あきらめたように聞こえるかもしれない。
が、そういうことではなく、
自分の中の精一杯だったからこそ、
自分の中で腑に落ちているということだ。

あのあと、浪人でもして、
勉強した結果、第一志望大学に合格できそうか?
そんなことを思い返しても、
自分の能力を踏まえても厳しい気がする。

バイト先にその大学に通う大学生がいるが、
元々の能力、生まれながらにもつ能力が、
根本から桁違いに飛び抜けているのを
見てしまっているから、怖い。

あの時の滑り止めの大学に入学するという
決断を決して間違っていなかったのだと思う。

人生の中でいっちばん沈んだのがこの大学受験。数日間は立ち直れなかった。

高校に行くのもやめようかと思ったが、
そんな勇気もなく登校した。
あの時の自分の顔はどんな顔をしてたのか。
きっと、暗くて、どこか寂しそうで、
人を嫌うような目をしてたのではないか。
そして、クラスで1番に教室を抜け帰るという、
気づけば、ルーティンが当たり前になっていた。

ある日、
両親からこんな言葉をかけられた。
「大学で何をするかが大切だよ。」

よく耳にする言葉であろう。
しかし、当時の自分にとっては、
やり場のない心に少し居場所ができた気がした。

何もかもがダメだと思っていた自分にも、
まだチャンスが残っているのではないかと、
思い込んでいた自分の心が晴れていった。

それからだろうか。
私が人一倍さらに努力するようになり、
何事にも挑戦するようになったのは。

大学受験失敗というレッテルが、
良い意味で、自分の肩の荷が下りた気がする。

周りの友達はみんな合格していて、
自分だけが不合格で最初は辛かったが、
自分って凡人なんだなと、実感した。

凡人だからこそ、できることってなんだ?と。
何度も自分に問いかけると、
この世は凡人で平凡な人間でありふれている。
こんな自分でも、
そんな人たちの気持ちがわかるのではないか。

何かに優れているっていいよね。
学生時代の勉強できる奴って神様みたいで、
ほんっとうに羨ましかった。
自分は5周も10周も反復して覚えるものを、
あの人たちはさ、
たったの1、2回見て覚えちゃうし。

でも、そんなことを羨ましい目で見てても
なんも変わらないしさ、
自分のできることをやろう!って。
きっと、自分は勉強というフィールドでは、
少し周りと劣っているみたいだ。

でもね、相手の気持ちを汲み取るのは、
誰にも負けない気がするんだよね。
ちょっとした反応から読み取る能力というか、
何を考えているかがパっと見で感じ取れる。
きっとこれはさ、
失敗や挫折を何度も繰り返しまくった
結果なんだろうね。

これって、
人と人とが交流するうえで大切なことだよね。

結局、何が言いたいかって、
何もかも終わったと思った出来事も今思えば、
あの経験があって良かったなって思えること。
事実は変えられないけど、
その見方や解釈は変えられる。

そんなふうに考えていたら、
今後何が起きたって幸せになれる気がする。

「結果は決まっていて、
それに向かう手段を自分が選んだだけ。」

これは芦田愛菜さんの言葉だ。
こんな風に、もっと気楽に考えて生きていこう。

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