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『一遍聖絵 』―名場面ハイライト5「肉体の衰えとともに」―(2013年9月22日)

 先に掲載のミニプリントの右側「名言ハイライト5」は、『一遍聖絵』の絵ではなくヨハネ・パウロ2世の写真です。さらに前回のブログでは、『徒然草』第百五十二段について、ヨハネ・パウロ2世の老いと死に比して考察してみました。

 こちらに引き続き、2005年4月4日(月曜日)の読売新聞の夕刊にかつて掲載されていた竹下節子氏(比較文化史家)の「ヨハネ・パウロ二世を悼む」の新聞記事のテーマについて、今度は『一遍聖絵』のはらむ問題との関連性を論じてみようと思います。

 先には、記事の見出しの一つである「「在位」そのものが信仰」という記事の持つテーマを『徒然草』第百五十二段と重ねました。竹下氏は、人間の「尊厳は、人が創造されて生かされていることそのもの」にあり、「ヨハネ・パウロ2世にとって、何かを「すること」も、ただそこに「あること」も、形は違っても同じ信仰の表現なのだろう」と記しています。生命、老いと死をどうとらえるかという問題とともに、この記事には「試練こそキリスト者の生き方」という見出しが象徴するテーマも含まれています。

 「イエス・キリストの受難の残酷描写でスキャンダルになったメル・ギブソンの『パッション』というフィルム映画が封切り前にノーカット版でバチカンに送られた。バチカンはこの映画についてノーコメントで通したが、自室でそれを観た法王は「まさに、こうだった」とのみつぶやいた、と言い伝えられている。
 復活したキリストの「栄光」の姿を拝むタイプのキリスト教もあるが、伝統的にローマ教会、特にヨハネ・パウロ2世は、十字架の上で苦しむリアルなイエスの姿を好んで拝んでいたという。」

 『今昔物語集 天竺部』巻第一・第一話は〝釈迦誕生〟の説話ですが、「兜率天(とそつてん)」という別世界から、この世「閻浮提(えんぶだい)」に下りて来る際に、別世界の状態とは異なる、不便な(兜率天では、汗をかいたり汚れたりということですらしないそうです)〝この世仕様〟の肉体を作ってやって来ます。釈迦が、腹痛と下痢に苦しんでその最期を迎えたというのは有名な話です。

 一遍の伝記には、『一遍聖絵』とは別に『遊行上人縁起絵』という絵巻もあるのですが、『遊行上人縁起絵』での一遍は、気づくとすでにスーパースターで描かれています。奇瑞(奇跡)の教祖として、失敗したり苦しんだりする様子など微塵もありません。これは、二祖の真教・他阿弥陀仏も同様で(『遊行上人縁起絵』は前半が一遍、後半が真教の伝記になっています。真教・他阿弥陀仏は、一遍が九州の地で初めて得た弟子です)。
 これまで、本ブログで『一遍聖絵』の記事を読んで下さった皆さんは〝あれ?〟と思いませんでしたか。そうです、一遍は熊野での悟りのあと、故郷での教化に失敗、九州では素っ裸で布教するような事態に陥っていましたよね。


 『一遍聖絵』は、一遍の「試練」についても偽り無く描いていると私は考えています。これは、当時の他の教祖伝と比しても異例のことであり、『一遍聖絵』の読解を困難にしている要素の一つになっています。実を言うと、『一遍聖絵』成立後のかなり早い段階で、裸で九州の地を布教する一遍の絵に、おそらく弟子が衣を描かせている形跡があることもわかっています。

 一遍は、最期を兵庫(現在の神戸市兵庫区)で迎えています。本当は、自分が先達として仰ぐ「教信(加古駅に草案を建て、在俗生活をしながら人々を強化、阿弥陀丸と呼ばれた)」が眠る「いなみのの島」(現在の加古川市)で死にたいと思っていた一遍ですが、明石浦で兵庫からの迎えの船が来たので、「いづくも利益のためなれば進退縁にまかすべし」と言って、そこへ向かうのです。
 私はこの絵巻の場面、船の先頭で、明らかにもう死が近づいているのだとわかる青白い顔で、まっすぐ前を見つめて合掌をする一遍の絵を見ると涙が浮かびます(奈良国立博物館で修復された絵巻を何度も何度も眺め、この絵のケースの前に来ると泣いている私を見て、係の人がとうとう声を掛けて来たということがありました(笑))。

 一遍が、体力・気力ともにピークにあったのは、以前も紹介した〝鎌倉入り〟の時であると私は見ています。


 数知れず奇瑞が起こり、しかし一方でそのことで、人々が念仏の教えよりも奇瑞や一遍そのものが勢至菩薩の生まれ変わりであり、別世界から来ている特別な存在だということにもっぱら関心を持つようになってきたのです。京都で熱狂的に人々から迎えられた一遍でしたが、孤独と病魔に冒され始めたのも、やはりその地でのことでした。

 たとえ、彼らが本当に何らかの別世界から人々を救いにやってきた〝聖(人)〟(ひじり・せいじん)であったとしても、一遍も、ヨハネ・パウロ2世も、この世では、老いも死も、他の人々と同様に得る、もろい肉体を持った存在なのです。

 竹下氏は、「試練」のシンボルを好んで拝んだヨハネ・パウロ2世にとって、「肉体の苦しみという「試練」がそのまま信仰の核となっていくのも不思議ではない」と述べています。
 人間の肉体を持った一遍の、裸も青白い顔も、怒りも悲しみも克明に描いた『一遍聖絵』と、大勢の信者を目の前にして「マイクの前で声を振り絞ろうとして、うめき、果たせなかった」ヨハネ・パウロ2世とには、信仰とは何かということに対する同じ精神があふれていると私は思います。


『一遍聖絵』本文からの引用は、聖戒編・大橋俊雄校注『一遍聖絵』(岩波文庫/2000年7月)による。


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