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『一遍聖絵』を何度でも読んでみる⑦「建長三年の春十三歳にて」

 「建長」と聞くと、神奈川県出身の私はまず、鎌倉の建長寺を思い浮かべます。建長寺は、建長五(一二五三)年に執権・北条時頼が蘭渓道隆を開山として創建した寺です。このような感じで、一遍の少年時代がどのような時代であったのかを調べ、イメージしてみたいと思います。

 鎌倉時代、後深草天皇の代の年号。宝治三年(一二四九)三月一八日、天変火災により改元。将軍藤原頼嗣・宗尊親王・執権北条時頼の時代。建長八年(一二五六)一〇月、康元と改元。出典は「後漢書」の「建長久之策」。〔日本国語大辞典〕

 『日本史年表』(吉川弘文館)から、建長年間の出来事などをいくつか取り上げてみたいと思います。

〔政治・経済〕
・引付衆を置く
・宋船日泊の員数を5隻と定む
・鎌倉の商区を定む
・売酒を禁じ、一家一壺のみ醸造を許す
・幕府、材木の尺法・出挙利銭の法を定む

〔社会生活〕
・諸国に鷹狩を禁ず
・鎌倉大火、京都地方大地震
・鎌倉大風洪水

〔文化〕
・続後撰集(藤原為家)
・古今著聞集(橘成季)
・正法眼蔵(道元)
・日蓮、法華宗を開く
・伴大納言絵詞(土佐光長)
・鎌倉高徳院の大仏?
・鎌倉建長寺創建

〔世界史〕
・フビライ即位
・第6十字軍

 なお、一遍が生まれたのは「延応」元年です。

 鎌倉時代、四条天皇の代の年号。天変により、暦仁二年(一二三九)二月七日改元。翌年七月一六日に仁治に代わる。執権北条泰時の時代。出典は「文選‐序」の「廊廟惟清、俊乂是延、擢応喜挙」。

 一遍が生まれてから、十三歳で九州に修行に出るまでの間の出来事を確認すると、御成敗式目の制定が貞永元(1232)年にあったのを受け、まさに鎌倉幕府による新しい秩序が引かれてく様子を伺うことができます。また一方で、自然災害が数多く発生しているのも気になります。

〔政治・経済〕
・三浦泰村等一族滅ぶ
・百姓と地頭との訴訟法を定む
・鎌倉御家人の所領恩地の譲与売買制限
・新旧地頭の徴租方式を定む
・物価法を定む

〔社会生活〕
・鎌倉大地震
・幕府、賭博を禁ず
・幕府、殺生を禁ず
・鎌倉浮浪人を放逐

 一遍の教えの純粋な思想の部分だけを探るにはこのような確認作業はあまり重要ではないのかもしれません。しかし、鎌倉時代の人々の生活までをも細かく描き込んでいるこの絵巻においては、同時代の政治・経済や社会生活、文化を知る必要があると近年強く感じています。
 歴史学の専攻ではない自分にはハードルの高いところがあるのですが、これまで気に留めることもなかった語や表現が、時代背景を知る中で浮かび上がってくるのではないかという思いがあります。

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