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『一遍聖絵』を何度でも読んでみる②「越智(おち)氏」〔巻第一・第一段〕

 『一遍聖絵』は、一遍の「俗姓ぞくしょう」が「越智氏」であるというところから始まります。『日本国語大辞典』によれば、「俗姓」とは「僧侶の、俗人であった時の名字(みょうじ)。ぞくせい。」、あるいは、「世間一般に称している氏姓、家柄。素姓(すじょう)。」とあります。
 時代的にはどちらの用法も存在しているのですが、このあと「河野四郎通信が孫、同七郎通広が子なり。」と続くので、後者の意味でとらえた方が妥当かと考えます。

 『一遍辞典』(今井雅晴編、平成元年九月、東京堂出版)によれば、「|河野氏《こうのし》」は「伊代国の豪族。一遍の出身。河野氏はもと越智氏と称し、古くからの同国の豪族であった。」とあります。

 『国史大辞典』で「越智氏おちうじ」の項を確認したところ、「越智氏」の出自は、「饒速日命から出た小致命の子孫で物部系とする説(『旧事本紀』の『天孫本紀』『国造本紀』)が妥当なものと考えられる」とされていました。
 また、「越智直広国が越智郡大領に任ぜられた(天平八年の『伊予国正税帳』)のをはじめとして、用忠の海賊討伐による叙位(『貞信公記』)、為保の伊予追捕使(『権記』)、助時の伊予掾(『除目大成抄』)、時任の伊予大目(『江家次第』)、貞吉の伊予大掾(『除目大成』)などに関する諸記録によって武士集団化していたことがわかる。」とありましたが、「武士集団化」という部分に興味を覚えています(河野氏といえば、軍記物語にも必ず名前が登場する有名な武士の一族ですが、最初から武士ではなかったのですね)。

 のっけからいきなり「聖」の素性を明かして始まる『一遍聖絵』ですが、越智の伝説的なご先祖様、そして、『平家物語』でもその活躍が描かれる一遍の祖父・河野通信も、この先『一遍聖絵』で登場します。
 一遍が聖であることとご先祖様方との関係とを書き示すことにどのような意図があるのか、ここ数年私は何度も自分に問うてみています。

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