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『ルポ 誰が国語力を殺すのか』を読みました(続「熱血! 古典教育・国語教育」)

 今日紹介したいのは、石井光夫氏の『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(2022年7月、文芸春秋)です。


 以前、新聞の書評を読んで興味を持ち、地元の図書館で予約をして読もう(最近、終活を見据えて、本はできる限り図書館を利用して読むようにしています。NO MORE 積読(つんどく)です!)とネットで登録をしたところ、100人以上の予約がありました。去年予約して、思ったよりも早く順番が回ってきました。それだけ、「国語力」に関心を持っている方が内容に引き込まれて一気に読めるような本なのだと思いましたが、タイトルに「ルポ」と付いているとおり、関係する多くの人たちに取材をしたインタビューで構成された、読み応えのある本でした。

 八章で構成された本編に序章と終章が付されていますが、子どもたちの国語力が現在どのような状況にあるのかから始まり、国語力をめぐる国の対策と現場との問題認識の相違を示して後、国語力の乏しい子どもたちの置かれている現状を指摘しています。そして、少年院や支援施設・病院、フリースクールでの取り組みを紹介し、いくつかの私学での子供たちの国語力育成の事例がとりあげられています。

 真の「国語力」とは、情報処理能力のことではないのに、ツールとしての英語で必要とされる能力と同様のものが国語でも過度に求められ、教科書の教材や指導内容に反映されているのではないかという危惧が私にはありましたが、この本は私にその答えを与えてくれました。

 石井氏が取材を重ねた中で出したひとつの結論とは、言葉によって自己を表現する力と他者をつなぐ力こそが「国語力」であるということでしたが、主に家庭内において複雑で過酷な環境に置かれた子どもたちはこの力を奪われ、社会生活上の困難を引き起こすとしています。そうした子ども達は、言語をめぐる基礎的な能力を家庭で習得することができないのであるから、学校はできる限りそれを補える場であるべきなのだが、質・量ともに現場はそれが可能な状態ではないというのです。

 関係者へのインタビューは、子どもたちが置かれている環境や学校での「国語」の現在を語る生の言葉であり、ひとつも聞き漏らすことができないということを感じました。その中でも、元国語教師だった方の発言がとても印象に残っているので、以下に引用しておきたいと思います。

 「文科省も、学校も、親も、みんな結局は成果主義なんですよ。すぐ形として表れる結果ばかりを追い求めつづけている。だから、もっともっとという具合に新しいことをやろうとする。
 国語力を育てることって成果主義とは真逆で、目に見えないものなんです。一つの詩を丹念に読み込んで感動の涙を流しても、テストの点数に結びつかないし、資格を取得できるわけでもない。でも、そうやって内面で育ててきたものがあるからこそ、何十年か先に誰も想像しなかったような素晴らしい人間性を持てるようになるんです。
 私は、人にとって本当に大切なものって不可視なものだと思っています。その子のやさしさを育てる、その子の勇気を育てる、その子の誠意を育てる。どれも明確な方法論があって、数日後に点数化されて見えるものじゃありませんよね。
 それでも、その子の未来のために毎日水をやり、丁寧に語りかけ、手を汚しながら土を取り換えて育てていく。家庭でも、学校でも、地域でもそれをやっていく。これが本来の教育だと思うのです」

 社会、そして自分は、子どもたちに対して何ができるかを問い続けずにはいられません。


 古典教育・国語教育関係の記事については、以前にウェブリブログで展開していた「熱血! 古典教育・国語教育」内のコンテンツを移行したマガジンに収録しています。

 今後、noteでの古典教育・国語教育の記事については、続「熱血! 古典教育・国語教育」として新たなマガジンに収録していく予定です。

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