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「隠者」としての在野研究者(2020年10月27日メルマガ)

自分の好きなものが世の大多数の人たちとは違っていても、同じようにそれが好きという人たちを、見つけられる可能性のある現代(写真は「南北朝時代を楽しむ会」が発行している会報。子どもみたいに何度も手にして読んでいます)。

 私が学校教育の現場を離れたのとコロナでの新しい生活とが重なり、半年以上が過ぎました。その間、社会にも個人にもいろいろな変化があったのですが、ネット上での情報発信や交流が私の考え方や生活に大きな変化をもたらしました。

 もともとネットが好きで、SNSやサイトにそれぞれの特徴があるのが興味深く、この半年で整備をしていました。実は、こっそりInstagramもしています。ペンネームで小説を書いている、ある小説投稿サイトにつないでいます。この件でひと悶着あったのですが(苦笑)、それはまたの機会にして、ひと悶着の結果、Instagramと小説投稿サイトでの自身のステイタスを「隠者」にしました。

 (小説執筆は「隠者」活動の一環として位置づけています。)

 「隠者」と言えば、日本では『徒然草』を書いた吉田兼好が有名ですが、西洋にもいたそうです。似たような人たちに「世捨て人」というのもあったそうですが、いずれにせよ、彼らの知識や智恵を求めてきた人たちに助言をして生活していたようです。

 小中高生らしい若い世代の投稿も、Instagramや小説投稿サイトでは多いです。私を含めて、なりたい自分に自分でなれて、現実のステイタスを超えて、自分の表現活動にそれだけ勝負で興味を持ってもらえることができるSNS、すごいですね! 

 (……とはいえ、YouTube同様、私のSNSやサイトはバズりません。「隠者」なので。)

 Facebookは、その人の投稿や閲覧の履歴をAIが解析して、必要な情報を提供しているそうです(つい数か月前までは知りませんでした)。……どうりで、私がFacebookを始めた当初の人脈に基づき、ビジネス、投資、スピリチュアルの広告や友達申請ばかりフィードにあがってきたわけです。友達を5,000人にするのが良いとも言われ、“5,000人はけっこう簡単にいけるな” と、500人まで友達が増えたところでそう思った矢先、不快なことやセキュリティ上の不安なことが続きました。

 そこで、他にも理由があって、Facebookは3か月間使用を止めました。再開したある日、とうとう私はブチ切れて(そういうメッセージや投稿を発見)、不必要と思われる友達や広告をどんどん削除しました。

 ――その結果、YouTubeで私が配信している動画を見つけた「南北朝時代を楽しむ会」の代表の方とつながり、現在、基本的には週末限定、話題も限定して、Facebookの閲覧や投稿をしています。

 先日Facebookに投稿したのですが、「南北朝時代を楽しむ会」の方たちとつながったことで気づいたことがありました。少し長くなりますが、引用してみます。


【一度あきらめたことでも仲間と一緒にできる時代】

 南北朝時代を楽しむ会の研究部に初参加して「南北朝遺文」を輪読しました。鴨志田先生、メンバーのみなさん、ありがとうございました。

 実は私、大学受験の時に史学科にするか否かで大変迷いました。

 しかしながら、当時は受験人口最多で、現役合格をしたかった私は、募集定員が少なくて偏差値の高い史学科の受験を避けました(今でこそ、最初から国文科で国語学を専攻した……みたいに言っていますが、それは結果オーライだった後付けですね)。

 あきらめたことというのは普段は忘れてしまっていても、歳を経て何となくひっかかってくるのでしょうか。受験生当時の願望が、今さらながら実現したわけです。

 もちろん、語彙や文法を専門的に学んだことを後悔しているわけではありません(40歳を前にして倫理学(日本思想史)の先生に師事もしています。実際のところ哲学・思想も好きだったのに、当時はそういうことをどこでどうやって学ぶのかわかっていなかったため、自覚すらありませんでした)。

 もともとの興味が史学科(や倫理学系?)でするようなことにあったため、私の研究は結局、特定のジャンルに入れることできず世間的には迷走したものなのでしょうが、それでいいと思います。

 研究を通じて知り合った友人(故人です)が、“世の中に大きな影響を与えるわけでなくても、それでも意義のある研究を拾いあげたい”と言って学術雑誌を作成していたことを思い出してもいます。


 上で記した亡くなってしまった友人とは、研究や雑誌への論文執筆のスタンスで温度差を感じて決裂してしまったのですが、彼からしたら残された時間の中で一生懸命だったのだと、訃報に接した際に気づきました。

 当時の私には仕事以外の時間がほとんどなく考え至りませんでしたが、社会の仕組みが変わり、残された時間をどう過ごすかについて直面させられた今は、彼の焦燥感に気づけなかった自分が情けなくも思うのです。

  私は新しい仲間を得ることができました。そこでは、友人の残した研究についても、折に触れて紹介することができそうです。それも「隠者」の活動、占い鑑定も「隠者」の活動な今日この頃です。

〔原題「新しいコミュニケーション ~「隠者」になりたい~」〕

占い鑑定については別の機会に触れることができればと思います。

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