YouTube「『一遍聖絵』の旅ーフィルム時代の写真で語るー②白河の関(巻第五・第三段)」
冒頭の写真は、白河神社です。現物は当時流行していたパノラマ写真ですが、一部のみしかお見せできず残念!
久しぶりにYouTubeの動画をアップしました。動画のクオリティは激ショボですが、かつて足で稼いで撮った写真はショボくないと思います。
『一遍聖絵』の旅ーフィルム時代の写真で語るー②白河の関(巻第五・第三段)
「白河神社」
下野と陸奥の国境の関があった白河関跡を境内とし、関の明神、二所関明神とも呼ばれ、古墳時代の315年、白河国造・鹽伊乃自直命(しほいのこじのあたいのみこと)を祀ったのが始まりだと言われています。
治承4年(1180年・平安時代)は、源義経が兄・頼朝の挙兵を知り鎌倉に向かう道中に詣で、境内の松に矢を立て勝利を祈願したと伝わり、祈願をした「矢立の松」が、小さな根元のみの姿となって残っています。 元和元年(1615)には伊達政宗が社殿を改築奉納したと言われ、本殿の棟紋に九曜星、縦三引きの紋が刻まれています。
また、白河藩主・松平定信公はここが白河関跡であるとして寛政12年(1800年・江戸時代)に古関蹟碑を建て、翌年に神庫(かみくら)を奉納しています。
社殿前には平兼盛や能因法師らが詠んだ古歌碑が建っています。
上記解説(動画内で紹介していた)のサイトはこちらです。(白河市公式ホームページ)
月に1回か2回のペースでこちらの新シリーズを展開することにしました。②回目以降はまとめてある写真とフィルムの束から適当に引っこ抜いて出てきた場所を取り上げています(まさに〝あみだくじ〟方式です)。
〔2021年10月2日のSNSの投稿をそのまま掲載しています。〕
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