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『一遍聖絵』を何度でも読んでみる⑥「法名は随縁と申しける」〔巻第一・第一段〕

 一遍の法名は「随縁」だったのですが、こののち、最初に教えを受けた「肥前国清水の華台上人」より、この名は「しかるべからず」ということで名を「智真」と改めています。

 『例文 仏教語大辞典』によれば、「随縁」とは、「1 縁に随したがうこと。」「2 永遠の真理としての真如の変わらない存続(不変)に対して、縁によって生滅する現象の一面をいう。→随縁真如」とあります。

 2の意味の最後で示されている「随縁真如」とは、「絶対不変の真如が、さまざまな縁に応じて種々の差別相を現すことをいう。真如の二相を説くその一つ。」とあります。また、その対義語である「不変真如」とは、「一切の生滅変化の相を超えた真如そのもの。真如が生滅染浄を超えて不動なこと。」とあります。

 華台上人がなぜ「随縁」を「しかるべからず」としたかという詳しい説明は本文に合わせて後に紹介しようと思っていますが、一遍の最初の法名が「随縁」となった理由について、『一遍辞典』(今井雅晴編、平成元年九月、東京堂出版)には以下のように書かれていました。

 華台の弟子でもある如仏にょぶつ(一遍の父)が、一遍最初の法名の随縁を喜んで賛成したとは思えないが、結局そのままになった。この間の如仏の心情などは知る資料がない。もっとも、「随縁」の語は、『華厳経』などによれば縁起の道理に従う意味となる。南都仏教や天台宗などでは悪い意味ではない。『一遍上人年譜略』によると、一遍が出家したのは天台宗・縁教寺であるという。これは他の確実な資料で確認することはできないが、天台宗の寺という可能性があろう。

 現代でも言葉の持つ意味が、使用される環境や状況、人物によって異なることはありますが、仏教の語には宗派ごとの解釈の違いもあるとは……。ただでさえ七〇〇年の時間はハンデなのに、その時代ではどのように語が受容されていたかを詳細に知り、書かれている内容を正しく解釈するというのが、いかにハードルが高いことであるのかをあらためて思い知らされます。

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