ステった親父の誕生日にBLSのスキルを維持する決意をしてみたりとか

薬剤師は資格をとっても勉強すべきことが多い。
そして何を優先して勉強すべきかは、研修センターや日病薬の病院薬学認定あたりまでは皆様統一見解としてYesと言うだろうけど、その先はケイオスティックだと思うのです。
所属する機関で点数になるものを取れとか、そうでないものには課金乙wwwとか、まぁいろいろあってここらへんから評価軸を「他人がどう思うか」から「自分がどれだけ価値を感じているか」にクラスチェンジする先生方も多いんじゃないですかね。私もそうなんですけど!(ここまでやっと長い前置きがオワタwww)

私は中小病院に務めるしがない薬剤師で、ぶっちゃけ日々のローテーション業務の繰り返しで生きています。なにかやりたくても病院として資源も人員も整ってなく、気がつけばローテーションという円環の理に導かれて、そんなプラスアルファでなんか特別なことをやりたいって気持ちが芽生えても数ヶ月後にはどこにいってしまったやら…という毎日です。

そんな私が、あるときを境にBLSスキルを身に着けなきゃイカンなと思いたち、これは現在までもなんとか継続できてます。熱しやすく冷めやすい私でも継続できてます。
ウチみたいな中小規模で、ICUもなく、ERはいちおうあるけど薬剤師は関与しないよってような病院で、なぜBLSをやろうとするのか??いやいらんだろとか、資格厨乙とか、厳しいおコメントを頂くであろうとは思っております。
資格厨なのはあるかもしれないけど、ぶっちゃけある程度はあると思うけど、でもそのようなおコメントに対して一番攻撃力が高いのは、「親父(心筋梗塞既往あり)が突然死したからさ、そらそういうのも勉強したくなるんすよ」って返し。これでだいたい理解が得られる。

親父が心筋梗塞の既往あって、おそらく2回めの発作に耐えられなかったんだろうと思うけどある日突然死したのは事実です。
そんなとき、いちばんつらいのは母親だよ。私は普段から離れて暮らしているから、今でも実家帰ったとき「あれ、親父はいないか。そういればステったよな。」くらいにしか思わず、今でも夢のなかでは楽しく旅行したり喧嘩したりしているので別に現実にいなくても「まぁ心筋梗塞だったしやがてそんな日も来るだろう、しゃーないな」くらいの感覚です。
そんな感じで、親父がステったというイベントは私のなかで「発作の2回目はないし、しゃーないわな」くらいの解釈でしたが、心の奥底ではけっこう効いているようです。それ以来BLSやACLSという、"心停止の瞬間やそれが始まりつつあるステージから心肺蘇生につなげてく仕事" に対する興味がとても強くなりました。

だけど私の職場ではERに薬剤師が常駐するわけでもなし、おそらく薬剤師が心マをすることはないでしょう。院内には研修医の先生がたくさんいるので、まずバイスタンダーが心マに疲れたら交替するのは彼らだ。彼らが疲れたら常勤医師だ。薬剤師に順番が回ってくるか??回ってこないよね。

だからといって、じゃあ先生がたに任せればいいやって気持ちにもなれないのです。
いつか自分の前に心停止したてホヤホヤの人がいて、医師も看護師もいなく取り乱した一般人しかおらず、自分がつなぐしかない場面があるんじゃないかって思って…
("あの日"に医療職でもない母が、一人で119して指示を受けて心マしたという情景を思い浮かべると胸が張り裂けそうになる。親父がステったという医学的事実よりも、母の心境、いきなりある朝に父がステってて焦る気持ちもそこそこに心マやら現実的な対応を求められてくる状況を思うとそれが一番辛い。)
(そう書くと「マザコンかよ」って思えるかもしれないけど、たぶん父と母を入れ替えても、相当つらい体験だっただろうなって思う。)

母集団がn=1な人の考えだけど、人は急に心停止をする。
予想していた以上に、簡単に心停止をする。

あのとき私がたまたま帰省してそこに居合わせたとして、心肺蘇生手技も完璧にできたとして、もしかしたら蘇生後脳症で家族のことも認識できないままJCS3ケタで数ヶ月ほどの命をつなげただけかもしれない。
いくらうまくいっても、今までどおりに、散歩してしゃべって笑って…ってのはたぶん無理だろう。

でも今なら、薬剤師になりたてのころに見た、療養病床で見た意識も戻らぬ患者に話しかけたり旬の果物を剝いて持ってきて食べさす家族の気持ちもわかります。
それと同時に、医学的にステるのがそういう宿命であって仕方ないというのもわかります。

生きてたら生きてるなりに、ステったらステったなりに、家族はなんとか気持ちに折り合いをつけるものです。いや断言できるほどの経験は私にないけど、自分としてはそう思います。
それでも、急にステったら家族は気持ちの整理をつけにくいようです。医療職をやってたら、まぁ仕方ないかなって思えるところなんでしょうが、どうもそんなふうに理屈ではいかないようです。

家族の受け入れる時間をつなぐという意味でも、突然死するはずの人が生をつなぐことの意義はあると思います。それにもしかしたら現代医学で予測できなかったレベルでの復活もあるかもしれない。統計学的には5%程度ハズレ値が生じます。

だから私はBLS手技を維持すべくこれからも勉強します。
最近その方面の勉強を離れがちで、たまたま今月末の講習に通ったのでなんかそんなことを思い出したり考えたりして、今の気持ちを忘れないために記録をしたところです。

それが誰かの役に立つかどうかはわからないけど、実践する機会に立ち会うことのないほうが良いのでしょう。でも万が一、市中で立ち会ったら、現代の知見でのベストを尽くしたいと決意しています。

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