最近の記事

人間アップデート

人生って、絶え間ないひとつの流れであるようで、そうでもないような気がする。連続的な日常の節目に、わたしたちはなんとなく覚醒(?)みたいなものを迎えて、その段階ごとに自分が生まれ変わっているような気がする。イメージとしてはiPhoneのOSみたいに、わたしたちの意識も節目節目でアップデートされているような、そんな気がしている。 昔の自分の内面についてあまり思い出せないな、と、ふと思ったことがきっかけで、こんなことを考え始めた。自分を取り巻いていた環境、たとえば毎日歩いた通学路

    • 主客融合クッキング

       日常的に食卓に並ぶ料理の名前を思い浮かべてほしい。「焼き魚」「唐揚げ」「茹で卵」「野菜炒め」、、、など。これらに共通するポイントはなんだろうか。美味しいとかではない。そう、受動・能動関係が曖昧になっている、という点である。そもそも「焼き」という行為の主体は人間だ。しかし、「焼かれて」いるはずの魚に「焼き」とついている。食材という客観的な物体の中に、調理法という手段を介して人間の主観的意識が混入している、これは由々しき問題である。しかるに、本来「焼き魚」という言葉は、目の前に

      • 「母」という何か

         先日、マンションの入り口で親子が「おかあさん歩くの速いよー。」「○○ちゃんが遅いのよー。」という会話をしていた。一見、というかどこからどう見ても取るに足らない、微笑ましい日常の風景である。しかし、なぜかそこに至ってわたしは思った、母親のことを「おかあさん」って呼ぶのヤバいな、と。だってわたしは当然「娘」とか呼びかけられていないから。弟のことも「弟」なんて呼ばないじゃないか。弟もわたしのことを名前で呼ぶし。そう考えると、母だけが肩書きで呼ばれているのは相当おかしな話ではないか

        • 「NEO揚げ足とり」のすゝめ

           突然ですが、わたしの趣味は「揚げ足とり」です。性格が悪いでしょうか。陰気臭いでしょうか。いいえ、そんなことはありません。なぜなら、ここでいう「揚げ足とり」に悪意はないからです。前回、「人生を面白くするのは、笑いを生み出してやるという執念だ」との考えを述べましたが、「揚げ足とり」もその執念の一環だと思っています。そう、「揚げ足とり」とは、生活を明るくする知恵なのです。 「揚げ足とり」とは  そもそも「揚げ足とり」とはなんなのか?とお思いでしょう。わたし自身は、「身の回りの些

        人間アップデート