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包括に異動した当時の思い出

こんばんは創です。
1月も終わりに近づきいよいよ令和4年度が終わろうとしています。
うちの法人は異動がある方なので、4月に異動になるかもしれないのですが、今の状況だとなさそうな気はします。
4月で包括は7年目に突入するのですが、最初は酷いものでした。
当時、私は居宅支援事業所を新規に立ち上げ、管理者として1年経ったばかりでした。これからというタイミングだったのでまさかの異動。しかも、聞いたのは3月28日でした。
そうなった経緯というのが、当時の包括管理者が新しく入ってきた社会福祉士と険悪になり、私と入れ替えで異動になったのです。
その社会福祉士は当時で60過ぎていましたが、元商社の営業で田舎のスローライフにあこがれて社会福祉士を取って法人に就職したということです。
関西弁で口が上手く、仕事が絡まなければ「いいおっちゃん」といった印象でした。
異動により社会福祉士が管理者となり私と保健師の3人で包括業務がスタートしました。
そんな状況だったのでまともな引き継ぎがあるわけもなく、自分で資料を読み込んで理解していくという作業でした。
やってみて分かったのですが帳票類の使い勝手が悪い。しかも大半が手書きという、私的には面倒くさいことこの上ないシステムです。
私はとりあえず私だけの仕事の帳票類は使いやすいように作り直しました。
次に問題だったのはケースの記録がそれぞれ紙ベースに行っていて、ソフトを使っているのにあまり活用していませんでした。しかし、この問題は私だけがどうこうできるようなところではなかったので、いつかシステム自体を改善していこうと思ったものです。
人間関係的にも最悪でした。私自身は社会福祉士管理者、保健師両方と上手くやれるのですが、その二人は駄目でした。
私が来る前に殴り合い寸前の喧嘩になったという話を聞きました。
そんな状態だったので7月に保健師も異動になりました。
来てから分かったのですが社会福祉士管理者は包括にいない時に理事長のところに言って色々なことを吹き込んでいたようです。
一緒に仕事をしてみてわかったのはとにかく適当。
「この書類これでいいんですか?」内容が薄い報告書について聞くと
「ええんやええんや、どうせ市役所のおばはん。来年にはいなくなるからな」
こんな感じだったので当時の市の担当課長から目の敵にされてました。
うちの法人部長を呼び出されて説教を受けたことが2回あります。
すごく調子が良いことをいう反面、福祉職としてそれは駄目だろうということも平気でやります。
例えば家族が施設に入れたい認知症の高齢者に対して
「施設に入らなければ生活保護が打ち切られてしまうで」みたいな。
まともにぶつかっていったら異動になった二人の二の舞いになるので、当時の市役所の圏域担当者に愚痴を聞いてもらったりしていました。
管理者は2年で辞めていったのですが、その後も受難が続きます。
救いだったのは後から入った保健師がとてもやる気がある方だったことですね。
続きの話はまた気が向いた時にでも。

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