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ベトナム基本情報|まだまだ発展するベトナム

ベトナム基本情報

ベトナムの正式名称は、ベトナム社会主義共和国で、首都は北部のハノイです。最大の都市は南部のホーチミンです。ベトナムは第2次世界大戦後の1945年にフランス領インドシナからの独立宣言をし、1954年にフランスを追い出したものの、東西冷戦の波に飲まれ南北に分断されていました。その後1965年からベトナム戦争が始まり、1975年のサイゴン陥落でようやく終戦しました。翌年の1976年に現在のベトナムが成立しました。


それからわずか45年、2020年時点で人口は9650万人となり、ベトナム国外にいる外国籍を持ったベトナム人450万人が居ることを考慮すると、既にベトナム人としては世界で1億人を超えています。平均年齢は31歳でインドやフィリピン(23歳程)と比べると極端に若いわけではないのですが、日本の49歳と比較すると大変若い国と言えます。そして既に人口ボーナスの恩恵に授かり、ベトナム経済は好調で、直近10年では平均6〜7%の実質GDP成長を記録しています。ただし、2019年時点のベトナムGDP総額は日本円で約26兆円にとどまり、日本の500兆円と比較すると5%に過ぎません。


それでもなぜベトナムビジネスに魅力があるかというと、少ない資本からでも経済発展の波に乗って大きくなれるチャンスがあるからです。

北部と南部の違いベトナム移住と起業は、どこに生活拠点を置くかで戦略が大きく変わります。ベトナムは北部と中部と南部の大きく3つの地域で異なる文化が形成されています。これはベトナム人自身が一番理解しています。その文化の違いは次の様に表現されることが多いです。・北部は着実な生活基盤(土地や事業)を重視し、お金が入ってもすぐには使わず貯める・中部は自然災害が多く、常に貧困地帯であり、忍耐強く志が高い・南部は農作物がよく取れ、食べることに困らないため、稼いだお金は使い切るこういった傾向にあると言われています。しかしながら、この表現は正しいですがある意味入門編の表現とも言えます。実際にはベトナム戦争以降、急速に人々は移動をしていて、一概に3地域に分けることができないのです。まず、ハノイ(現在のハノイ旧市街周辺)と、ホーチミン(現在のホーチミン1区、3区)は、昔から現在に至るまで非常に豊かで国際的な人々が住んでいる地域です。日本に例えるなら東京の広尾や兵庫の芦屋のような所でしょうか。特にベトナム戦争以前のホーチミン(当時はサイゴンという名前でした)は海外投資の流入で、ロールスロイスやベンツが走り、教育費無料、医療費無料、個人所得税免税という凄い状態で、アジアでも有数のお金持ち都市でした。そして、ハノイとホーチミンが国際的で豊かになることで、その周辺に貧しい農村から人々が流入して、現在の二大都市が形成されていきました。

ステップ1:北部から南部へ

南北ベトナムが統一され、この二大都市は再び一つの国となります。その時点でホーチミンはハノイよりも豊かでした。そのため、北部から南部へより多くの人が移住してきました。現在のホーチミン市郊外や近隣のドンナイ省、ビンズン省には現在もハノイからの移民が集まる地域があり、今でもハノイ様式の生活をしています。例えば米麺のフォーは北部が本場ですが、ホーチミにおいても北部からの移民が作るフォー屋はとても美味しいです。


ステップ2:農村から都市へ

北部の農村から移住してハノイ住民になった人、中部の農村から移住してホーチミン住民になった人、南部の農村から移住してホーチミン住民になった人など、方向はいろいろあれど、基本的には農村から都市へ移住して来た人が大半を占めます。毎年旧正月には、民族大移動のようにベトナム人は田舎に帰りますが、その事実が人々がここ数十年で一気に移住したことを証明しています。ただし、一族で農村からハノイやホーチミンに移住した人々は田舎がないので旧正月に帰省する所がありません。こういう人達に出身はどこかと聞くと「ホーチミンです」と答えますが、先祖は農村出身であることがほとんどです。

この前提で北部と南部の違いを次の記事でより詳しく説明します。


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