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醜いことが許されない世界

noteを開いていただき、ありがとうございます。

はじめまして、さそりです。

最近、世論の動向の指針がツイッターになっている気がしてならない今日この頃。皆様はいかがお過ごしですか?私は嫌ですね、ツイッターが世論なんて。みんな嘘ついてるみたいじゃないですか。

さて、私がこのnoteで綴るのは私の私見でしかありません。なので、どの程度評価されるのか、読んでもらえるのかわからないまま描き進めていこうと思います。

そうですね、ツイッターの長文版くらいの扱いで書いていきます。

本日、テーマにいたしましたのは「醜いことが許されない世界」です。皆様も、自分の醜い部分を3つ考えてください。私の醜い部分は・・・一つ目は容姿が悪いところ、二つ目はゼロサム思考をしがちなところ、最後の三つ目は他者に対して興味がないところです。皆様はどんなことを考えましたか?

一つ目のに「容姿が悪い」つまり外見的な醜さを許さない社会について考えましょう。今、男女問わず、外見的な醜さを気にしている人が多いと思いませんか?例えば、整形手術や、脱毛サロン、トレーニングジム、薄毛など社会にはたくさんの広告があふれています。服装に無頓着であれば陰キャのレッテルを貼られてしまい、女性であればメイクで美しく仕上げなければ人気者にはなれません。私たちは外見を磨かなければ、たちまち社会不適合者のレッテルを貼られてしまいます。素材の美しさよりも、外見的な醜さを努力や財力でカバーすることに価値があるのです。それは資本主義の本質かもしれません。努力こそが最も尊く、価値のある世界。私たちはそれを望みながら、その素養の差がそのまま格差になってしまっている。

では、二つ目にあげた「ゼロサム思考をしがち」これは自分の性格に起因しています。私たちは今、善人であることを強制されています。ポリティカルコレクトネスが少し前から流行りだしました。私たちは思想や性質まで善であることを求められ、醜い考えを持つことを許されません。かつてリベラルという考えは個人の思想や信条の自由を謳いましたが、今は正義や善、正しさを押し付けています。そして、多くの人が誰が考えたかもわからない”ふわっとした正しさ”を個人の頭の中に求めているのです。

そして最後にあげた「他者に興味がないところ」、これは対人姿勢を指します。現代の社会では関わり合いを持たないこと、友好的でないことを許されません。善良なる我々人類は善良なる他者を褒め、愛し、慈しまなければなりません。紛争は酒を酌み交わし対話で懐柔させ、統一した思想で染めていきます。そして、懐柔できない醜悪な善良でない人を敵として弾圧するのです。興味がない、意思を表明できないような人間に対しても「愚か」「勉強が足りない」「努力不足」と攻撃姿勢を変えません。

さて、私の考える私自身の醜さは許されていますか?今はまだ、許してくれる人が大勢います。ですが直にそれも許されなくなるでしょう。私は正義を掲げる人が増えれば増えるほどあっという間に「醜いことが許されない世界」になってしまうと考えています。私を構成するほとんどが醜いものだと思います。今はまだ、醜いことを許さない人は日本の一部です。自由を愛する人たちが私たちを守ってくれています。彼らはきっと私を守っているとは考えていないでしょう。自分の愛するコンテンツ、欲望、社会、経済、価値観、思想。そういったものに忠実であるただのエゴイストかもしれません。

美しく理想的な外見、機知に富んだ理想的な思想、誰をも平等に扱う理想的な関係性を持ち合わせた人など存在できないのです。なぜなら、私たちは趣味嗜好が自由であり、統一された意思を持っていないのです。誰かにとっての美徳は、誰かにとっての醜悪なのです。私たちは個人の持つ醜い欲望を失うことはできません。そしてそれは、絶対的な美徳でもなく悪徳でもないのです。綺麗な理想だけで構成されるような社会は絶対に訪れません。

私がこのようなことを書こうと思ったきっかけは「宇崎ちゃん」の献血ポスターにフェミニストを自称する多くの女性が、ポスターに描かれた「宇崎ちゃん」を性的搾取の象徴と言いだしたことです。なぜ、醜い欲望を表にだしてはいけないのでしょうか?なぜ、宇崎ちゃんというキャラクターは現実的で理想的な美を持ち合わせた体型にしなければならないのでしょうか?フェミニストの方々は男性の考える女性的な体型に対する押し付けだと声を上げておりました。しかし、実際に旧来の女性的な美に囚われているのはフェミニストのみなさまではないでしょうか?デフォルメされたキャラクター造形に愛らしさを感じることが、男性の考える女性らしさを押し付ける事になるのでしょうか?何故、フェミニストの方々は胸の大きな女性を男性の理想と勝手に決めるのでしょうか?私がフェミニストだとしたら、巨乳女性だけでなく、貧乳女性、垂乳根の女性もまた美しい!と声を上げるでしょう。きっと貧乳や垂乳根が好きな男性も賛同したに違いありません。何故、自分たちが何となく作り上げた正しさを絶対的な正しさとしてしまうのでしょうか?そして、反対意見を表明する者や声を上げない者を敵視するのでしょうか?

新しい病気の蔓延で世の中は確実に混乱しています。弱った人間は絶対的な正しさに救いを求めてしまうでしょう。正義とは簡単に作れるのです。でも、自分の抱えた醜さを、自分の抱えた悪を正義や美徳にしないでください。そして、正義を振りかざして醜い誰かを攻撃しないでください。私がこのnoteの冒頭で取り上げた私自身の醜さが、きっと私以外の誰かにとっては何でもない個性であるように、あなたが潰そうとしてる醜さは誰か自身であり、あなたの抱えた醜さなのですから。

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