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 どうやってぶちのめしてやろうかとそればかりを考えていた両親に捨てられ、そのまま私は東京の親戚の家に引き取られたのだが、今度は私がそこを追い出された。
 捨てられた、というよりも両親は家出したのであって、つまりは彼らは自分で自分の家から脱走したということなのだが、大の大人が、それも実の親が十六の娘を置いて行方を眩ませるものかと今となっては呆れるしかないものの、そうするしか方法がなかったのだろうと私も少しは大人になっている。
 だからといって私は二人を許したわけではない。いつかはぶちのめしてやろうと握り締めた拳を常にポケットに忍ばせているのだが、何せ居場所がわからない。どこにばっくれたのか、見当も付かない。

 あの日私は駅前のスーパー『タカギ』でいつものように万引きをして家に辿り着くとそこは見慣れているのに違和感だらけの、気持ち悪さだけが充満した空間と化していた。帰る場所を間違えたかと私は玄関から片足だけを出してから中と外を交互に三回ほど確認してから、徐々にその状況を理解し始め、そして涙が溢れてきた。
 悔しさでも、怒りでもなかった。それは一種の恐怖だった。追い込まれると人というのはここまでやるのかという、その種の恐怖だった。実の子に怯え、四十を過ぎた大人二人が示し合わせて遁走したのだ。事前に計画を練り、運送会社だが引越業者を手配し、私の外出中を狙って夜逃げよろしくまだローンの残っている家から出て行った。その姿を、こそこそなのか、それとも、びくびくなのか、いずれにしても自分の家から逃げる二人の大人を想像し私はただひたすら悲しくなった。

 私はかばんに突っ込んでいたジャイアントコーンを壁に投げ付け、少し溶けたクリームがベチっと音を立て、かつて、というよりも、つい数時間前までリビングと呼ばれていた部屋に転がるのを放置して床にしゃがみ込んだ。
 食事とかお風呂とかどうするのかと、それまでコンマ一秒だって考えたことのなかったリアルな生活に思いを馳せ、それが私を焦らせたが、もちろん、こうなってみて初めて親のありがたみがわかる的な、そんなお涙頂戴系の話に落着させたいわけではない。

 そんな日常の些末なことはどうにでもなるのだ。ではどうするのかとそのとき訊ねられたとしても答えられなかったが、現にこうしてなんとかなっているのだし、おそらくはこれから先もなんとかなるのだろうからそんなことは問題ではなかった。私がそのとき最も懸念したのは、ぶちのめす相手がいなくなったということだった。今日はどうやっていたぶってやろうかという、その対象が目の前から消え去ったということであって、それは私にとっては日々の生きる糧、その糧がなくなったことを意味し、途方に暮れたのであった。

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