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表紙のコミュニケーション(2013)

表紙のコミュニケーション
Saven Satow
Feb. 23, 2013

「本の表紙を変えても、中身を変えなければ駄目だ」。
伊東正義

 2013年2月19日、Amazonは、去年1年間の日本国内での売り上げが7300億円余りに達したことを明らかにしている。これは国内最大手の楽天を上回る規模である。

 この結果は、書籍をめぐる環境にもネットの影響が非常に大きい実態を改めて確認させてくれる。書籍のネット購入が増加し、なおかつ電子書籍も徐々に普及しつつある。こうした市場動向に出版社も対応せざるを得ない。その一つが表紙の簡素化だろう。

 80年代に出版された書籍の中には、非常に凝ったブックデザインも少なくない。蓄積されてきたブックデザインの知識・技能を踏まえつつ、意欲的な試みが提示されている。知的な内容を簡潔な表紙で提供しては、岩波新書のように、お硬く見えてしまう。知的であればこそ、ブックデザインはおしゃれでなければならない。

 知的でおしゃれが80年代のトレンドだ。坂本龍一が関係した書籍は知的でおしゃれなデザインの好例である。高橋悠治との対談『長電話』(1984)はセルロイドのカバーがつけられ、手にとってその感触まで味わえる工夫がされている。

 けれども、ネット上で書籍を紹介する場合、通信速度や解像度等の条件から表紙には軽い画像が好まれる。特に、携帯端末の普及に伴い、小さい画面でわかるようなシンプルで、印象の強いデザインが求められる。そもそもネットで本は触れない。目で見て買うほかない。

 こうなってくると、伝統的なブックデザインのノウハウだけでなく、認知心理学の成果も参考にする必要がある。本の表紙もインターフェースだというわけだ。

 本の表紙が後々まで語られるケースは必ずしも多くない。奇をてらっても、一発屋芸人よろしく、その時限りで、後は忘れられてしまう。

 最も表紙が有名な書物の一つとしてトマス・ホッブズの『リヴァイアサン』(1651)が挙げられる。この著作は近代政治学の古典であり、今日においてもなお示唆を与えている。独創的な大著の中で展開される作者の主張をまさに表紙が要約している。

 『リヴァイアサン(Leviathan or the matter, forme and power of a common-wealth ecclesiasticall and civil)』の表紙は、現在、インターネットで容易に見ることができる。表紙よりも扉の方が正確である。進歩した印刷技術によって可能になった細密な銅版画である。それは大きく上下に分かれている。

 上半分には、右手に剣、左手に王笏を持った巨人の都市を臨む姿が描かれている。前者は軍事的権力、後者は道徳的権威を表わしている。その権力と権威を併せ持つ巨人こそ主権者たる国王である。しかし、その国王像をよく見ると、無数の市民によって構成されている。市民から自然権を委ねられた強力な国王が統治することで、国家が存立する。

 下半分にはタイトルと著者名をはさんで左右に5つずつの絵が示されている。左側には軍事力を物語る要塞や兵器等、右側には威を指す教会や聖職者等が配置されている。下半分は剣と王笏の具体的なイメージ画像である。『リヴァイアサン』の表紙は内容の諷刺画である。

 読み書きのできない人や英語を解さない外国人であっても、この表紙を見れば、その内容のエッセンスが把握できる。ホッブズの主張は文字を通じて表わされているけれども、そこから自律して世界に伸長する可能性がある。その時代を離れて現代の読者も理解しているのだから、表紙のコミュニケーションが効果的に機能している。

 読まなくても、表紙だけで中身が直観的にわかるのでは、この作品を後半生に亘って書いたホッブズの労苦はどうなるのかとなりそうなものだ。しかし、これはあくまでアブストラクトであって、ページを開けば、そこには時代を超えても色褪せない知的営みが待っている。彼の人間や自然、社会を機械と見なす考えはラディカルで、情報革命の先駆者でもある。

 今の書籍には印象が残るものの、何を意味しているか分からないものも少なくない。そうした表紙は内容を象徴する絵柄ではなく、恣意的で、理性よりも感性に訴えるのが目的となっている。サンボリストやシュルレアリスト気取りもいるが、読んでみて中身のなさをごまかすための方策かと思うこともしばしばである。

 書籍の表紙は象徴を利用したコミュニケーション媒体である。『リヴァイアサン』のように、記号を効果的に用いれば、表紙で内容の要点も示し得る。記号に関する知識を充実させ、もっと試みるべきだ。

 ただ、諷刺の表紙には送り手と受け手の共通理解が不可欠である。この共有が見出せないために、表紙に曖昧なイメージを載せたり、説明文を入れたりしている。

 歴史的な書籍の転換期なのだから、表紙についても本質的に再検討されてもよいはずだ。新たな学問的知見を取り入れながら、読者と共通認識を確認し、印象にとどまらない新たな表紙のコミュニケーションが実践されたなら、書籍はさらに変わっていく。それは今までにない快楽が読書に加わることでもある。
〈了〉

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