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グッドモーニング,レボリューション(19)(2014)

19 ノイズ
 何だったかなあ、昔読んで、おぼろげな記憶なんだけど、どの本だたかも忘れちゃったけど、確か、頼朝が比叡山に行った時、一人で石段を登って行くんだよ、家来に待ってろって言ってさ。そん時、雨が降ってる。雨に打たれたまま、待ってるわけよ、黙って立ったまま。これ、新しい人間像。当時としてはね。だって、それまでは貴族。麻呂だぜ。天皇に言われても、雨の中ぬれねずみで待ってるわけないじゃん。つまり、運命があって、それを受動的に受け取るのが貴族だったけど、武士は能動的に、つまりどうせ死ぬなら華々しくいったれと行く。宿命観も違う。無常もそう。

 こうしてお勉強物話してるとさ、思い出すよな。子どもの頃ってさ、ラジオは先生。何かあれこれ考えたり、悩んだりするわけじゃない?若いとさ。そんな時に、ラジオはちょっと人生の先輩の兄貴がいろいろ教えてくれるってとこあるよ。テレビはお茶の間だけど、ラジオは自分に話しかけてくれる。

 話す側に回ってさ、ラジオにはラジオ特有の認知があるってわかる。ラジオのリテラシーね。リテラシーって読み書き能力のことじゃん?読むだけじゃなく、書けなきゃあると言えない。ラジオもさ、聞くだけじゃなく、話すことしないと。リテラシーを、まあ~、その~、なんだ~、身につけなならん。初めてラジオに出た時、気配を消せって注意されてねえ、まだ覚えてる。誰か話してるとするでしょ?その時に、「うんうん」とうなずいたり反応を示しているのはダメなのよ。普通の会話の時は、相手が反応してくれないと、「つまんないのかな?」とか思っちゃうでしょ?だから、うなずいたりすんだけど、それはラジオではダメ。自分が話していない時は、気配を消さないと、話してる人の邪魔になるってわけ。ラジオ出身の人がテレビ出ると、自分が話していない時、ぼーっとしてるでしょ?吉田照美さんとかね。あれラジオがしみついてんだよね。こんあこと、出たことない人、知らないよね。

 そういうわけですね。ラジオは話し言葉だから、滑舌がいい方が聞きやすいし、文を短く、繰り返して印象づけるけども、文法的に少々おかしくても平気。日本語は同音異義語が多いから、誤解されないように、字が浮かぶように、これは有名だけど、例えば、「しぜん」だと混乱するから、見る方は「目線」にするとか。ただ、映像がないんで、言葉は抽象的だから、話し手と聞き手がイメージを共有できるように、具体的な描写が要る。

 ラジオで、中継ってあるでしょ?その時、聞いてる人に場面の情報を与えないといけない。ここがどこで、いつで、どんな感じかといったエスタブリッシイングなコメントが要る。「はーい、今、私は荻窪教会通り商店街にきていまーす。JR荻窪駅北口の駅前に政友があるります。その正面が青梅街道に面していまして、横断歩道で渡ると、そこが教会通りの入り口になります。今日は縁日ということで、聞こえるとおうんですが、結構にぎやかですよ。人通りは…歩くと人にぶつかるくらいで、ああごめんなさい。いやー、道幅が二メートルくらい名ですけど、出店もあってそこに人が立ち止ってますから、実質半分くらいなんですかね、そこで一歩歩くともう人にぶつかりますから。にぎわってますよ。ちょっとお話を聞いてみましょう」。場面を話し手と聞き手が共有した上で、話が進む。これしないと、聞く方は疑問で話を聞くどころじゃない。

 映像化する時には、監督のイメージを俳優やスタッフが共通認識するために、絵コンテを使う。いい監督は概していい絵コンテを描くもの。黒澤監督や岡本喜八監督はたぶん絵コンテがしっかりしてる。絵コンテの悪い監督の作品は時代を超えて楽しめるものにならないと思う。粗いんだよね、構図が。ついでに言うと、ここ何年かな、テレビや映画のドラマに少女マンガの原作を使うでしょ?あれって、絵コンテがすでにマンガとしてあるからというのも理由だよ。マンガで撮影関係者が認識を共有できる。でも、マンガと映像は違うからいい傾向じゃないね。

 話戻すと、声ってのはやっぱり印象を聞く方は受けるわけだから、内容よりもそっちが強く残ることもあるんで、ニュース読むアナウンサーがニュートラルをこころがけるのもそのせい。

 テレビでネット連動番組とか言ってるじゃん?NHKの「NEWS WEB」とか。でも、あのフォーマットはラジオだよな。アナウンサーがいて、日替わりのコメンテーターがいて、その日の話題のニュース・トピックをとりあげて、専門家に話を聞いて、視聴者の意見や感想を番組で紹介する。これって、ラジオのニュース・バラエティと同じだよな。電話がメールやツイッターに代わっただけ。もう終わったけど、四谷の『梶原しげるの本気でDONDON』や赤坂の『アクセス』とかと変わんない。あ、そうか、今、QR、四谷じゃねーんだ。浜松町か。新社屋で「絶景かな絶景かな」ってか。つまんねーことしやがってなー。「四谷赤阪麹町、ちゃらちゃら流れるお茶の水、粋な姐ちゃん立小便」って語呂がいいのによー。それはともかく、ネットってすでにあった問題を増幅してることを見なきゃいかんぜ。

 QRといやさ、今はフリーなんだけど、QRのアナウンサーだった梶原しげるさんが「シーベル梶原」という芸名で、まあ「シーゲル」はユダヤ系の名前なんだけど、イングリッシュ演歌を歌ってるのね。演歌の歌詞を英語に直訳して歌ってるんです。王様がロックを日本語に直訳して歌ってるけど、その逆だよね。その中から矢代秋野『舟唄』を聞いてもらいましょう。タイトルは”Boatman’s Song”。

 嗚呼、港の酒場に男が一人。杯傾け、何を思うか、一人酒。そんな無口な男の心情をシーゲル檝綿が切々と歌いあげます。お聴きください、”Boatman’s Song”、それではどうぞ。

Sake a little warm is the best
sakana a toasted squid is fine
Ladies the quiet type is the best
Lights softly burning would be fine
Shimi jimi drinking shimi jimi
Only memories go on by
If a teardrop happens to fall
I start singing the boatman's song

Make off shore seagulls drink very much sake
And with the lovely lady sleep
in the morning

A decoration less bar is the best
Seeing the port from the window is fine
Without any hit songs would be fine
the steam whisle sometimes sounding is fine
Horohoro drinking horohoroly
My hear is crying silently
When I think then of then and her
I start singing the boatman's song

Potsupotsu drinking Potsupotsu
Old memories come back to me
Late at night when I get only
I start singing the boatman's song

 シーゲル梶原の“Boatman’s Song”、みなさんどうでしたでしょうか?

 ネットが登場してね、これは社会をよりよくできると期待して利活用していくでしょ?しばらくすると、それを反転させて悪用するのが出てくる。なぜって、ネットはあくまでツールだから。国際的NGOが活躍していると、それを反転した国際的テロ組織も出現するでしょ?アルカイダみたいに。で、ウェブ2.0って発想がちょっと前に普及して、ロングテールは聴いたことあるでしょうけどそれも含んでるんで、これを使って民主主義を進化させられると考えると、その同じ方法を使ってテロに悪用する動きが出てくる。イスラム国はそうだね。「だから、新しいメディアに飛びつくんじゃない」じゃないんだよね。メディア・リテラシーが必要だってこと。もちろん、そこには倫理がなきゃいけない。”Ethics based Literacy”で、それを考えるリテラシー・スタディーズも要るね。絶対悪用する奴が出てくるから、そうした動きが現われたら、見逃さず、社会としてボヤのうちに消すこと。一旦燃え上がったら、消すのは骨が折れる。放置してて、いつの間にか消えるなんてのは甘い考え。もしそうなら、差別は消えてるでしょ?

 あるメディアが登場すると、あれもこれもと可能性が試されるんで、インフレを起こす。でも、新しい別のメディアが登場すると、本来の使い方に収縮していく。つまり、等身大になる。ラジオも街頭ラジオとか家族団欒で聴くとかあったけど、今はパーソナルに聞かれるよな。

 こういうことやってて言うのもあれだけど、インターネット・ラジオはラジオじゃない。てゆーか、ラジオの原理にあってない。ラジオの原理は音素修正。知ってる?認知心理学の用語だね、うん。心理学ってのは、主観と客観がどう違うのかとか、何で違うのかを考える。心理学は心を研究すんでしょ?なんてのは、はっきし言って、誤解。ま、あるセンテンスをさ、無音、つまり音がしないことの無音ね、その無音できると、何を言ってるか聞き取れない。ところがだ、ところがね、これが驚きだ!雑音で同じように切れると、聞き取れんだな、これが。
 ちょっこしやってみんべえ。

 ヨ オ は っこ い。

 ば何言ってっ乾かんねー。少なくとも、この耳には聞き取れねえ。今度はノイズね。

 ヨ…オ…は…っこ…い。

 な、わかるんべえ!「ヨーコ・オノはかっこいい」。不思議だよなあ!

 何でこんなことが起こるのかてーと、無音は音がないと認知するんだけど、雑音だと、別の音がさえぎられたとなるわけだよ。例えばさ、でっかい木、樹木だよ樹木、木があって、その横からしっぽが見えてるとすっと、動物が陰に隠れてると思うよな。まさか、しっぽだけいるとは思わんだろ?情報を補うわけだよ。音も同じ。これをアモーダル補完って言う。モーダルってのは見るとか聞くとかって意味で、アは否定の接頭辞。アトムって聞いたことあるっしょ?原子のことだよな。原子。あれはギリシア語で「分けられる」って意味のトムに否定の接頭辞アをつけて「分けられないもの」で、原の子よ。だから、アモーダル効果は見えない、聞こえないものを補って認知するってこと。雑音で切れると、今までの経験とかからさ、脳が情報を補ってセンテンスを修復するのよ。ノイズは聞き取りにくくするどころか、音なしより人間の認知には合ってる。ラジオってのはよくできってたろう?ネットラジオは雑音がねーけど、切れることがあったろ?昔ながらのラジオがいいのよ。

 ヨーコ・オノと言えばさ、かっこいいよなあ。80すぎてんだぜ。バカ野郎、お前らのばあさん見てみろよあんなかっこいいばあちゃんいるか?女ならあの人を目指さなきゃ!20年近く前かな、『PLAYBOY』にレズビアン対象にした面白いアンケート調査の結果が載っててね、「この女性がレズビアンだったらよかったのに」という項目のトップがヨーコさん。同性から見てかっこいいってこったよな。まあ、気持ちはわかるな。帽子あみだに被って、サングラス鼻眼鏡にして…くーっ、かっこいー!

 では、そのヨーコ・オノの曲を聴いてもらおうかな。『キス・キス・キス』。

Kiss, kiss, kiss, kiss me, love
Just one kiss, kiss will do
Kiss, kiss, kiss, kiss me, love
Just one kiss, kiss will do

Why death? Why life?
Warm hearts, cold darts

Kiss, kiss, kiss, kiss me, love
I'm bleeding inside
It's a long, long story to tell
And I can only show you my hell

Touch, touch, touch, touch me, love
Just one touch, touch will do
Touch, touch, touch, touch me, love
Just one touch, touch will do

Why me? Why you?
Broken mirror, white terror

Touch, touch, touch, touch me, love
I'm shaking inside
It's that faint, faint sound of the childhood bell
Ringing in my soul

Kiss, kiss, kiss, kiss me, love
Just one kiss, kiss will do

 ちょっと過激かな?でも、オルタネイティブだからこれくらいせんとね。はっきし言って、日本のラジオ局は特徴がない。じぇんぶ聞いたことがあるわけっしゃないけど、特徴がねーよな。ここも?そうか?じゃあ、自己批判をこめて言うけど、アメリカのラジオ局は個性的。理由は長距離運転するんで、CDとかダウンロードしたファイルとか持って行ってもやっぱ飽きる。だから、ラジオが重宝なのよ。だいたい専門局だから、その日の気分でどっかにダイヤル合わせて聴く。飽きたら別んとこ聴きゃあいい。まあ、気分つっても、カントリー好きがメタルの局に合わせるこたーねえだろうけど。そうやって聴かれるわけだから、そりゃあ局も個性的にならんとやっていけんわな。


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