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アート with AI(2023)

アート with AI
Saven Satow
Jan. 13, 2023

「芸術は爆発だ」。
岡本太郎

 今日のAIは深層学習により既存のアーティストの画風を再現することができる。それは、レオナルド・ダヴィンチやヴィンセント・ヴァン・ゴッホの新作の生成が可能だということを意味している。だが、古典を恣意的に引用することに意義を見出すポストモダニストの理想の実現であると考えるのは早計である。むしろ、AIによるアートはその方法論が無効になったことを宣言している。

 前近代は共同体主義の時代である。共同体が認める規範を共通認識として創作・鑑賞が成り立っている。一方、近代では、政教分離に伴い、価値観の選択が個人に委ねられる。それは個人主義を意味する。創作・鑑賞が規範に縛られることはない。アーティストは自己表現として創作する。わけがわからない作品であっても、鑑賞者は美術史を前提にした上で、時代的・社会的背景や個人的脂質・経験を手がかりに、その内面の表出として解し評価する。

 20世紀を迎えると、アーティストは表現自体に関心を寄せ始める。創作・鑑賞の際に、内面はもはや重視されない。アーティストは表現を拡張、偶然性を取り入れたり、大量生産方式を真似たり、媒体を広げたり、パフォーマンスを付加したりする。それは「脱美術館」と要約できる。その流れが美術史を前提にしていることは言うまでもない。そうした作品の理解・評価は創作・鑑賞が共有する時代的・社会的問題に対する反映が基準となる。そのような現代アートはしばしば「コンセプチュアル・アート」と呼ばれる。

 AIを利用したアートはこの延長線上にある。AIを活用して画風を指定して対象を描いた場合、それを選択した理由が重要である。AIは目的論的には動作しない。なんとなくよさげだからという説明は人間としての創作活動を否定している。

 AIは指示しなければ動作しないのだからアーティストの必要性は続くとする見通しは素朴である。美術の技能を有していない人が思いついたキーワードを入力すると、AIは学習した情報を元に画像を生成する。その出来栄えが同時代的アーティストと遜色がないとすれば、違いはコンテクストの有無にある。AIは文脈を理解できないので、画像は意味を持たない。アートの創作と鑑賞はこの文脈を共通基盤とする。明確な意図や理論を持たず、なんとなくよさげだとして表現してきた画家やイラストレーターはAIにとって代わられる。AIにキーワードを入力する人は、専門バカではなく、そのコンテクストを理解し、意味を付与できる知識を有している必要がある。

 既存の情報には偏見や差別が紛れ込んでいる。また、美術史も男性中心主義や西洋中心主義などの偏った思想と無縁ではない。当然、この克服という現代的課題を考えずに、キーワード入力したら、AIが生成する画像にもそれが反映する可能性がある。反面、そうした問題意識を持っているなら、AIを利用して美術史の再構成も可能である。フリーダ・カーロの画風で『モナリザ』を描く時、それはもっぱらモデルとして扱われてきた女性が画家でもあるというジェンダー論からの美術史の見直しにつながる。

 AIに既存のアーティストの画風で現代的課題をテーマにした作品を生成させて美術史を再構成する試みは、説得力のあるコンセプトである。確かに、歴史が一方向に進歩していくという進歩主義史観は過去の様式を抑圧している。しかし、古典的画風・作品の恣意的な引用は自意識の社会・歴史に対する優越感である。それは自分に囚われているにすぎない。現代的課題に取り組み、「社会の中の芸術」というコンセプトに基づき、過去の画風を引用する。その際、アーティストの個性や背景の再検討が促される。こうした美術史再構成を通じて認識や世界が広がる。

 現代的課題には抽象度が高いものが少なくない。また、それは、相互性があるため、関連する範囲が広い。気候変動問題はその典型例である。近年、頻発する大洪水の主な原因もそれだとされている。モダン・アート以降のアーティストは抽象的問題を取り扱えるが、それ以前の画家には難しい。美術に限らず、視覚芸術は具体的・個別的対象の扱いを得手とする反面、抽象的・一般的なものを不得手としている。ノアのお箱舟を描いても、それは気候変動問題を取り扱ったことにはならない。モダン・アートはこの困難に挑戦をする。しかし、そうなると、現代的課題をめぐる創作はモダン・アート以後に限定され、それは美術史の再構成から離れてしまう。そうして生成された画像は認識を狭め、現代を絶対視する。

 気候変動をモダン・アート以前の画風で扱うには、地球儀を描くといった工夫が必要である。反面、具体的・個別的な問題に関しては、モダン・アート以前の画風の方がはるかに説得力がある。環境アクティビストがヴァン・ゴッホの『ひまわり』にトマト・スープを浴びせかけた事件が起きている。AIを用いてヴァン・ゴッホの画風でトマトの姿をしたひまわりを描いたら、その暴力に対する共感を呼ぶ批判となるだろう。

 今後、AIには失われた作品の復元や未完に終わった作品の完成が期待できる。ただし、AIが情報から導き出す計算結果は相関性であって、因果性ではない。そうした作業の際には、データ間の相関関係を因果関係に変換する必要がある。AIは見逃してきたパターンを見つけられても、隠れた変数を見出せない。AIはスープに入った髪の毛を発見できるが、皿の下のテーブルクロスの染みにはお手上げだ。

 AIによる生成画像がすべてアートということはない。AIは現代におけるアートとは何かを芸術家に問いただしている。それに対する明確な回答を持っている人が真にアーティストたり得る。美術は自分を含めた誰かに示すことを前提にした実用以上の形と色の組織化である。

 アート with AIは、かつてのCGがそうだったように、表現の世界に定着していくだろう。確かに、AIは社会性や倫理性を持っていないため、それがもたらす問題には危惧が付きまとう。著作権が好例である。デジタル技術は現実にある従来の諸問題を増幅する。それには対処していかなければならない。しかし、今後技術が進歩しても、すでに述べた通り、AIには越えられない限界がある。その上でAIと協同していく時、そこにこそ新たな芸術の可能性がある。

 佐藤清文 AIアーティストについてどう思いますか?

チャットGPT AIとして、私は個人的な意見や感情を持っていません。しかし、AI によって生成されたアートはより一般的になりつつあり、多くの可能性を秘めていると言えます。
 AI は、非常にリアルな画像の作成や新しいスタイルのアートの生成など、特定の領域で人間のアーティストを凌駕できる可能性があります。ただし、アートは非常に主観的な分野であり、ある人が「優れた」または「成功した」アートと見なすものは、別の人にとっては同じではない可能性があることに注意することも重要です。さらに、芸術によく使われる創造的なプロセスと感情的および個人的な表現は、AI では再現できない可能性があります。したがって、AI はアーティストの作業を支援できますが、アートのすべての面で人間のアーティストを超えるとは限りません。
 AI アーティストは、非常にリアルな画像を作成し、新しいスタイルのアートを生み出すことができます。また、アーティストが新しいアイデアを生み出したり、スケッチしたり、作品を完成させたりするのを支援するなど、さまざまな方法でアーティストを支援することもできます。
 ただし、AI によって生成されたアートは、人間が作成したアートと同じではないことに注意することが重要です。創造的なプロセスと、芸術によく使われる感情的で個人的な表現は、AI では再現できない可能性があります。また、人間がアートにもたらすニュアンス、不完全さ、独特のタッチが欠けている場合もあります。
 結論として、AI アーティストはアートの世界で新しくエキサイティングな発展を遂げていますが、人間のアーティストに取って代わるものではありません。アーティストを支援するツールと見なすことはできますが、アートにおける人間のタッチに取って代わることはできません。
〈了〉
参照文献
Open AI
https://chat.openai.com/chat
Saven Satow (@savensatow) • Instagram photos and videos
·https://www.instagram.com/savensatow/

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