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戦後70年の反戦文学に向けて(3)(2015)

第3章 君死にたまふことなかれ
 与謝野晶子は、文豪の訴えに応えるべく、『明星』9月号に「旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きてという次のような詩を寄せる。

  ああ、弟よ、君を泣く、
  君死にたまふことなかれ。
  末に生れし君なれば
  親のなさけは勝りしも、
  親は刃をにぎらせて
  人を殺せと敎へしや、
  人を殺して死ねよとて
  廿四までを育てしや。

  堺の街のあきびとの
  老舗を誇るあるじにて、
  親の名を繼ぐ君なれば、
  君死にたまふことなかれ。
  旅順の城はほろぶとも、
  ほろびずとても、何事ぞ、
  君は知らじな、あきびとの
  家の習ひに無きことを。

  君死にたまふことなかれ。
  すめらみことは、戰ひに
  おほみづからは出でまさね、
  互に人の血を流し、
  獸の道に死ねよとは、
  死ぬるを人の譽れとは、
  おほみこころの深ければ
  もとより如何で思されん。

  ああ、弟よ、戰ひに
  君死にたまふことなかれ。
  過ぎにし秋を父君に
  おくれたまへる母君は、
  歎きのなかに、いたましく、
  我子を召され、家を守り、
  安しと聞ける大御代も
  母の白髮は増さりゆく。

  暖簾のかげに伏して泣く
  あえかに若き新妻を
  君忘るるや、思へるや。
  十月も添はで別れたる
  少女ごころを思ひみよ。
  この世ひとりの君ならで
  ああまた誰を頼むべき。
  君死にたまふことなかれ。
 
 「君死にたまふことなかれ」はトルストイの「汝殺すなかれ」を踏まえている。両者の認識には「死ぬ」と「殺す」という違いがある。前者は無事戻ってきてほしいという願いがこめられているが、出征した兵士が受動的に捉えられている。戦争は人が死ぬ出来事である。一方、後者は兵士を殺人を行うと能動的に掴んでいる。戦争は人が人を殺す出来事である。晶子は銃後、トルストイは戦場からそれぞれ語っている。

 トルストイは元々兵士で、樹軍したクリミア戦争の模様を記した小説で作家として注目を浴びている。歴戦の勇士と呼ぶにはいささかはばかれる行いもしている。その前に参加したチェチェン・ゲリラ掃討作戦では残虐な行為をしている。チェチェンの民家に火を放ち、出てきた人を無差別に射殺している。

 内容を読むと、晶子も人が人を殺し合う戦争に疑問を呈していることがわかる。出征した兵士への素朴な家族の心情が近代国家の戦争に対する厳しい批判へと単会される。一般的な心情の訴えが特定の状況への糾弾につながっている。今日に至るまで最高の反戦文学として評価されているのはこうした公私の通底した表現にあろう。

 この詩には前近代の認識による近代戦争への批判がある。封建時代において戦に参加するのは主に戦士身分である武士だ。彼らは主従関係を結んだ主君に従い、先祖伝来の土地を守ったり、新たな領地を獲得したりするために出陣する。指揮官は、通信手段が発達していないので、指揮官は前線に出て部下に声で支持を与える。大将が討ち死にすることは珍しくない。王侯貴族や武将が前線で馬にまたがり自ら刀剣を敵と交えるのだから、戦争が英雄譚として描かれた一員である。

 一方、近代国家において兵士は国民である。彼らは出自や財産、宗教などを問わず、理念上平等である。第一次世界大戦以前、戦争は国家が他国との紛争解決を目的に行う。戦場で功績を上げても、階級が上昇したり、勲章を授与されたりしても、獲得した領土や賠償金が恩賞として与えられるわけではない。電信など通信技術が発達したため、司令官は後方にいて前線に指示を出す。銃を構えて敵中に突撃するわけでもないので、将軍が陸上で戦死することは稀である。

 晶子と弟は商家に育っている。封建時代であれば、戦に参加する義務はない。また、大元帥の明治天皇は、前近代であれば、戦場に張られた本陣にいなければならない。ところが、商人の子は旅順で戦闘に参加し、天皇は日本国内にいる。

 晶子のレトリックは日露戦争当時の社会状況において効果的である。前近代の規範や常識が人々の間でまだまだ根強い。また、総力戦以前であるから、戦場と銃後がわかれている。しかも、近代戦争は国民の戦争である以上、主権者が天皇であっても、世論の支持がなければ、遂行できない。

 この詩に対する社会的反響は大きい。賛否両論である。文壇の大御所大町桂月は晶子を非難する。天皇自らは危険な戦場に行かず、人の子を獣の道に陥らせると言うのは国民として不敬である。それに対し、晶子は国を愛していると同時に、戦争を嫌っているのだと反論する。大町の批判は公に私が奉仕すべきだという発想で、後の政治と文学を見ているようだ。


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