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土曜授業と学力格差(2014)

土曜授業と学力格差
Saven Satow
Apr. 29, 2014

「『子どものため』は大人の身勝手。子どもは『人質』ではありません」。
寺脇研

 2014年4月27日付『朝日新聞』によると、文部科学省は学校週休二日制を改め、土曜日の学習を復活させるため、必要な関係省令をすでに改定している。ただ、それは12年前への回帰ではない。学校のみならず、市域や企業の協力に基づくものだ。

 こうした文科省の方針転換には土曜日を有意義にすごしていない子どもたちの多さが要因の一つとしてあげられる。13年4月、同省は、全国学力調査に合わせて、約230万人の小中学生を対象に土曜日のすごし方に関するアンケートを実施する。その結果、2割が「テレビを見たり、ゲームをしたりしている」と回答している。

 自民党は、12年末に政権を獲得した際、その公約の一つに土曜授業復活がある。その理由は「世界トップ級の学力」を実現するためとしている。しかし、この公約は曖昧で、直観主義的でしかない。日本教育の現状と課題、対策に関する専門的理解を欠いている。

 教育は身近である。そのため、一般的に自身や家族の体験に直観を交えて意見を主張し、専門的な知見や動向を省みることはしない。実感が実態を軽視ないし無視させる。体験が認知バイアスをもたらすので、政治家の思いつきや思いこみが世論の支持を得やすい。しかし、話せるだけでは日本語を外国人に教えられないものだ。教育は特殊なコミュニケーションに基づいており、専門的な知見・訓練が欠かせない。直観がそのままで通じることはない。

 日本では、政府が時々の教育課題に対してとる対策が効果的でないことがしばしば生じる。課題と対策の間に整合性が乏しい。しかも、その検証が十分に行われないまま、次の課題と対策へと関心が移ってしまう。それどころか、政治家や識者が自分の価値観に基づいて課題をつくり出すことさえある。そんな偽の問題は現場を混乱させるなど事態を無駄に悪化させる。

 日本の教育における伝統的課題は学力格差である。教育の自由化論議の際に悪しき平等主義などと批判したものがいたが、真に笑止千万だ。成績上位と下位、すなわちできる子とできない子の間の差が大きい。TIMSSやPISAといった国竿比較可能な学力調査においても、上位に位置する国・地域の中でも格差傾向が顕著である。この状態が続いてきた一因はしばしば行われる教育改革が課題の改善に適していないからだと考えられる。

 TIMSSは国際数学・理科教育調査(Trends in International Mathematics and Science Study)の略称である。国際教育到達度評価学会(IEA)が小・中学生を対象として実施している国際比較教育調査であり、知識の習熟度を調べる。03年以降の調査は国際数学・理科教育動向調査と日本では呼ばれている。一方、PISAは生徒の学習到達度調査(Programme for International Student Assessment)の略称である。経済協力開発機構(OECD)が15歳の生徒を対象に実施している国際比較教育調査で、読解力・数学知識・科学知識・問題解決を調べる。前者が伝統的、後者が新しい学力の調査を主眼としている。

 国際比較教育調査の結果が発表されると、対象学年の各教科・項目の平均点のランキングがメディアを通じて報道される。しかし、日本の場合、注目すべきはそれぞれの学力格差のデータである。ここでは言及している余裕はない。03年と07年のTIMSSの格差をめぐるデータを調べ、さらにその間にとられた政府の対策が有効であったのかを考察するのも一興である。はっきり言って、失敗の検証に使える。

 1970年代のアメリカの経験から、習熟度別学習は格差を縮小させるどころか、拡大しかねないことが明らかになっている。一方で、協同学習を採用しているフィンランドは学力格差が小さいことで知られている。学習は多様なコミュニケーションによって共進化するというわけだ。格差は、学習が個人主義的な競争に基づくと、大きくなる。この観点では、親の経済格差が子どもの学力に反映されやすい。なお、以下の言及は一般化であり、それに反する個別の事例は当然ある。

 フランスの社会学者ピエール・ブルデューは、社会の公正と民主主義を実現する制度の一つが学校であるのに、階級や階層、人種、性といった差異を再生産する装置と化していると批判する。彼は学校文化を「象徴権力」、親の学歴や教育歴、文化環境などを「文化資本」と名付ける。高学歴で社会的に成功した親は教育の意義を認めているので、子にもその投資をかけるに違いない。また、裕福な家庭には、書物やCD、DVDなども多数所有しており、子はそれに触れる機会も多い。さらに、親と多様な話題で会話・議論する子は思考する習慣が身につく。他方、逆の境遇の子にはこうした文化資本が乏しく、学習意欲や教養も少ないだろう。親の文化資本の格差が子の学力に反映されると言うわけだ。

 この格差の相関性が日本でも認められるのかどうかについて意見が分かれてきたが、14年3月28日に文科省が発表したリリースはそれがあることを裏付けている。同日付『朝日新聞夕刊』によると、同省は全国学力テストに合わせ、778校の小学6年生と中学3年生の保護者にアンケートを実施、約4万人から得た回答を用いて、家庭環境と子の成績の関係を分析する。その結果、親の年収や学歴が高いほど、子の学力もよい傾向を示している。加えて、家庭での読書量や親との会話が多い子の正答率が高いことも明らかとなっている。

 日本はもともと学力格差が大きい。文化資本の差が子の機会の不平等につながるとしたら、社会における経済格差が拡大している現状では、その課題がさらに悪化するということになる。

 小3の国語Aにおいて、年収200万円未満の平均正答率が53%、1500万円以上は75.5%である。同じく算数Bでは、200万円未満45.7%、1500万円以上71.5%である。中学でもほぼ同様の傾向が示されている。

 A問題は知識中心お伝統的学力、B問題は知識の活用を問う新しい学力に沿っている。A問題を対象にしているのがTIMSS、B問題がPISAである。ただし、それらの結果を見る限り、B問題の好成績者はA問題もよい傾向を示している。知識を活用するにはそれを習得していなければならない。自然科学、特に数学は抽象的な記号操作を伴うので、それが身についていると、A問題の成績がよくなる。それは抽象的思考が発達していることなので、B問題でも好成績を得られる。

 また、塾などの学校外教育への月額支出と正答率の関係も分析されている。小6算数Bは支出なしが48%、5万円以上が76.2%である。他の学年・教科でも支出と正答率の相関性が認められる。なお、年収と学校外教育支出は比例している。

 さらに、子の成績は親の学歴、特に母親のそれと相関性が強い。中3数学Bを例にしよう。父親が高卒37.6%、大卒51.4%であるのに対し、母親は高卒36.6%、大卒58.1%である。

 他にも、幼少期に本の読み聞かせをしてもらった経験がある。家庭で本や新聞を読む習慣がある。勉強や成績について親と話す。こういった環境も学力向上と相関性があると分析されている。

 近代体制は機会の不平等を是正することに取り組んでいる。文化資本の差は親の結果の不平等であるが、子の教育において機会の不平等につながる。親の経済格差が子の学力に反映される傾向がある。しかも、学力格差が従来からの教育課題である。改革はここから始めなければならない。文化資本の差が子の成績を左右する状況を改める方策が必要である。

 今盛んに行われている土曜授業復活は学習時間の確保が主であるが、それは真に素朴である。ただ、方法によっては学力格差の縮小に有効である。多様な学びと体験を考慮しているように、文科省はそれを理解している。

 親の経済格差が拡大する状況での週休二日制は、子の学力の差を大きくする可能性がある。校内が全国一律の学習指導要領に支配された計画経済の世界とすれば、校外は市場経済である。校外の時間が増えれば、それだけ家庭環境の差が学力に反映しやすくなると推測できるからだ。裕福な家庭の子は学習塾やピアノ教室に通えるけれども、厳しい生活環境の子にそんな機会はなかなか与えられない。 

 今日の社会的知能にはコミュニケーション能力が含まれる。これも経済格差が反映する。親に経済力があれば、子どもに体験や交流の幅が広がる。海外旅行やホームステイを始め、多様なコミュニケーションの機会が増える。

 家族や近所だけの人間関係なら、コミュニケーションは情緒的ですむ。けれども、見知らぬ人とは論理性が必要である。相手の話を聞いた上で、筋道を立てて自分の考えを伝える。見聞する世界が広がれば、こうしたコミュニケーション能力も向上する可能性がある。

 家庭の文化資本の差が子の学力格差をもたらさないように、教育関係者はすでにさまざまな努力をしている。学童保育や放課後児童クラブはその一例である。いかなる境遇の子にも学習や体験、交流の機会を豊かにするため、教員志望の学生も含めて多くの大人が関わっている。土曜授業の復活はこの学びと体験の拡充につながるものでなければならない。

 寺脇研京都造形大学教授が土曜授業復活に対して朝日新聞に次のコメントを寄せている。これはその意義と課題について的確に要約している。なお、彼はいわゆるゆとり教育を推進した元文科省大臣官房審議官である。

 週末に多様な学びと体験の機会をつくるのが学校5日制導入の趣旨。土曜の「学習活動」推進の動きはその考えに沿っていて評価できる。ようやく本来の姿に近づいてきたことを歓迎したい。ただし、土曜に正規の授業をやりやすくしたことはデメリットになりうる。平日と同じ授業では土曜に学ぶ意味がなく、教員の負担も増えるからだ。学力テストの順位を上げたい自治体の長が主導して、そうした土曜授業を進める動きが出るだろう。

 伝統的な教育課題に対して土曜授業をどのように活用したらよいかが的確に述べられている。これに付け加えることはない。

 土曜授業復活すれば、学習格差が縮小するほど現実は単純ではない。全国平均を見ると、不登校は一クラスに一人いる比率である。貧困はこの不登校の原因とさえなっている。低収入や失業のためにうつ病を始めとする精神疾患や家庭内暴力に親が陥ることも少なくない。親の関心が希薄になったり、緊張と不安を強いられ精神が不安定になったり、子自身が犠牲者になったりする。学校に来なければ、土曜授業による学力格差縮小は効果を持たない。多様な体験や交流もないだろう。

 学力格差の課題が続いてきた経緯があるのに、土曜に平日と同じ授業を行うようにすれば、まったく改善されないだろう。個人主義的競争の学習と違う発想が必要だ。しかも、親の経済的格差が拡大しつつある。それが子の機会の不平等につながらないように、多様な学び舎体験、交流を教育の場にとりこまなければならない。

 土曜日を「半ドン」とも呼ぶが、これもオランダ人との交流という多様なコミュニケーションの産物である。土曜授業はそれを踏まえて検討するのがよい。
〈了〉
参照文献
佐藤学、『改訂版教育の方法』、放送大学教育振興会、2004年

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