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結婚するって本当ですか(4)(2012)

第4章 モデル不在の時代
 90年代に入ると、日本は長期不況に陥ります。非正規雇用の増加、倒産・リストラ等により転職が常態化し、収入・勤務時間が安定しません。恋愛結婚どころか、お見合いのスケジュールさえ組めないケースが増えます。それは男女共に見られる状況です。結婚したとしても、高度経済成長期のようには配偶者の収入は増えません。かつて結婚は男女の対等合併ではなく、吸収合併にすぎません。それを考慮すると、女性としては現実主義的選択をせざるを得ません。けれども、家計を支えるのに主婦もパートに出ることが珍しくなくなります。さらに、男女平等参画社会の理念だけでなく、それを見越して、女性も働き続けます。仕事に生きがいを見出したり、少数とは言え、管理職に昇進したりする女性も増えます。寿退社などもはや過去の習慣です。

 MAXのヒット曲『Seventies』(1996)は80年代以降の流行歌における結婚・恋愛観と世代との関係を端的に示しています。夜遊びをした少女が両親に咎められると思い、反論します。自分と同じ年頃には、ママだってビートルの助手席に乗ってレイヤードの髪をなびかせていたじゃない、パパだってディスコのチーク・タイムで誰かとキスをしていたじゃないと言い返すのです。ここには90年代と70年代の違いがありません。自分たちの世代の新しい生き方が提示されていないのです。なお、『Seventies』の作詞は鈴木計見(かずみ)です。

 もちろん、歌っている姿から見て、結婚を意識していると推測できる曲もヒットしています。 安室奈美恵の『Can You Celebrate?』(1997)がそうなのですが、小室哲哉による歌詞がまったく意味不明なのです。このタイトルは英語で何のことかわかりません。強いて訳すなら、『君は乱痴気騒ぎができますか?』あたりでしょう。歌詞本文でも彼の英語は恣意的で、意味がわかりませんので、論じようがありません。考えようによっては、男性の身勝手さを女性に押しつける傾向が依然として強い一例かもしれません。

 2000年代には、この状況が進展します。仕事を求めて都市部に若年層が集まります。そこでは生活コストがかかりますから、婚姻年齢も高くなっていきます。デフレが進むものの、三種の神器に代表される耐久消費財が世帯数に依存したのに対し、この時期から爆発的に普及していくIT商品は個人保有が標準です。結婚しても、あまり節約できません。家族規模の縮小と世帯数の増加は、戦後長らく、耐久消費財の市場の拡大をもたらしています。5人で1世帯よりも、2人と3人の2世帯の方が冷蔵庫の数は売れるわけです。新聞の販売部数も同様です。

 これだけではありませんけれど、諸々の事情により、初婚年齢が男女共に40歳代が珍しくなくなります。当人が40歳代とすると、親の年齢は60~80歳代です。介護が必要ないしその予備軍です。男女間の平均寿命を考慮すると、男親が先立ち、女親一人という世帯も少なくなく、子は彼女を普段から気にしていなければなりません。子が娘の場合、新居と実家との地理的条件が相手を選ぶ際に加味されます。

 家族をめぐる環境がこれほど変わったにもかかわらず、流行歌と結婚の関係は80年代以降の流れが現在も続いています。流行歌自体が音楽単独と言うよりも、他の媒体・イベントと密着しています。2000年代のJポップには、浜崎あゆみを始めとして女性歌手が「ぼく」を使う曲が少なくありません。これは従来男性の用いる一人称です。親世代の持っていた男女の区別を崩すことによるアンチテーゼです。と同時に、「ぼく」には自立していない子どものニュアンスがあります。女性のモデル像が揺らいでいる現われでしょう。Jポップの女性シンガーは、実際、同性から共感・支持されています。ファンは、自分のモデルとして、トータルで受容しているのです。そうした特徴はあるものの、歌詞は未婚や非婚を前提にしており、権利としての結婚の観点から見て、80年代からの進化があまり感じられません。漂泊しているというのが実情なのです。

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