銀輪は唄う(2012)
銀輪は唄う
Saven Satow
Feb. 21, 2012
「ラララ 快速 快速
スピイドあげて
ベルを鳴らして
行こうじゃないか」
ゲルニカ『銀輪は唄う』
2012年2月14日、自転車産業振興協会は、去年1年間に出荷された自転車数が3年ぶりに1000万台を超えたと発表している。国内生産と輸入を合わせて1055万2486台に達し、前年を11.6%上回り、4年ぶりに増加に転じている。
この理由はさまざまに分析されている。一つはっきり言えることがある。自転車は、価格もさることながら、乗れる能力の特性が販売数に伸縮性をもたせていることが認められる。自転車は一度乗れるようになると、長期間離れていても、その能力が失われない。きっかけさえあれば、自転車人口は減少しても、容易に反転する。
初心者が自転車を乗れるようになる際のドラマは、1979年、「ACC CMフェスティバル」でグランプリに輝いた松下電器産業(現パナソニック)の「自転車 特訓篇」でほぼ尽きている。自転車に乗れない弟の特訓に兄が後の荷台を支えるなどして手伝い、それを達成するストーリーである。自転車に初めて乗れた時の弟の感激、それをわがことのように喜ぶ兄の兄弟愛などが描かれた名作である。名村大作監督によるこのテレビCMはCM殿堂入りを果たしている。
自転車に乗る技術は身体知=暗黙知の代表例である。どうすればできるようになるのかを言語化するのが非常に難しい。しばしばこれは「這般の奥義」として語られる。その最たる例が小林秀雄だろう。坂口安吾は、『教祖の文学』において、世阿弥論を引き合いに、小林秀雄が「気の利いたような言い方」で暗黙知を「這般の奥義」によって弄んでいると批判している。小林秀雄以降にもこのような文学上の「教祖」が何人か出現している。安吾によれば、「這般の奥義」を語るこうした「教祖」の評論を受け入れる社会は「幼稚」である。その「文学上の役割」はこの「幼稚」な「方法」を人々に学ばさせて、「先生の欠点が鼻につく」ようにさせることにある。
暗黙知を「這般の奥義」とわかったつもりになることは自己完結的な認識である。それは暗黙知に、自己対象化・相対化もせず、依存しているにすぎない。安吾に従えば、暗黙知とは何であり、いかなる過程で習得されるのかを文学上に表現することは、「幼稚」からの脱却につながる。
一度自転車に乗れるようになると、長いブランクがあっても、またできてしまう。こうした身体で覚えることは非陳述記憶である運動記憶に属している。脳科学の成果によって、運動記憶には小脳の働きがかかわっていることが明らかになっている。大雑把に言うと、こうなる。運動の学習は大脳から身体の各部位への神経信号で行われると共に、小脳にも伝えられる。トライ・アンド・エラーを繰り返している間に、間違った指令は抑圧され、適切な動作の記憶が小脳に蓄積・形成される。できあがった回路は長期間の維持可能な身体知、すなわち暗黙知となる。ただ、その詳細なメカニズムは現在でも研究が続けられている。
自転車の走行を解析すると、左右に傾きながら、進んでいることがわかる。ペダルをこぐと、左右いずれかの力を入れた足の方に体が傾く。倒れた方向にわずかにハンドルを切ると、自転車は円運動をし、円の外側に向かって遠心力が働く。この力により傾きが停止して、正しい乗車姿勢へと立て直してくれる。これは関係式にまとめることができる。
どれだけハンドルを切らなければならないかは、走行速度とその傾きの関数で表わされる。非常に簡略化した条件を想定し、走行速度をv、回転半径rと重力加速度gの積をPとする。急ハンドルを切らなければならない割合はPをvの2乗で割った値Kとして求められる。低速なほど、ハンドルを大きく切らなければならない。さらに、走行速度が大きくなると、角運動量保存則と慣性の法則により、走りが安定する。だから、手放し運転もできる。
この関係式には、実は、三角関数を用いる。ここではそれを使わず、記号のみで表わしたのは、公理系の発想である。この式は汎用性を持っている。低速のスタート時のみならず、コーナリングにも応用可能である。
しかし、この式は人間にはまったく役に立たない。初心者にこれを教えて自転車に乗れるようにはならない。また、習得者がこの関係式を自覚しているわけでもない。従来の文学が暗黙知を扱うときに達人技や人間ドラマとして捉えるのを克服しようと、これを導入すればいいと思うのは早計である。この式の有用性は、自転車に乗れる二足歩行ロボットを開発する際に、バランス制御の点で使えることだろう。コンピュータは計算して制御するので、こうした方程式が不可欠である。
式は役立たずでも、ペダルをこぐと、左右に傾き、それを補正しながら進んでいるという解析は有用である。運動記憶の形成にはトライ・アンド・エラーが欠かせない。サドルをまたいで、ハンドルを握ってすぐに自転車に乗れるようになる方法論は現時点ではない。ただ、練習中にすり傷だらけになったり、恐怖に怯えたりする心身への過度の負担を軽減することは可能だし、期間短縮もできる。初心者にとって難しいのはこのバランス感覚である。これを効果的に体得できるプログラムを考案すれば、初心者も自転車に比較的容易に乗れるようになる。
自転車の運動学習はトライ・アンド・エラーである。自転車の技術革新の過程も、実は、試行錯誤である。自転車の暗黙知の明示化にはその歴史が参考にできる。今日、自転車の有用性や娯楽性、競技性は社会で常識化している。そのために、人々は、子ども時代に、特訓して乗れるようになる。けれども、自転車が生まれた頃にはそんな通念はない。
歴史は現在を相対化する。変化の過程から見れば、自明視されている形態や認識もある条件下での一つの選択肢にすぎない。
1817年に自転車が誕生した時、ブレーキもペダルモついていない。ドイツのカール・フォン・ドライス男爵が自転車の原型を発明する。これは「ドライジーネ」と呼ばれ、サドルにまたがり、ハンドルを切りながら、足で地面を蹴って進む乗り物である。彼は上流階級向けのレジャー用品としてこれを販売、「ホビー・ホース」とも呼ばれて欧州各地で人気を博している。この自転車のヒントの一つになったのは、17世紀末に貴族の間で流行した「セレリフェール」で、馬車の車輪を前後に一個ずつ並べた娯楽用の乗り物である。自転車は、元々、馬車や乗馬に起源を持っており、ブレーキもペダルも本質的なパーツではない。
1839年、スコットランド出身のカークパトリック・マクミランの自転車にブレーキが装備される。ブレーキがペダルよりも優先されて自転車に組みこまれたというわけだ。1861年、フランスのピエール・ミショーがペダルを付け加えた自転車「ミショー」を考案する。以後、自転車は工芸品から工業品へと発展していく。
近代的な工業製品としての最初の自転車は巨大な前輪で知られる「オーディナリー」である。速度が格段に大きく、スピードの魅力を人々に印象付けている。貴族のみならず、一般にも普及したが、操縦が難しく、このモデルがこれ以上発展することはない。代わって、チェーンを用いて後輪を駆動することで、大きな車輪を不要とする現在につながるタイプが登場する。1885年、イギリスのジェームズ・スターレーが安全性の高い「セーフティー」を開発し、自転車は市民権を完全に獲得する。
このように歴史を遡行すると、自転車の本質的な構造は前後に並んだ車輪の上にサドルとハンドルが組まれたものであって、ペダルはブレーキの後に装備された周辺部品であることがわかる。ペダルのないドライジーネの頃は、特訓もせずに、自転車に乗れるようになっている。初心者でも、ドライジーネのように、ペダルをこがなければ、すぐに乗れる。足で地面を蹴って、自転車のバランス感覚を体得すればよい。
自転車の運動学習の難しさは、バランス感覚が記憶できテいないのに、ペダルをこぐことにある。それを体得していれば、ペダルをこぐ動作を始めても、転倒することはない。
足で蹴れば、速度が上がるが、続けていないと、落ちてきて、ふらふらしてくる。自転車の場合、バランスをとるのが難しいのはこの低速の状態である。それを会得すれば、高速では走行が安定するので、困難はほとんどない。安全に走って、安全に曲がり、安全に止まる。これができれば、自転車をマスターしたと言える。
この方法論自体は、NHKの『ためしてガッテン』を始め、すでに各種のマスメディア上で紹介されている。ペダルはつけていても外してもかまわない。邪魔なようなら、自転車とのコミュニケーションの妨げになるのなら、とり外せばよい。自分でできなくても、自転車屋に持ちこめば、簡単にやってくれる。最初は、地面に足の裏がつくくらいにサドルを低く設定しておく。これで転倒の危険性はまずない。
ちょこちょこ蹴って身体を自転車に慣らさせる。徐々に両足ではなく、左右交互に蹴るようにする。力を入れて地面をキックすれば、速度が上がり、航続距離も伸びる。地面を蹴る間隔を次第に長くしていくと、低速でのバランス感覚が身についてくる。身体を左右に傾け、曲がる感覚を体感する。また、とまるではなく、とめる感覚も会得しておくことが肝要だ。
バランス感覚が体得できたら、とり外した場合は元に戻し、蹴った足をペダルに置いてみる。それに慣れたらば、こぐ動作に入る。最初は進んでいる状態で軽く、次第に力を入れて速度を維持、さらに上昇させる。カーブやストップの感覚も身につける。身体を曲がりたい方に傾けると、自転車は自然とその方向へ進む。ここまでバランス感覚が体得できたら、もう卒業である。ただし、タイヤの空気圧やチェーンのたるみ、ライトなどの整備を十分に行い、乗車ポジションをその自転車にふさわしく調整することを忘れてはいけない。現代で快適に乗るには、自転車の進化の旅をさらにたどる必要がある。
自転車の運動記憶をめぐる暗黙知だけでも、それを形式化しようとすると、脳科学や歴史研究、物理学、コミュニケーション論、心理学、人間工学などさまざまな分野とリンクしていることがわかる。学際化が進展する現代では、対象を考察する際に、それがネットワークとして形成されていることを前提とする必要がある。こうした総合的・有機的な創作は文学が本来得意とするはずだ。
また、暗黙知の明示化は初心者を発見する。初心者はかつての自分自身でもある。文学者がしばしば「這般の奥義」を偏重するのは、卓越したものこそ尊く、月並みなものがとるにたらないという価値観に支配されているからである。しかし、初心者と熟達者が双方向の多様なコミュニケーションを行ってその領域の土壌が豊かになる。文学上の真の財産は傑作ではなく、そこにある。暗黙知を「這般の奥義」として語ることは、両者を断絶し、コミュニケーションを一方向=自己完結的にする。その時、土壌は痩せてしまう。暗黙知と明示知の繰り返されるループを回復すると、文化の土壌はおのずと活性化する。文学的遺産はそうした環境から生まれる。
二人並んで自転車に乗れば
緑の息吹きに小鳥も唄う
ペダルかろやかグングン走る
丘に登れば遠くに見える
あんなに小さな僕らの村さ
夢を語ろう 二人の未来
君はあの夢 僕はこの夢
(ゲルニカ『銀輪は唄う』)
〈了〉
参照文献
坂口安吾、『堕落論』、角川文庫、1957年
(財)自転車産業振興協会
http://www.jbpi.or.jp/
自転車文化センター、「自転車の歴史」
http://cycle-info.bpaj.or.jp/japanese/history/t_history.html