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日本改造計画と集団的自衛権(2014)

日本改造計画と集団的自衛権
Saven Satow
Jun. 28, 2014

「自分のやりたい政治を実現するためには、総理にならない方がいい」。
小沢一郎『語る』

 小沢一郎生活の党代表が1993年に位敢行した『日本改造計画』を開くと、これがこの20年間の政治的問題をほとんど網羅していることに驚かされる。その提起をざっとあげるだけでも新自由主義的経済政策、自由貿易体制の推進、軍事を含めた国際貢献、調整型政治の克服、政権交代可能な二大政党制などである。これらは将来の国家像である「普通の国」実現を目的とする手段として提言されている。

 非常に射程の長いヴィジョンであり、安倍晋三首相を始め右派政治家はそれを超えていない。さまざまな政治家があれこれ自説を主張してきたが、それらは「普通の国」構想の圏内にあると言える。

 ただ、竹下登に代表される従来の政治スタイルへの不満が認められることは確かでも、「普通の国」構想は個人的信念の提示ではなく、当時の政治的文脈から発せられている。その中の軍事的国際貢献は湾岸戦争の経験を踏まえている。

 1990年8月、イラクがクウェートに侵攻、翌年1月、米国を中心とする多国籍軍がサダム・フセイン大統領の国家への攻撃を開始する。この湾岸戦争に際し、当時の小沢自民党幹事長は自衛隊の派遣を方針とし、政府に集団的自衛権の憲法解釈の見直しを求めている。しかし、海部俊樹首相は自衛隊員の派遣に難色を示す。与党からの強い要求に抗しきれず、首相は条件付き派兵の法案を国会に定終するが、やっつけ仕事ということもあって穴が目立ち、参議院で多数派の野党の反対によって廃案に追いこまれてしまう。こうした経緯のもろで限定的に行われた日本の貢献に米国が不満を示す。政府・与党の関係者の間でこの経験が強迫観念になってしまう。

 今回の集団的自衛権をめぐる憲法解釈の見直しをめぐり、14年6月26日付『朝日新聞』「武力容認集団安保でも 陰で動いた外務省」によると、外務省は湾岸戦争が強迫観念となり、それが推進動機の一つになっている、あんな思いは二度としたくないので、変更を関係各位に働きかけたというわけだ。しかし、湾岸戦争の経験から集団的自衛権を容認するべきと考えるのは極めて断片的な認識である。

 過去四半世紀において湾岸戦争は特殊な事例である。イラクがクウェートに対して侵略行為を行い、事実上冷戦が終結した米ソが協調して軍事行動の国際的コンセンサスが形成されている。国家間で起きた侵略戦争に対して国際社会が協調して行動をとるなどという出来事は、それ以降、ただの一度も生じていない。

 90年代に入ってから国際社会が直面したのは国家間戦争よりも内戦やテロといった紛争が主である。グローバリゼーションの進展は国民国家の意義をそれ以前よりも低下させる。世界には国民統合が十分に定着していない国も少なくない。そこで国民国家の意義が低下すると、エスニック集団間の不信の連鎖が増長され、対立が激化する。「戦争(War)」よりも「紛争(Conflict)」の時代の環境において湾岸戦争のような状況は生じていない。

 紛争はだらだらと続く。国民統合の推進が解決策であるから、合衆国の紛争に対する軍事介入も失敗に終わるばかりだ。同盟国もホワイトハウスに求められて軍事行動に参加するが、平和な世界への寄与と言うよりも合衆国との良好な関係のためであっでしかない。国内外の世論の反発を招き、その紛争解決への地道だが確実な方策をとれない。軍事行動に参加した国の関係者は当時地域の人々から信用されない。集団的自衛権は紛争の時代の平和構築に貢献する議論につながらない。

 戦争や紛争のない平和な世界を目指す。これが国際社会の共通理解である。この共通基盤に基づいて安全保障論議はされる必要がある。この一般的・抽象的目的のための有効な手段を検討するために個別的・具体的な事例が検討されねばならぬ。

 一般的・抽象的目的は広く共有できる。しかし、個別的・具体的事例を詳細に検討することに終始しては、細部が断片的にわかるだけで、そこから広く共有される認識が発展することはない。湾岸戦争の強迫観念はまさにこうした局所的な認知バイアスをもたらしている。その検討から普遍的な認識が生じていない。

 それは自公協議から明らかだろう。どのように平和な世界実現に寄与するのかではなく、こうした状況にはどうしたらいいかを中世の運動論よろしく机上の空論に終始している。自民党の意見は我田引水もいいところで、公明党にしても閑話休題せぬまま集団的自衛権の憲法解釈見直しを容認してしまう。この協議はおそらく近代でも稀な観念論的な安全保障論議だったと国際社会の笑いものになるに違いない。日本の安全保障が冒険主義者の非合理的な妄想に支配されていると国際社会を恐怖に陥れたことは間違いない。

 20年の間に小沢代表の提言の多くが実現されているが、彼が喜んでいるようには見えない。提言は「普通の国」実現と言う目的のための手段である。ところが、軽佻浮薄な政権がその手段を自己目的化してしまう。狂言綺語な主張と牽強付会の解釈をしても、付和雷同な勢力が賛同する。日本は普通の国どころか、グロテスクな国へと変わっていく。

 小沢代表は、この間、かつての構想を口にすることを控えるようになっている。その理由は定かではないが、国内外の環境の変化や自身の政治経験など複合的な要因があると推察される。むしろ、事実上撤回したと考えるべきだろう。実際、集団的自衛権の憲法解釈見直しに反対している。彼から湾岸戦争がオブセッションとなった発言を聞くことはない。結局、外務省はあれから成長していないだけだ。

 近年、小沢代表はかつて克服を目指した竹下登に代表される政治スタイルの意義を発見しているように見受けられる。彼は戦後を担ってきた保守本流に回帰している。それがこの20年間の日本の政治における問題設定を行った人物のヴィジョンである。この先見性はおそらく間違っていない。
〈了〉
参照文献
小沢一郎、『日本改造計画』、講談社、1993年
同、『語る』、文藝春秋社、1996年

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