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人類の進歩と調和(2011)

人類の進歩と調和
Saven Satow
Feb. 23, 2011

「予見するために観察する。予知するために予見する('Voir pour prevoir, prevoir pour prevenir)」。
オーギュスト・コント

 映画『ALWAYS三丁目の夕日』(2005)のヒット以来、昭和の戦後期への懐古趣味が流行する、しかし、そこには過去から何かを学ぶと言うよりも、失われた自信の回復という動機が見てとれる。

 戦後を回顧するとき、いささか複雑な言説に覆われているのが1970年の大阪万博である。1970年3月14日から9月13日まで開催された日本万国博覧会は、入場者数や出展パビリオン数など当時としては史上最大規模のイベントであり、高度経済成長のグランドフィナーレと位置づけられている。

 「黄金の10年」と呼ばれる60年代にあっても、66年から70年までのいざなぎ景気の成長率が10%を超え、68年に日本のGNPは資本主義国2位に達している。朗らかで明るい三波春夫の『世界の国からこんにちは』にもかかわらず、64年の東京オリンピックと違い、素直に感受されていない。シニシズムの声さえ聞こえてくる。

 その原因は、おそらく、掲げた「人類の進歩と調和」というテーマに対する当時の社会的・歴史的状況からの反発だろう。実際、開催中、あまりの混雑に「人類の辛抱と長蛇」という皮肉な見出しが新聞紙面に躍ったほどだ。それだけに、このテーマが鮮烈に記憶に残っているとも言える。以後の日本で開かれた展覧会でテーマが思い浮かぶものは皆無である。

 企画された頃と違い、1970年はその「人類の進歩と調和」に疑問が投げかけられる事態が表面化している。高度経済成長によって生活が豊かになったことは確かである。1973~79年、内閣総理大臣官房広報室の『国民生活に関する世論調査』において、「生活程度」を「中」とする回答が9割を超えている。いわゆる「一億総中流化」である。

 反面、その矛盾も噴出する。最たる例が公害である。1970年11月に開催された第64回国会は「公害国会」と呼ばれている。「寛容と調和」を掲げてその座に就いた佐藤栄作首相は、施政方針演説において、「福祉なくして成長なし」という理念を訴えている。同国会では公害関係14法案が可決、環境庁が設置される。

 また、人々の走り続けてきたことへの疑いを営利を目的とする企業も敏感に察知している。1970年の「ACC CMフェスティバル」でグランプリを受賞したのはゼロックスの「モーレツからビューティフルへ」である。

 この意識変化は社会調査からも裏付けられる。統計数理研究所は1953年から5年おきに「自然と人間の関係」という意識調査を実施している。設問は「1 人間が幸福になるためには、自然に従わなければならない」、「2 人間が幸福になるためには、自然を利用しなければならない」、「3 人間が幸福になるためには、自然を征服してゆかなければならない」、「4 その他]である。調査の度に、1が減少、3が増加してきたが、73年を境に、1が上昇、3が激減している。2に関しては調査開始から現在に至るまでほぼ一定である。70年前後より自然からの過度の収奪を反省するトレンドが生まれたと推測できる。

 1971年、市井三郎成蹊大学教授が『歴史の進歩とはなにか』において、科学技術のもたらす苦痛、すなわち不幸の軽減を今後の課題と提言している。こうした異議申し立ては突如出現したのではなく、高度経済成長の進展する中で次第に現われてきている。

 1965年に刊行された見田宗介東京大学助教授の『現代日本の精神構造』がその代表である。彼は『読売新聞』の「人生相談」を分析し、その不幸の類型を「欠如と不満」・「孤独と反目」・「不安と焦燥」・「虚脱と倦怠」に分けている。太陽が傾き始めると、影は長くなるものだ。

 こうした状況では、「人類の進歩と調和」と言われても、人々がそれを素直に受け入れられない。けれども、その反発はこのテーマが基づいている思想を理解した上で発せられたわけではない。「人類の進歩と調和」は、オーギュスト・コント(Auguste Comte)の「秩序と進歩(Ordre et Progrès)」と関連して把握するべきであって、それは反時代的どころか、極めて現代的な問題を言い表している。

 このエコール・ポリテクニーク出は、1822年、過去の安定的な「秩序」と未来への革新的な「進歩」の対立を超えた新しい幸福な社会の確立を『社会再組織の科学的基礎(Plan de travaux scientifiques nécessaires pour réorganiser la société)』において構想する。そこで、フランス革命に国王と人民のそれぞれに過ちがあったと指摘している。前者は未来への改革的な進歩を見逃したことであり、後者は過去の基盤的な秩序を蔑ろにしたことである。しかし、後者の方が前者に比べてマシであり、その点で、革命は肯定され得る。

 幸福な社会実現のために、「進歩は秩序の必然的目的」であり、「秩序は常に進歩の根本条件」である。コントは幸福な社会実現を実証的に研究する学問として「社会学(Sociologie)」を創始する。社会の進歩を扱うのを「社会動学(Dynamique social)」、秩序を考察するのを「社会静学(Statique social)」と分類したが、後の社会学者は後者のみを強調し、前者には背を向けている。現にある社会の分析こそが社会学者の仕事であり、「進歩」はイデオロギーにすぎないというわけだ。

 このコントの提言に感銘を受けたブラジルの人たちは、1889年、共和制に移行した祖国の国旗に「秩序と進歩(Ordem e Progresso)」と書き入れる。これは今日に至るまでブラジル連邦共和国のモットーである。

 大阪万博の「人類の進歩と調和」はこの「秩序と進歩」を踏まえている。それは、むしろ、既存の社会学者以上にその原点に向き合っていたと言える。と言うのも、このテーマは幸福な社会の姿を見据えているからだ。もちろん、そこで描かれた世界があまりに楽観的だったことは確かである。けれども、それは「人類の進歩と調和」を高度経済成長のグランドフィナーレとする見方に基づいているのであって、別の観点から捉えると、異なった様相を示す。

 70年代は後に「持続可能性」と呼ばれる方向性を世界が模索し始めた時期である。当初、それは素朴な反文明主義や神秘主義、オカルトへの関心も招いている。けれども、次第に、人々は文明を棄てることなどできないと気づき、調和のある進歩を考えるようになる。不幸の軽減は幸福の条件であっても、目的ではない。その過程で世界的に認知されるのが「持続可能性」である。今日、この概念に立脚していない政治・経済・社会の動向はあり得ない。

 「人類の進歩と調和」は持続可能性社会の幕開けと捉えるべきだろう。進歩へのシニシズムが素朴な懐古趣味と同じように建設的ではないことはもはや明らかである。幸福な社会に向けたヴィジョンとしてそれはかつて以上に重要になっている。大阪万博の提出して幸福な社会像をたたき台にして、持続可能性社会の試行錯誤が繰り返されている。あのお祭りを日本の戦後史ではなく、世界史の流れから考える時がきている。
〈了〉
参照文献
市井三郎、『歴の進歩とはなにか』、岩波新書、1971年
中川清、『現代の生活問題』、放送大学教育振興会、2007年
見田宗介、『現代日本の精神構造』、弘文堂、1965年
コント、『社会再組織の科学的基礎』、飛謙一訳、岩波文庫、1950年 
懐かしの大阪万博
http://www.expo70.jp/
統計数理研究所、「自然と人間との関係」、2009年
http://www.ism.ac.jp/kokuminsei/table/data/html/ss2/2_5/2_5_all.htm

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