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07年参院選後と『椿三十郎』(2007)

07年参院選後と『椿三十郎』
Saven Satow
Aug. 01, 2007

「この道しかないと意識しているとたいてい、歩き方が下手になる」。
森毅『森毅の忍法武芸帖』

 今回の参議院議員選挙で自民党は歴史的惨敗を喫したのに、安倍晋三首相は議席数が決定する前に早々と続投宣言をしている。しかも、投票の前に自民党の幹部たちの間でこの路線で決着していたようである。

 その理由として与党から聞こえてくるのは、誰に代わったところで、議席が増えることもないという無気力かつ無責任な声である。つまり、自民党にはポスト安倍の人材がいないというわけだ。

 しかし、これは正確ではない。考えてもみよう。あの彼にでも務まっている。岸信介の孫以上に政治的リーダーとなりうる議員はまだまだ自民党にもいるだろうし、これほど惨めな内閣を率いることもない。

 安倍首相の選挙後の振る舞いは、よき敗者にはほど遠く、「みっともない」の一言につきる。参議院選は政権選択ではないと言っても、そもそも安倍首相は総選挙の洗礼を受けていない。いわゆる郵政選挙による数にものを言わせ、人々の要求する政治の優先順位など無視して、自分の空疎な物語「美しい国」に耽溺しているだけだ。彼にとって議論などというものは儀式でしかなく、言葉もとりあえずのものにすぎない。「

 「改革の実績」をアピールしていたが、選挙では、改革は将来への期待であり、実績は過去への評価を指すのであって、支離滅裂である。選挙期間中に政権選択を口にしていても、総理総裁の権限を盾にして、往生際悪く、じたばたしている。責任というのは権限に伴うものであるのに、それを悪用して責任をとらないというのは言語道断である。選挙に勝てる顔として選ばれたにもかかわらず、選挙では惨敗している。

 危機に対しておどおどして目をしてもたもたした対応しかできない。また、強情で、人の忠告は聞き入れないくせに、国会で追求されると、ヒステリックになる。だいたい、拉致問題に取り組む政治家として有権者の間に知られたものの、その問題に関しては小泉政権よりもはるかに後退した結果しか出せていない。この人物が続投して、教育改革だ、憲法改正だなどというのは笑止千万だ。

 総理総裁の人材がいないのではなく、それを支える老獪な仕切り役の人材が今の自民党にいない。安倍首相を辞めさせられ、その後2年先くらいまでの道筋が立てられる調整能力を持ったしたたかな大物政治家、言ってみれば、故竹下登首相や故金丸信自民党副総裁のような狸がいないというのが実情である。殿様の人材はいても、名家老が見当たらない。

 今ならさしずめ森嘉朗元首相辺りがその任を追うべきだろうが、いかんせん、技量も人望も不足している。何しろ、「大阪はタンツボ」と失言したことのある人物だ。

 かつて故竹下登首相は「小渕の後にはもう人材がいない」とこぼしていたそうである。本来、故小渕恵三元首相は総裁ではなく、仕切り役に適任だったのだが、それを総理総裁に引っ張り出さざるを得なくなってしまった結果、調整役がいなくなっている。

 期待されていた小沢一郎現民主党代表も、自民党を離れてしまっている。

 大きく変化させればさせるほど、ついて行けない人はどうしても増えるし、失敗した場合は、目も当てられない。世界の変化に対応すべく、頃合を見極めつつ、少しずつ、慎重に変えていくというしなやかさとしたたかさというのは決して批難すべき政治姿勢ではない。

 自民党的保守政治は、こうした仕切り役による調整によって運営されていたといっても過言ではない。1998年の参議院議員背虚で自民党が44議席の獲得に終わり、橋本龍太郎首相が辞任し、後任として小渕恵三総裁が選出された瞬間に、すでに内部崩壊が始まっている。

 今回の選挙結果に際し、小泉純一郎前首相の政治によって自民党の支持基盤が壊れたことを一因にあげる声も聞こえる。けれども、それが可能だったのは自民党の内部秩序の崩壊がったからである。選挙結果のいかんにかかわらず、参議院で法案が否決されたからといって、衆議院を解散するという無茶は、海部俊樹内閣の頃であれば、絶対にできないどころか、首相は辞任していただろう。

 黒澤明の名作『椿三十郎』には、そうした知恵者が出ている。加山雄三扮する伊坂伊織ほか若手の武士は城代家老睦田に、次席家老黒藤と国許用人竹林の汚職粛清の意見書を指し出たものの入れられず、大目付菊井に諭されて、ひそかに社殿に集まっている。けれども、たまたまそこに居合わせた三船俊郎演ずる椿三十郎は、城代家老が味方で、大目付が真の黒幕だと忠告する。人から馬鹿と思われても気にしないところがすでに大物であり、相当の狸だというわけだ。実際に、その通りで、結局、この汚職問題は城代家老が巧みに処理する。一件落着した後、一同を前に、城代家老はこう言う。

「わしに人望が無かったことがいかんかった。このわしの、間延びした顔にも困ったものだ。昔のことだが、わしが馬に乗ったのを見て、誰かこんなことをいいよった『乗った人より、馬は丸顔』」。

 山本周五郎の原作にもかかわらず、この映画には斬る場面が多い。黒沢監督は改変している。しかし、これを耳にするとき、政治問題は暴力で解決しないことを黒澤監督は示している。実際に危機を陥った際に、主人公たちを救っているのは暴力ではなく、知恵である。暴力シーンが過剰であればあるほど、その虚しさが際立つ。

 こうした人材のいない政党が政権を担っていることが問題である。今回の参院選後の状況がそれを告げているのであって、報道されている以上に、事態は深刻だ。
〈了〉
参照文献
御厨貴、『「保守」の終わり』、毎日新聞社、2004
森毅、『ええかげん社交述』、角川Oneテーマ212000
黒澤明、DVD『椿三十郎』、東宝ビデオ、2002

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