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名前から見るイラク戦争(2003)

名前から見るイラク戦争
Saven Satow
Apr. 05, 2003

「人は三つの名前を持つ。両親が生まれた時につけてくれた名前、友達が親愛の情を込めて呼ぶ名前、そして、自分の生涯が終わるまでに獲得する名前である」。
ユダヤの格言

 古代ローマの喜劇作家プラウトゥスは「名は予兆なり(nomen est omen)」と言っています。名前は、時として、その持ち主の未来の予兆となってしまうということです。確かに、そう感じることも少なくありません。今度のイラク戦争とそれに至る過程でも、不思議なことに、その指導者の名前が皮肉を含めてまさに「予兆」となっています。

 まず、合衆国の側から見てみましょう。ジョージ・W・ブッシュ大統領の「ジョージ(George)」はキリスト教の聖人の一人である聖ゲオルギウスに由来します。この名前の原義は古典ギリシア語で「農夫」です。これは地上の悪の象徴であるドラゴンを退治する殉教者ゲオルギウスにあやかって、キリスト教社会において、広く使われています。

 この伝説はメソポタミアに古くから伝わる豊潤神話から影響を受けています。メソポタミアとは、言うまでもなく、今のイラクです。また、聖ゲオルギウスの伝説に、時代を経るにつれ、さまざまなエピソードが付け加わっています。

 その中に、第1次十字軍が苦戦してアンティオキアを攻撃しているときの話があります。白い甲冑を身にまとい、白馬にまたがり、白地に赤い十字の旗を掲げて登場し、彼らを勝利に導いたというのです。ブッシュ大統領は、浅はかにも、対テロ戦争を宣言する際に、自分たちを「十字軍」だと発言し、父親から諌められています。

 強硬派の急先鋒ドナルド・H・ラムズフェルド国防長官の「ドナルド(Donald)」は、スコットランドの主要言語だったゲール言で、「世界」や「支配」という意味があります。ドナルドは、本来、スコットランド系の名前でしたが、現在では、その限りではありません。また、リチャード・B・チェイニー副大統領の「リチャード(Richard)」は、ラテン語で、「支配」と「厳格な」という意味を持ちます。

 その上、リチャードにも、次のようなエピソードがあります。第3次十字軍において、華々しい活躍を見せ、「ライオン・ハート」と呼ばれたイングランド王リチャードは聖ゲオルギウスを自らの守護神と信じています。

 1222年、オックスフォード教会会議で、聖ゲオルギウスはイングランドの守護神とされます。イングランドの旗は聖ゲオルギウスが掲げたという白地に赤の十字のデザインを採用します。この「セント・ジョージ・クロス」は英国の国旗ユニオン・ジャックをスコットランドやアイルランドの旗と共に構成しています。そのイギリスは、今回、積極的にブッシュのアメリカによるイラク戦争に参加しています。

 ブッシュ政権において貴重な国際協調派コリン・L・パウエル国務長官の「コリン(Colin)」はキリスト教の聖人の一人聖ニコラウスに由来します。聖ニコラウスはアンティオキアの改宗者で、サンタクロースのモデルと言われています。彼にちなむ名前は最も早くクリスチャン・ネームとして普及しています。

 もちろん、時と共に、多くのエピソードが加わっています。この名前は古典ギリシア語の原義では「勝利」や「人々=兵隊」ですが、ゲール語で「わんぱく小僧」や「子犬」の意味もあります。

 次に、イラク側ですが、その前に、アラブには、原則的に姓の制度がないということを理解しておかなければなりません。自分の名前の後に、父親の名前、次に祖父の名前を重ねます。さらに、出身地や出身氏族の名前をつける場合もあります。ただ、中には、自分の名前が嫌いなため、日本など非アラブ社会に住む際、父親や祖父の名前で呼ばせる人もいます。

 サダム・フセイン大統領を日本のメディアは「フセイン大統領」と呼んでいます。けれども、フセインはサダムの父親の名前ですから、かの人物を正しく指しているとは言えません。海外のメディアは、ですから、「サッダーム・フセイン」という名称を使っています。

 彼の父親の名前である「フセイン(Hussein)」の原義は「良い人」です。また、「サダム(Saddam)」は「勇猛な人」です。さらに、長男の「ウダイ(Uday)」は「朝陽」、次男の「クサイ(Qusay)」は「遥かな」という意味です。これらの名前は、察しの通り、アラブ社会では、メジャーな名前ではありません。

 なお、正統のアラビア語には、「エ」と「オ」の母音がありません。「フセイン」ではなく、「フサイン」と表わした方が適切です。ペルシア語ですと、この「フサイン」は「フセイン」となります。

 このように名前からイラク戦争を見てみると、一連の動きの中で、名の意味やエピソードが再現していることに驚かされます。指導者たちが自分の名前を意識して行動しているわけでもないでしょう。むしろ、歴史がエピソードの集積であり、現に起きていることがその茶番なのだと知らしめてくれるのです。
〈了〉
参照文献
梅田修、『世界人名ものがたり』、講談社現代新書、1999年

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