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紙と饗宴 ─ポストモダンとニュー・アカデミズム(8)(2004)

8 ニュー・アカデミズムのアーカイブ——浅田彰と浅田彰以後
 浅田彰はこうした電話性を実践している。それはシンポジウムの司会者として能力を発揮していることからも明らかであろう。司会者は問題を要約し、質問を繰り返す。けれども、アンリ・ポアンカレ流の「答えることではなく、問いを発し続けることが重要だ」というわけではない。彼はアルゴリズムを編み出す。マクルーハンの『メディアの理解』によると、クールなメディアを代表するテレビにおいて、視聴者は固定されたイメージを受け取るのではなく、固定しやすいイメージを期待する。それはルックスに限定されない。おしゃべりや対話の能力も含まれる。「テレビはプロセスの相互作用やあらゆる種類の形式発展を他のメディアでは表現不可能なやり方で開示できる」。浅田彰はこうした哲学を具体化させている。メディアを通じて、人々は情報を入手する。だが、決定に際しては、メディアの影響以上に、家族や友人、周囲、ネットを通じた情報交換、おしゃべりが最も重要となっている。「人間はたいてい、内容より印象で受けいれるものだ。学会の講演ですら。ましてテレビともなると、人はたいてい、日常のなにかをしながら、ブラウン管を眺めている。語りかけられる内容に神経を集中していることもない。それだけにかえって、対人関係の防衛から無防備になってもいる。それで直接に、その印象が伝わっていく。(略)考えてみれば、これだけ多くの人間のネットワークのなかにあって、たいていは印象によって人のイメージが作られている。電波のネットワークのなかで、たまたまブラウン管に映像が現れているように。それはすぐに消えて別の映像になるかもしれぬが、時間を共有しながら印象を残していく。人間の関係というのは、そうしたものなのだ」(森毅『ブラウン管から』)。

 日本のポストモダン文学は同世代に限定された派閥を形成しない。中森明夫は浅田彰を「謀略公家」と呼んでいるが、彼ら以降、そうしたグループをつくることはできない。ネットワークを拡充するだけだ。合衆国におけるABC・CBS・NBCは、放送局ではなく、ネットワーク事業を運営している企業である。ネットワーク事業者が全米に点在する放送局を持っているのであって、アメリカではネットワークが先にある。一方、日本の場合、東京に本社を置く大手の民間放送局が地方の各放送局とネットワークを提携している。

 ニュー・アカデミズムはそういった日本のネットワークの様相を変換する。思想のネットワーク事業者である。一九八五年に坂本龍一と村上龍の鼎談集『EV. Cafe』は、女性との鼎談がない点があるものの、それを具現した日本のポストモダニズムにおける最高傑作である。シンポジウムにおいては、発言する資格を問われない。司会者は議論を完全にまとめあげることなく、ゆとりを持たせなければならない。妥協は点ではない。「議長で会議を仕切ったこともあるが、なにかの結論へ向けてまとめようと無理するのが、一番よくない。リーダーシップなんていらない。そのかわり、まとまった結論というのは、当面の指針になっても、それだけが正しいわけではない。もともとが、いくつかのルートがあって、そのどれもがいくらかは正しいからこそ議論になっているのであって、結論が出たから急に、正しいのはそれ一つということになるはずはない。今後のことを考えれば、まとまった結論で正しいと安心するより、しりぞけられた意見のほうが役に立つ」(森毅『うっとおしいけど楽しい』)。

 近代の知識人は知的帝国主義とも言うべき関心の拡張によって多くの領域についてグラウンド・セオリーを語る。進化論が登場すると、知識人はそれを自分の関心に引き寄せて自説を展開する。20世紀後半までその伝統が続く。しかし、70年代に従来の学問体系が行き詰まりを見せ、学際的研究が本格化する。異なった分野が協同研究するのだから、実証性がその共通基盤と認知される。これにより、直観的・ヒューリスティックなグラウンド・セオリーへの拡張が抑制される。同時に、研究者は、他の専門家と協同するため、社交が必須となる。多くの専門家が集うシンポジウムは学際研究への流れを具現している。

 シンポジウム・アカデミズムの展開はさらなる専門性の高度化を促している。シンポジウムはエントロピーの増大をもたらす。イノベーションは新結合だから、エントロピー増大はその可能性を大きくする。新たなイノベーションが提示されれば、それにより研究も進化する。従来よりも専門性が高度化し、さらなる細分化を生み出す。そうなっても、学際性が前提であるので、必ずしもタコツボ化しない。

 シンポジウムには司会が必要だ。それはコミュニケーション能力に長け、多方面の教養を備え、専門家としての実力を持ったアカデミシャンでなければならない。その才をすべて満たしているのが浅田彰である。浅田彰はシンポジウムの司会者としてしばしば活躍する。しかし、専門以外について語ると精度が落ちるから、司会を務めているわけではない。司会者には参加者の意見を要約し、それがどのように関連しているかの見取り図を示す役割がある。参加者のスケジュールやタイムラインの管理ではない。実際にはインタビューも同様で、相手の主張をまとめ、それがその人自身や他の意見とどうかかわっているのかを明らかにする役目がある。

 ニュー・アカデミズムのおしゃべりという倫理は、後の世代には、必ずしも受け継がれていない。それどころか、彼らは開かれたおしゃべりを重要とは考えていない。

 ニュー・アカデミズムはアカデミズムからのジャーナリズムとのクロスオーバーである。同時代的な社会性を持ちながらも、学問体系に位置づけている。しかし、ニューアカ・ブームの終焉後、このバランスが逆転する。ジャーナリズムからアカデミズムへのクロスオーバーに代わる。司会はアカデミシャンでなしに、ジャーナリストである。彼らの仕きりは体系性がなく、その場限りだ。

 ジャーナリスト司会者の言い分はこうである。高度に専門化して現代の知では、司会者にそれを求める必要などない。むしろ、専門家を集め自分は触媒としてその化学反応を促進する役割を担えばよい。司会者はプロデューサーというわけだ。

 しかし、浅田彰は司会をする際、聞き手にとどまらない。話がかみ合わない時に話者の意見を要約して言い換えたり、議論が混乱した時に交通整理したりするが、それを思想史など体系に位置づけて行う。ジャーナリスト司会者は、例えば、「なぜ今マルクスが詠まれているのか」という視点に立つ。一方、浅田彰は「今マルクスをどう読むか」という問いに立脚し、過去と関連させつつ現在の議論を提起する。それは過去と現在のいずれの相対化に伴い、体系における位置が明らかになる。過去の専門的知見に関する深い理解に基づいて、彼は議論を仕きる。話題が現代社会においていかなる意味を歴史的に持つのかを司会する。

 浅田彰を三人集めればシンポジウムになる。けれども、ジャーナリスト司会者を何人いても、それはできない。全員聞き手のシンポジウムはない。シンポジウムはおしゃべりの場だ。浅田彰と浅田彰以後ではそこが違う。

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