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脱構築主義と建築(2012)

脱構築主義と建築
Saven Satow
Jun. 07, 2012

「茶室であるから和服でなければいけないというなどというのは伝統ではない。ジーンズでもさまになってしまうのが茶室の伝統というものである」。
森毅『ジーンズでもさまになるのが茶室の伝統』

第1章 モダニズムを超えて?
 本来の意味とその用法が乖離している概念がしばしば見られる。しかも、それが建設性を欠く事態に至っている場合もある。建築における「脱構築主義(Deconstructivism)」がその一例である。

 脱構築主義建築はポストモダン建築の一派で、1980年代後半から2000年代まで世界的に広がりを見せている。ピーター・アイゼンマン(Peter Eisenman)やフランク・ゲーリー(Frank Gehry)、ザハ・ハディッド(Zaha Hadid)、コープ・ヒンメルブラウ(Coop Himmelb(l)au)、レム・コールハース(Rem Koolhaas)、ダニエル・リベスキンド(Daniel Libeskind)、バーナード・チュミ(Bernard Tschumi)などの名が挙げられる。彼らは実際の設計ではなく、建築思想家として先に知られている。1988年、ニューヨーク近代美術館においてフィリップ・ジョンソン監修で開催された「脱構築主義者の建築(Deconstructivist Architecture)」展に取り上げられた後、事業に携わるようになっている。「脱構築主義」という流派もこのMOMAの会で生み出されたと言ってよい。

 脱構築主義建築は退潮した主流のポストモダニズム建築に取って代わる形で流行する。ポストモダニズムはモダニズムの機能主義の反動として登場し、その克服を試みる。共通理解とされている合理的に住みやすい建築物は近代主義の呪縛である。しかも、それは歴史が一方向に進歩していくという進歩主義史観に基づき、過去の様式を抑圧している。合理的で機能主義的、進歩主義的なモダニズム建築に対し、装飾性や折衷性、過剰性などの回復を目指した建築様式である。1970年代後半から出現し、1980年代に流行する。磯崎新による筑波センタービル(1983)は日本におけるポストモダニズムの代表作の一つである。古い様式の型が引用され、懐かしさに新しさを求めている。脱構築主義はこうしたポストモダニズムの折衷主義を批判し、さらに複雑な構造の様式を追及している。

 なお、モダニズムの批判者はポストモダニズムだけではない。モダニズムを代表するル・コルビュジェは「機能的建築(Functional Architecture)」を唱えている。その「機能主義(Functionalism)」をフランク・ロイド・ライトは厳しく批判、「有機的建築(Organic Architecture)」を唱えている。彼は自然と建築の融合をテーマに、土地との一体化や環境との融和を目指しす建築は人間の有機的生活反映し、自然と調和していなければならないと考える。それは「有機主義(Organicism)」と呼べよう。

 脱構築主義は、異化効果のある建物を示して、共通了解がモダニズムのイデオロギーにすぎないことを暴露する。モダニズムに慣れきったために、閉塞感が蔓延している認識に違和感のある構築物によって喝を入れねばならない。形状が機能に従ったり、素材を忠実に生かしたりする必要などない。しかし、主流のポストモダニズムの折衷主義は中途半端な実験にすぎない。建築を本質的に純化すべきだ。脱構築主義者は、CADを利用するなどして設計過程から非線形的手法を導入し、構造や形状、表層、要素などに非ユークリッド幾何学を応用する。こうしたカオスを具現した設計によって、モダニズムの解体と共に、機能性・合理性・進歩性に代わる新しい価値観を生み出す。

 脱構築主義建築は、フランスの哲学者ジャック・デリダが60年代に提唱し、70~80年代にそれを採用した「脱構築(Déconstruction)」に由来する。しかし、脱構築主義建築に「脱構築主義」の名称はふさわしくない。彼らは脱構築を理解していないからだ。

 デリダによれば、西洋形而上学は理性中心主義である。しかし、理性に対する批判は内部においてしか効果を持たない。乱暴に外部に身を置こうとすれば、まやかしの展望にとらわれてしまう。それはより内部に閉じこめられる結果に終わりかねない。内部にとどまりつつ、その領域特有の見方を背かせて、矛盾を露わにし、その囲いに破れを顕在化させる。これにより体系が不安定化して、外部に向かって囲いを解放する。脱構築は解釈にとどまらない。伝統的思考と実践への社会的批判を企て、従来排除されてきた異質なものの救出を目指している。それは静的で固定化した支配的なテキスト解釈を相対化し、その克服の可能性を模索する作業である。脱構築は古い哲学の構造を解体し、新しい哲学の生成に再利用する動的な営みである。

 脱構築の受容は70年代以降の欧州の状況と無縁ではない。70年代、エコロジーやフェミニズム、エスニック、マイノリティ、コミュニティ運動など新たな社会的ムーブメントが台頭し、価値観が相対化する。ロックやインディーズ映画、アングラ演劇、環境芸術、マンガといった新しい表現の自由や文化施設へのアクセス権の拡大要求が活発化、ハイカルチャーとローカルチャーの区分を解体し、現在で言う「サブカルチャー」が生まれる。それは権利としての文化の認知と言える。

 こうした脱構築を建築に導入する際、従前の流行を見ているだけでは不十分であろう。建築とは何かを問い直す必要がある。

第2章 建築のリテラシー
 慣れや飽きが生じると、建築において様式や型の見直しが始まる。「様式」は洗練・形成された共通了解、その記号化が「型」である。建築の歴史にはこうした様式の革新や型の更新が見られる。様式は建築における文法であり、構成要素は単語である。語と語が組み合わさって文が構成される。文と文が組み合わさって文章が構成される。語や文にはそれぞれ組み立てから生じる役割があり、その意味を決定するのは文脈である。ポストモダニズムは過去の様式を無視して、その構成要素を引用している。それは文法と切り離して古い単語だけを復活させたようなものだ。慣れや飽きの打破と共通了解の破壊を混同してはいけない。

 建築は、目的に立脚して、人間関係を形成する物理的枠組みを提供する。その基本構造は梁と柱であり、フックの法則によって維持される。どういった寸法の中で人々に働きかけ、そこに居る人々の行動や関係をいかに導くのかが建築家の念頭にある。2畳の茶室と2万人収容の室内競技場を同じように考えて設計することはできない。中にいる人に構築物は話しかける。アフォーダンスの実践だ。

 例を挙げよう。千利休は茶室をできる限り簡素にし、空間を狭くしている。茶室は閉鎖性的になり、入室者に圧迫感と緊張感を強いるため、エリート主義的な場と化す。この方向は茶の湯の芸術性の追求であっても、人々に開放的ではないので、草の根を絶やすことにつながる。江戸時代、庶民文化の華やぎの中で、利休の茶室の方向性が比例されたのは当然の成り行きでありゅ。

 空間と人間のつながりを促し、場の雰囲気をつくる。建築物は、もちろん、個々の人とのかかわりについては多義的である。建築家と人々との間の共通了解に基づいて、特定の建築物の使用目的が規定される。ある建物が学校なのか、モスクなのか、裁判所であるのかは用途に依存する。それが建築のコミュニケーションであり、そこにリテラシーがある。建築は価値の共有、すなわち共通了解のために取り組まれるのであって、自己表現などない。

 建築事業は受注生産が主である。費用も高額、携わる人数も多く、自然環境の下で作業が行われ、工期も長い。こうした条件で進められるため、品質の保障は最高水準ではなく、最低限度が目指される。また、構築物は完成後も保守・修理が欠かせない。補修がしやすく、そのコストがかからないことも現実的な要請である。

 建築は空間に区切りをつける。その際、収容人数や行為目的によって求められる空間の大きさが可変する。しかも、出入り口のない建築空間はない。連続していながら、区切りがあるから、外から入ってくることを関連づけて考える必要がある。駅の通路や学校の廊下、劇場のホワイエなどいずれも異なっている。

 また、広場や市場が示しているように、公共空間も建築の様式によってもたらされる。構築物が秩序立って都市が生まれる。その都市は集合として連続体を持っている。集合を無視して、ある建造物をそれだけでデザインをすることはできない。建物内から見える風景と外から見えるその建物を含む光景を融合して考慮しなければならない。そうした構築物は時間を超えて見られ、使われる。そのようにして建築は過去=現在=未来をつなぐ。建築は人々の願いや価値などに基づく共有された物語を形作るものである。

 モダニズムの機能性が具体的と言うよりは、抽象的な居住者を想定していたり、建築様式の歴史性を無視したりしたことは確かである。けれども、その点ではポストモダニズムも脱構築主義も同類である。高齢者や障害者、病人、子どもなど社会的弱者を考慮していないし、自然・社会環境との調和も軽視している。

第3章 オルセー美術館
 建築における脱構築は、こう見てくると、新奇な自意識過剰のデザインで反モダニズム運動を展開することではない。建築は目的に基づいて設計される。時代的・社会的背景に応じて、その目的を変え、別のコンテクストを与えて構築物を再利用し、新たな共通了解と風景、人のつながりをもたらすことと考えるべきだろう。建築家は教育的であらねばならない。

 時代や社会の変化に伴い、古びてしまった構築物を別の目的で再利用する。内外双方から見える風景も一新される。国内の政治・経済・社会状況がある構築物を生み出す。それが変化すると、その建物はかつての意義を失う。しかし、新たな文脈を与えることでそれは復活する。共通理解も内外双方からの風景も人のつながりも、それによって、刷新される。

 しかも、使い古された構造物はそれ自体にさまざまな使用履歴があるので、非常に個性的である。前加工をした無個性な処女材を使う新規事業のようにはいかない。再利用する際に、その固有さを熟知するため、内部にとどまりつつ、詳細な診断=読解が不可欠である。さらに、建築基準の規制も組み入れる必要がある。

 その一例がオルセー美術館である。1986年に開館したオルセー美術館は駅舎兼ホテルを再利用した構造物である。1900年のパリ万国博覧会開催に合わせ、オルレアン鉄道はヴィクトル・ラルーの設計によるオルセー駅を開業する。オルレアンやフランス南西部へ向かう長距離列車のターミナルとして位置づけられ、10線以上のホームと宿泊施設も備えている。けれども、1939年に近距離列車専用駅へと変更され、施設も大幅に縮小する。その後、さまざまな目的で使われ、取り壊し案も浮上する。1970年代からフランス政府が保存活用策を検討した結果、19世紀美術を展示する美術館として再出発することを決定する。展示品の描かれた時代の雰囲気が欲しいので、できる限り、原型を生かす考えがとられている。美術館の中央ホールには地下ホームの吹き抜け構造がそのまま活用されている。

 これは、目的をそのままに、古い建物をリフォームしながら使い続けることではない。建築は目的論的であり、その変更が極めて重要である。元々の用途では経済性から維持ができず、文化事業の文脈で古びた構造物を再利用することである。80年代、欧州は第2次石油ショックを契機に長期不況に陥る。失業のみならず、不足した労働力として受け入れた移民の増加も社会問題化する。特に都市の政策担当者は文化事業を都市の活性策として打ち出す。文化の香りや高いアメニティなどが都市のイメージを決める。文化への支出は補助ではなく、都市再生のための投資へと変わる。こうして文化と経済の思惑が一致する。

 取り壊せば歴史性は消えてしまう。それは一朝一夕でつくれるものではない。可能な限り原型を生かしつつ、歴史的建造物を別目的で再利用する。それに伴い、共通了解・風景・人間交流が革新される。このような動きは、オルセー美術館に限ったケースではない。世界的な広がりを見せている。横浜赤レンガ倉庫もこうした際活用の例の一つである。新規事業の構造物に都市の活性化を期待することは、見栄っ張りの首長が示してくれているが、垢抜けない。利活用の試みこそ「脱構築主義」にふさわしい。建築と脱構築を本質から理解して問うならば、あのような用法をするはずもない。脱構築は方法論であるのに、なぜ潮流の名称に使われるのか理解に苦しむ。彼らには「ポストモダニズムラディカルズ(Postmodernist-radicals)」の方が合っている。

 3・11は無数の建物を破壊する。多くの避難者は避難所に身を寄せたものの、不自由な生活を余儀なくされる。中には、都心の閉鎖予定のホテルに受け入れられた人もいたが、概して、居心地の悪さを訴えている。せっかく助かったのに、仮設住宅での孤独死の犠牲者も出ている。住まいはたんなるねぐらではない。

 3・11は建築とは何かを改めて問い直させる。建築を通じた共有された物語の尊さを人々は再認識している。これを惰性として打倒しようと躍起になっていたのは真に観念的である。再利用としての脱構築は今後ますます重要性が認知されていくだろう。

 加えて、日常のありがたさを痛感し、建築に求められるのは、災害への強さだともつくづく思い知っている。災害はいつ襲ってくるかわからない。阪神・淡路大震災に関する各種のデータから自信の際には、建築物の耐震性が最大の防災であると明らかになっている。6000人の犠牲者のうち、約5000人が木造家屋の倒壊によって発生5分以内に亡くなったと見られている。また、中越地震では、高層建築の長周期地震動の課題が顕在化している。さらに、3・11では、液状化現象やオール電化の高層マンションの脆弱性なども露呈している。進化する災害と被害を考慮しない建築はあり得ない。既存の建物も、現代の文脈で、動的に再検討せざるを得ない。現実的に脱構築の発想が必要とされている。

 3・11を経験した建築家は日常性に依存し、非日常性を強調した設計をしていい気になっていることはもはやできない。共通了解・風景・人間交流を揺り動かすなど巨大地震・津波の前では場をわきまえない冗談でしかない。建築家の仕事は世間を驚かせることではない。人々と価値を協創し、過去=現在=未来の織り成す物語を共有しようとすることだ。
〈了〉
参照文献
岡本清正他編、『現代の批評理論第二巻』、研究社出版、1988年
川崎賢一他、『アーツ・マネジメント』、放送大学教育振興会、2002年
香山壽夫、『建築家の仕事とはどういうものか』、王国社、1999年
同、『人はなぜ建てるのか』、王国社、2007年
宮内康他、『現代建築』、新曜社、1993年
森毅、『みんなが忘れてしまった大事な話』、ワニ文庫、1996年
Philip Johnson, “Deconstructivist Architecture”, Museum of Modern Art, 1988


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