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笑蝉記(3)(2021)

3 世間から離れて
 パンデミックにより屋内にとどまる状況に置かれると、『方丈記』に親近感がわく。今は古典ならふと読みたくなった時には、インターネットで探せばよい。青空文庫のテキストを携帯端末の読み上げソフトを用いて聞く。荷物を増やしたくない場合には、特にありがたい。

 先の長明の運動やニートのすすめは世俗から離れた孤独な生活のよさの文脈で述べている。隠遁生活についての認識を示す中で運動のすすめに触れているというわけだ。それを要約するなら、こうなる。裕福だったり、面倒見がよかったりするなど現世的メリットがあるという理由で人は友人を選びがちで、情の深さや正直さを二の次にしてしまう。だから、長明は自然や音楽を友とした方がいいと告げる。また、下男下女も損得勘定で主人に仕えるものだ。主にしても彼らに気を遣わなければならず、煩わしい。そう考えると、自分自身を下男下女にした方がよい。さらに、移動する時に、乗り物を借りてくるのもあれこれ邪魔くさい。徒歩の方が気楽だ。それに、いつも歩いて、いつも身体を動かすことは、健康にもってこいだと長明は説く。

 下男下女を使えば、気を使わなければならないし、それに依存してしまう。これは、G・W・F・ヘーゲルが『精神現象学』で語った「主人と奴隷」の寓話を思い起こさせる。主人は奴隷を支配しているかに見えて、彼ら抜きに生活が成り立たないのだから、実際には、依存している。だから、長明の主張は自立のすすめでもある。近代の隠者にとってそれは重要であるが、長明はそんなことを意識などしていない。

 こういった煩わしさは評価基準が自分ではなく、相手に置いているからだ。他者の反応を気にしているから、心の平穏が得られない。長明は移植についても同様だと次のように述べている。

衣食のたぐひまたおなじ。藤のころも、麻のふすま、得るに隨ひてはだへをかくし。野邊のつばな、嶺の木の實、わづかに命をつぐばかりなり。人にまじらはざれば、姿を耻づる悔もなし。かてともしければおろそかなれども、なほ味をあまくす。すべてかやうのこと、樂しく富める人に對していふにはあらず、たゞわが身一つにとりて、昔と今とをたくらぶるばかりなり。大かた世をのがれ、身を捨てしより、うらみもなくおそれもなし。命は天運にまかせて、をしまずいとはず、身をば浮雲になずらへて、たのまずまだしとせず。一期のたのしみは、うたゝねの枕の上にきはまり、生涯の望は、をりをりの美景にのこれり。

 長明は方丈の庵で隠遁生活を送っている。しかし、世間と完全に切れていたわけではない。京都に時折行って、必要な品々を入手している。その際、自身の身なりがみっともなくて恥ずかしくなる。しかし、それは他者の目を気にしているからである。庵に戻って、一人でいると、そういう心持の都の人々が気の毒になる。長明にとって都市は、ジャン=ジャック・ルソー同様、虚栄心の世界である。

 だから、人間関係を断ち、隠れて暮らすことが必要だ。長明はこういった理由で世間から離れて、人づきあいもせず、孤独な生活をしている。興味深いのは彼が友情も拒んでいることである。人間関係一般だけではなく、友情に下心があるので、ご免被るとしている。

 この認識は文人の間でもあまり見受けられない。彼らの友情をめぐる名言を聞くと、世間的つきあいは煩わしいが、心許せる友との交流は尊いと概して考えている。

 物事に執着しない生き方を実践したのは長命に限らない。西行が彼より先にそうやって生きている。西行こと佐藤経清は1118年に生まれ、1190年に亡くなっている。長明より一世代前である。西行は平安末期以降の文学における共通基盤を作っている。彼の詠んだ歌やエピソードが同時代に始まり国木田独歩のような近代文学者に至るまで捜索・観賞の際の共通理解となっている。長明も西行の歌や逸話を踏まえて実践・捜索している。その西行は世間との交わりを避けたが、友との交歓は望んでいる。彼は友情をめぐる次のような歌を詠んでいる。

 もろともに影を並ぶる人もあれや月の洩り来る笹の庵に  
(『山家集』369)

 さびしさに堪たへたる人のまたもあれな庵ならべむ冬の山里
(同513)

 このように俗世間から離れながらも、友と共にいることを西行は願っている。いずれの歌でも字余りを使い、その共に呼びかけている。

 こうした認識が文人の友情論というものだ。ところが、長明は友情も他の人間関係と違いがないと拒んでいる。

 ただ、長明は次のように旧友を懐かしむ。

もし夜しづかなれば、窓の月に故人を忍び、猿の聲に袖をうるほす。くさむらの螢は、遠く眞木の島の篝火にまがひ、曉の雨は、おのづから木の葉吹くあらしに似たり。山鳥のほろほろと鳴くを聞きても、父か母かとうたがひ、みねのかせきの近くなれたるにつけても、世にとほざかる程を知る。或は埋火をかきおこして、老の寐覺の友とす。おそろしき山ならねど、ふくろふの聲をあはれむにつけても、山中の景氣、折につけてつくることなし。いはむや深く思ひ、深く知れらむ人のためには、これにしもかぎるべからず。

 ここは庵での夜の生活の様子に関する記述である。「もし夜しづかなれば、窓の月に故人を忍び」は『和漢朗詠集』242の白居易による「三五夜中新月色に千里外故人心」を踏まえている。「三五夜」は3×5=15で、十五夜のことである。また、「故人」は死者ではなく、旧友のことだ。この詩の一節は、十五夜のきれいな月の色を見て、二千里離れた旧友の心を思いやるという意味である。人間関係のテーマから離れてしまうので触れないけれども、以後の文の多くにも典拠がある。

 古典を読む際に、注意することがいくつかある。近代文学と異なり、創作も鑑賞も典拠を共通理解としている。和歌を始めとした日本のテキストのみならず、漢籍や仏典、説話、伝承、流行語などを踏まえた表現がちりばめられている。近代の読者がそうした前知識なしにテキストを作者の自己表現と解釈すると、曲解や誤読に陥りかねない。古典は自分たちを読者として想定していないと近代の読者は認知して読まなければならない。

 長明は出家した後、隠遁生活に入っている。それは仏教的理想の生き方を実践するためだ。世間の中にいては我欲に囚われてしまう。しかし、こうした暮らしをしていても、時折都に行くことがあると、我欲が頭を擡げてくる。友情であっても、そこに我欲がないとは言い切れない。だから、友人も含めて人間関係はできる限り断たなければならない。

 しかし、長明はノスタルジーを否定しない。人間関係だけでなく、彼は山に登って京都の町を眺め、なつかしさに浸っている。実際の友人関係と郷愁は別である。ノスタルジーに我欲の入りこむところはない。長明は我欲のない郷愁の世界を反芻する。そこに幸福がある。

 ただ、長明は完全に他者との交際を拒絶してはいない。彼は10歳の子どもとの交流を気に入っている。

また麓に、一つの柴の庵あり。すなはちこの山もりが居る所なり。かしこに小童あり、時々來りてあひとぶらふ。もしつれづれなる時は、これを友としてあそびありく。かれは十歳、われは六十、その齡ことの外なれど、心を慰むることはこれおなじ。あるはつばなをぬき、いはなしをとる(りイ)。またぬかごをもり、芹をつむ。或はすそわの田井に至りて、おちほを拾ひてほぐみをつくる。

 時折、山番の10歳の少年が長明のもとを訪れている。50歳ほど離れているにもかかわらず、彼はこの子と気があったようである。会話を交わすだけでなく、暇な時、二人であちこち散策している。年齢差があっても、同じように老人と少年は楽しんでいる。良寛和尚を思い起こさせる光景である。

 子どもは大人のような我欲を持たない。だから、長明もが欲を感じずにこの少年を友としてつき合うことができる。解放された心の交流なので、お互い、幸福を味わえる。長明にとっての我欲はルサンチマンのことである。ルサンチマンは評価基準を己ではなく、他者に置き、その反動によって自己を規定する。自己は行動の度に、他者に振り回される。これが人間関係から真の幸福を奪い去る。このルサンチマン克服のために彼は世間から離れて暮らす。

I walk through open fields
Where children sing
Bamboo music
A song of life itself
Play to win
In bamboo music

We work
Working harder still
Down where life begins
From here to heaven
We fight
Fighting harder still
Down where life begins
From here to heaven

Building bamboo houses
By the million
Lighting fires that only burn
Inside
Singing bamboo music
By the million
Fighting for our lives
(David Sylvian & Ryuichi Sakamoto “Bamboo Music”)

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