ジンゴイズムに見る帝国主義(2006)

ジンゴイズムに見る帝国主義
Saven Satow
Jul. 04, 2006

「高慢は没落に先立つ」。
『旧約聖書』「箴言」16:18

 アメリカ合衆国が莫大な財政赤字と貿易赤字を抱えながらも、その債務を上回る金を世界中からウォール街へ呼び込んでいるため、想像以上に経済破綻の可能性は低いことが明らかになっています。これと似た状況にあったのが19世紀後半の大英帝国です。

 いち早く産業革命を経験していたイギリスも、19世紀後半になると、フランスやドイツ、アメリカが急激に工業化を達成した結果、輸出入の収支は大幅な赤字が続いています。しかし、イギリスの経済力は他国に抜きん出ており、シティは世界金融の中心地の地位を維持しています。その主な原因はイギリスの対外資本輸出の巨大さです。福井憲彦学習院大学教授の『近代ヨーロッパ史』によると、1870年から20世紀初頭にかけて、イギリス一国だけで、世界各国の国外投資額総計のほぼ半分を占めているのです。

 こうしたイギリスの帝国主義は抜け目のない政治家や強欲な資本家、野望にとりつかれた軍人だけによって行われていたわけではありません。世論がそれを後押ししているのです。

 その世論形成の重要な担い手が『デイリー・メール(The Daily Mail)』紙です。この新聞はロザミア卿(Harold Sidney Harmsworth, 1st Viscount Rothermere)とノースクリフ卿
(Alfred Harmsworth, 1st Viscount Northcliffe)によって1896年5月4日に創刊されています。同紙は英国史上初のタブロイド紙です。現在も発行され、200万部を越えています。英語の新聞としては世界第二位の発行部数を誇っています。

 19世紀末になると、義務教育制度の整備と共に、識字率が向上し、潜在的な新聞の購読者が見込まれるようになります。ノースクリフ卿は従来の知識人層ではなく、中小の事業主や労働者にターゲットに絞った新聞を考案します。

 そのため、短くて分かりやすい記事と写真を採用し、スリルとサスペンスに満ち、善悪のはっきりとした連載小説を導入します。さらに、価格を安くするために、商品や企業の広告を多くに載せ、その宣伝費で製造・販売コストを補っています。それは、産業革命の恩恵により、大量印刷の技術が生まれたものの、価格を下げるのが限界に達した現状の打開策となります。このシステムは現在に至るまで使われています。半ペニーで、8ページの新聞は、創刊後、すぐに50万部を突破し、イギリスで初めて100万部を超えた新聞となります。

 それまでの新聞はオピニオン・ペーパーであり、政治的主張を教養ある読者に向け、品よく、自制的で、いささか回りくどい言い回しで語っています。

 しかし、デイリー・メールは違います。その記事の中心は「ジンゴイズム(Jingoism)」です。これは好戦的愛国主義とも訳されますが、もともと、アイルランドの歌手G・H・マクダーモット(G. H. MacDermott)が1878年に流行らせた次のような歌詞に由来します。

We don't want to fight俺たちゃ戦いたかない)
But, by Jingo, if we do,(でも、そうさ、やることになったら)
We've got the ships,(俺たちにゃ艦隊がある)
We've got the men,(俺たちにゃ兵隊がいる)
We've got the money, too.(俺たちにゃ金もあるんだぜ)

 “By Jingo!”は合いの手で、「そうだ!」や「まったく!」といった意味があります。今で言うと、「ビンゴ(Bingo)」でしょう。この好戦的な歌はパブやミュージック・ホールでお馴染みとなります。

 その当時のイギリス首相は好戦的なベンジャミン・ディズレーリ(Benjamin Disraeli, 1st Earl of Beaconsfield)で、彼は国内の対立を有権者の目からそらすために、「大イギリス主義(Large Englandism)」を唱え、各地で戦争を繰り返し、領土を拡大していきます。彼は保守派の政治家ですが、敵を作り出し、それと対決している姿を有権者にアピールすることで、鬱屈とした労働者にも高揚感を与え、パブやミュージック・ホールで憂さ晴らしをする層からも支持されます。こうした社会的背景の下、妄信的な愛国主義を「ジンゴイズム」と呼ぶようになっていくのです。

 19世紀は制限選挙のエリート・デモクラシーの時代です。普通選挙を目指す政治参加の拡大が重要な課題として議論されています。既存政党は新たな有権者の票を獲得しなければ、選挙で勝てません。しかし、ニューカマーは従来の支持者と利害対立しかねません。そこで機転の利く政治家は敵を国外に求め、それをそらす作戦をとります。これを「社会帝国主義」と呼びます。

 ジンゴイズムはこうしたデモクラシーとナショナリズムの結びつきです。デイリー・メールはまさにジンゴイズムの新聞です。自国や自国民の優秀さ、進歩性、誇り、品格、利害を愛国主義の名の下に煽り立て、他国がいかに劣等で、後進的、下劣、野蛮、身の程知らずであるかをセンセーショナルにこき下ろし、こういった国との競争に自分たちは勝ち抜かなければならないという内容の記事に溢れているのです。

 そのあまりに好戦的な記事のため、第一次世界大戦の勃発の後、デイリー・メールは戦争を扇動したと知識人から批判されています。

 19世紀の欧州の外交は力の均衡に基づいています。欧州全体が巻き込まれたナポレオン戦争を踏まえて、どこかが突出したら、他国が同盟を組んでそれをくじき、力の均衡を維持するというものです。小さい戦争によって大きい戦争を抑止するというわけです。この同盟の力学は集団安全保障ではありません。関係国の干渉によって戦闘が拡大した宗教戦争の経験から、戦火に他国が加勢することを斥けるのがむしろ近代なのです。

 力の均衡を維持するには、同盟を状況に応じて柔軟に組み替える必要があるのです。ところが、ジンゴイズムの伸長はそれを硬直化させます。外交は要求と妥協の弁証法です。しかし、妥協をすると、担当者は世論から「弱腰!」と罵られます。お互いに引くに引けなくなり、行き着く先が第一次世界大戦です。

 こういう歴史を見てくると、現在日本で発行されている保守的な月刊誌や週刊誌、新聞、テレビの多くはオピニオン・メディアではなく、ジンゴイズム・メディアに含まれることになります。にもかかわらず、中には「オピニオン」を掲げているものもありますが、それはあまりに自己讃美にすぎるでしょう。

 大英帝国の帝国主義はこうした自省を欠いた愛国主義によって国内から支持されていきます。もちろん、それに異議を申し立て、本格的な帝国主義や植民地主義への批判を企てる知識人はいましたが、多勢に無勢です。ジンゴイズムを支えたのは労働者です。それは社会主義や労働運動から帝国主義の批判が起きなかったことを意味します。労働運動と反帝国主義運動が結びつくには、ウラジーミル・レーニンを待たねばなりません。

 ジンゴイズムの問題は自己批判が欠如しているため、本質的な議論につながらない点です。戦争が長引いたり、激化したりすれば、戦死者が増え、好戦的な人たちにも厭戦気分が生まれます。あんなところで、労働者を含め英国人が死ぬ価値なんてあるのかというわけです。しかし、それにしたところで、その被害は人的ロスにつながり、国力が低下するという別の愛国主義に基づいているだけです。愛国主義の問題自身は不問にされてしまいます。

 このジンゴイズムの呪縛は現在に至るまで続いています。愛国教育に熱心なアメリカは、まさに、その典型でしょう。マッカーシズムやベトナム戦争、イラク戦争には明らかにジンゴイズムが見られます。

 NHKの英会話の講師を務めていたジョセフ・ショールズはメキシコに留学したとき、初めて、世界の人たちはアメリカ人のようになりたがっているわけではないのだと知ったと告げています。子どもの頃から保守派ではありませんが、その彼であっても、アメリカは素晴らしい国であり、世界はアメリカを愛していると信じています。こうした信念の下では、アメリカの基準を世界が受け入れないことをわがままだと非難し、今日の帝国主義と言うべきグローバリゼーションに疑いを抱くこともありません。

 イラクに入れば、民衆は諸手を上げて解放軍として自分たちを歓迎してくれると見こむなどというのはよほど自惚れているとしか思えないのですが、アメリカ人は本気です。ジョージ・W・ブッシュ政権の戦略を批判する声もかなり上がってきていますけれども、そうしているのは愛国的な動機からです。急進的なジンゴイズムと穏健なジンゴイズムが対立しているにすぎません。

 「私はアメリカを愛している。そして、イラク戦争も支持してきた。けれども、遠いイラクでアメリカの若者が死んでいく意味とは何なのかを大統領は納得のいくように答えていない」と発しながらも、その問いかけ自身の問題点には気がついていないのです。ジンゴイズムの克服に取り組まなければなりません。

 しかし、自己批判を欠いたジンゴイズムの蔓延という点では、1990年代以降の日本はアメリカ以上かもしれません。今でも、メディアには、連日、うんざりするジンゴイズム的言説が溢れています。ジンゴイズム的な発言を繰り返す政治家に人気が集まってしまうのです。

 日本社会はかつてもジンゴイズムに囚われたことがあります。戦時中、武田泰淳や坂口安吾、石橋湛山らはほめ殺しやアイロニー、ユーモアによって日本社会のジンゴイズムを批判しています。多勢に無勢の状況でしたから、表面的には日本賛美ともとれるようにしていましたが、中野重治のような鋭敏な作家はそれに気がついています。彼らはジンゴイズムと同時に別の愛国主義も批判しており、それは、残念ながら、依然として新鮮なのです。

 「私は司馬遷を持ち上げるような文章を、三百枚近く書きつづった。決して彼個人に感心したわけではない。史記的世界を鼻さきに近づけ、グウかスウか、本音を吐いて見たまでである。吐いて見て我ながら自己の不徹底、だらしのなさ、慙愧に堪えぬ。真珠湾頭少年飛行士の信念を羨むのみである。莞爾として降下する彼らの眼底胸中には、史記的世界など影もとどめなかったであろうから。忠とは、身を史記的世界に置いて、日本中心を信ずる事である。油とは、史記的世界に肉身を露してたじろがぬ事である」(武田泰淳『司馬遷─史記の世界))。
〈了〉
参照文献
柄谷行人、『批評とポスト・モダン』、福武文庫、1989年
福井憲彦、『近代ヨーロッパ史』、放送大学教育振興会、2005年

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