女性誌に見る政治センス(2003)
女性誌に見る政治センス
Saven Satow
Jul. 29, 2003
「自己の表現といっても声高に自分を見せびらかそうとすると、さしあたりは茶髪かピアスぐらいになってしまって、ただ流行にまきこまれての横並びにしかならぬ。むしろ、アクセサリー的なもので、ひそやかに自己表現することから出発するのがよい。それが簡単に自由にできて、しかもさほどの危険がないとなると、女子高生あたりに人気が出るのも当然」。
森毅『「ベンチャー」「プリクラ」「2進法」』
2003年7月28日、通常国会が閉幕します。この秋に解散・総選挙の実施が確実視されている中、慌ただしいと言うよりも、雑に終えたという印象です。実際、小泉純一郎内閣は登場してから、このように乱暴な運営が続いています。発足当時は「ワイドショー内閣」と揶揄された小泉内閣も、さすがに最近では、高かった支持率も低下し、首相のみならず、閣僚にしても暴言続きで、無能さをさらけ出しています。
非難されてばかりのワイドショーですが、この情報番組が政治に影響を与えたのは、今に始まったわけではありません。ワイドショーが登場したのは1960年代の後半です。その当初から、いわゆるタレント議員を生み出すなど少なからず政治の変化にかかわってきています。
そのワイドショーは女性誌の誌面構成を参考に、番組が作られ始めています。両者を見比べてみると、非常に似通っています。そういった日本の主婦向け雑誌の原型は『主婦之友』にありくます。
第一次世界大戦による好況を背景にして誕生した都市部の新興小市民家庭の主婦を対象に、東京家政研究会を設立した石川武美により、1917年(大正6年)、『主婦之友』が創刊されています。なお、1921年、社名も主婦之友社に変更しています。目次には料理や海外生活、小説、ルポルタージュなどが並び今の雑誌とさほど変わりません。モダンなのです。初版は2万部でしたが、昭和前期には180万部を発行しています。
ただ、『主婦之友』は婦人誌であって、女性誌ではありません。現在の女性誌の原型となったのが、1937年にフランスで創刊された”marie claire”です。1937年に”Paris Soir”誌と”Paris Match”誌の創始者であり、 繊維・毛織物業者の実業家だったジャン・プルヴスト(Jean Prouvost)によって創刊されています。
そのコンセプトは、「アクティブなライフスタイルに合い相応しい女としての魅力を持つ女性のための エレガントかつフェミニンで、間違いなく現代的な雑誌」という感じです。その後、1944年から1976年の間は休刊となりましが、1977年に孫娘の エヴリーヌ・プルヴスト(Evelyne Prouvost)がロレアル(L’oreal)社の支援を受けて再発刊されます。
現在では『日本版マリ・クレール』(アシェット婦人画報社刊)を含めて、スペイン、 イタリア、ギリシア、イギリス、トルコ、ベルギー、オランダ、ドイツ、ブラジル、スペイン語圏のラテン・アメリカ、アメリカ、オーストラリア、ポーランド、ロシア、南アフリカ、マレーシア、 シンガポール、香港、台湾、韓国で刊行され、現在の総読者数は、同誌の発表によると、1700万人を超えているそうです。1937年に刊行されたこの雑誌の目次を見ると、ファッションや料理など今の女性誌の定番記事が網羅されています。
『主婦之友』と”marie claire”の誌面構成は似ているのですが、両者の間には決定的な違いがあります。それはメーク・アップに関する記事です。前者では、主婦としてふさわしいメークが記載されています。それに対して、後者においては、短所を長所に変えるメークが紹介されているのです。
メークが主婦としての女性の鋳型であるのか、個人としての女性へのステップであるのかという違いと言ってもいいでしょう。女性誌は、あくまでも、個人として自分らしさを追求する女性を読者層にしている雑誌なのです。
両者の違いは社会的だけでなく、時代的なものです。確かに、ファシズムが勃興する中、フランスで自分らしさが求められているのに対し、大正デモクラシーの時代に主婦らしさが唱えられています。けれども、小市民階級が19世紀にすでに形成されていたフランスと日本とでは事情が異なります。女性にとって自分らしく生きるという姿勢は戦後を待たなければなりません。
「自分らしく」といっても、なかなかつかみにくいものです。ほぼ同年代の女性をターゲットにしていても、『an an』や『JJ』、『nonno』、『Can Can』など読者層は異なっています。むしろ、大きな違いではなく、小さな違いのほうがファッションには重要です。小さな違いをうまく見せることが現代の自己表現だからです。そこに相通じる女性たちが共感を覚えます。大きな流れを微妙に修正しっとり入れるというわけです。それは欠点を隠すという消極的な姿勢ではなく、短所を長所に変換するという積極的な姿勢によって可能になるのです。
大きな流れはファッション・リーダーに委ねられています。今の日本のファッション・リーダーが誰かは意見が分かれるところでしょう。ファッション・リーダーは、洗練さを加味すれば、30代に入った女性がふさわしいものです。
1960年代前半のアメリカのファッション・リーダーは女優ではなく、”ジャッキー”ことジャクリーヌ・ケネディです。当時、30代前半だったジャッキーのファッションは7分袖が特徴です。フランス風の服を好んでいたのですが、大統領の側近から国産品を愛用して欲しいと要請され、フランス・スタイルのアメリカ製のファッションを身につけています。
「勝負服」と称して赤いスーツを着用する川口順子外務大臣は、ジャッキーと比べると、絶望的なファッション・センスしか持ち合わせていないと言って過言ではありません。とても共感できません。アメリカという大きな流れに対して、小さな自己表現をできていないのと重なって見えます。政治のセンスはファッションのそれと似ています。
ジョン・F・ケネディが大統領に就任した1961年に、ブロードウェーではミュージカル『キャメロット(Camelot)』が人気を呼びました。アーサー(Arthur)にリチャード・バートン(Richard Burton)、グエナヴィア(Guenevere)にはジュリー・アンドリュース(Julie Andrews)が主演です。
キャメロットは中世伝説のアーサー王がその宮廷を置いた町の名前です。若くハンサムなJFKと美しく魅力的なジャッキーの醸し出す新政権の雰囲気がアーサー王の宮廷の華やかさと重なって、ケネディ政権のことを「キャメロット」と言うようになっています。
残念ながら、舞台も低調ですから、ファッション・リーダーも抱えていない小泉内閣が何かしらのミュージカルのタイトルで呼ばれることはないでしょう。ましてや、「キャメロット」などありえません。もっとも『キャメロット』の挿入歌のタイトルは、秋の結果も含めて、小泉内閣にふさわしいかもしれません。
「娘の頃の喜び(The Simple Joys of Maidenhood)」
「フォロー・ミー(Follow Me)」
「女の扱い方は(How to Handle a Woman)」
「貴方と別れるとしたら(If Ever I Would Leave You)」
「七つの大罪(The Seven Deadly Virtues)」
「普通の人ならどうする?(What Do the Simple Folk Do?)」
「そっと愛した日々(I Loved You Once in Silence)」
〈了〉
参照文献
森毅、『ぼちぼちいこか』、実業之日本社、1998年
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