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植民地支配における日本語教育と日本近代文学の成立(12)(2004)

12 政治と文学
 近代人が読み書きのできる理由は学校で識字教育を受けているからである。話す聞くのオラリティと違い、読み書きのリテラシーの学習はカリキュラムに基づく教育が必要である。近代文学の読解・執筆は近代教育による共通理解を前提にする。カリキュラム策定には政治が少なからず影響力を行使する。日本語教育が文学の基盤を規定している。そのため、日本語教育の検討が日本近代文学の歴史考察に不可欠である。

 政府・軍部にとって、植民地支配が進行していくにつれ、文学の重要性が増し、干渉し始める。帝国主義的支配にしろ、戦争にしろ、近代においては、言説によって正当化される。政府・軍部はメディアを通じてプロパガンダを流し、民衆はそれに熱狂する。「民衆は小さな嘘より大きな嘘にだまされやすい」(アドルフ・ヒトラー『わが闘争』)。

 日清戦争は利益線論によって正当化されている。日本の独立自衛のためには、主権戦のみならず、その安全と密接に関係する利益線を防衛する必要がある。大朝鮮国は近代化を推進しようとしているのに、清はそれを妨害している以上、日本は清と戦わなければならない。また、日露戦争の際には、南満州を義和団事変に乗じて占領したロシアはこの地域の貿易を独占し、閉鎖的であり、非文明国であるから、日本は戦わなければならない。両戦争は「国民」の間でこのように正当化されている。

 国語は電波メディアが未発達だった当時、教科書や新聞、雑誌、書籍といったプリント・メディアを通じて、普及し、国民文学によって強化しなければならない。1907年(明治40年)6月、内閣総理大臣西園寺公望は、読売新聞社の竹腰三叉に相談した上で、自宅に文学者20人を招待する。内閣総理大臣が文学者を招いたのはこれが初めての出来事であり、「雨声会」と呼ばれるこの会合は、以降、主客を交代して数回開かれている。

 出席者は徳田秋声、巌谷小波、内田魯庵、幸田露伴、横井時雄、泉鏡花、国木田独歩、森鴎外、小杉天外、小栗風葉、広津柳浪、後藤宙外、塚原渋柿園、柳川春葉、大町桂月、田山花袋、島崎藤村である。人選に携わった近松秋江は、「卑しい文士風情が雨声会一夕の宴席に招待されることを無上の栄誉と感佩するのも無理はなかろう」と述懐している。父親から「小説なんか書いている道楽者はくたばってしめえ」と言われたのに対するユーモアとして、長谷川辰之助がペンネームを「二葉亭四迷」にした通り、当時の文学者の社会的地位は確かに低い。

 けれども、夏目漱石、二葉亭四迷、坪内逍遥は出席を断っている。漱石は「ほととぎす厠なかばに出かねたり」と一句添えて返答する。さらに、1909年、小松原英太郎文部大臣は文学者を首相官邸に招いている。彼は国家による文学アカデミーである「文学院」を構想し、文学者を権力側に囲い込もうと考えていたが、この企ては失敗に終わる。言語の芸術である文学は、他の芸術以上に、政府・軍部の政策にとって、引き続き関心事となっていく。

 出席者は自然主義文学に属する文学者が多い。『読売新聞』は『早稲田文学』や『文章世界』と並んで、自然主義文学運動の推進者である。出席を断った漱石や二葉亭は、坪内逍遥は出席した幸田露伴同様に読売新聞社社員であるが、朝日新聞社に所属している。文学博士号を授与するという文部省の申し出を拒否した漱石に対し、1907年(明治40年)11月17日付『読売新聞』は「変人」と評している。自然主義文学は党派性を生み、反自然主義文学との間で主導権争いを始める。

 この文学闘争はプリント・メディアの代理戦争である。プリント・メディアは二つの戦争報道によって部数を伸ばし、特に、日露戦争が読者市場を大幅に拡大したため、各新聞・雑誌は市場の占有を奪い合っている。1897年、尾崎紅葉が『金色夜叉』を『読売新聞』に断続的に連載を始めると、小僧や女中まで新聞の発売を心待ちするようになっている。さらに、1907年に、漱石が『虞美人草』を『朝日新聞』に連載すると、小宮豊隆の『夏目漱石』によると、「三越では虞美人草浴衣を売り出す、玉宝堂では虞美人草指輪を売り出す、ステーションの新聞売り子は『漱石の虞美人草』と言つて朝日新聞を売つて歩くといふ風に、世間では大騒ぎをした」。成長を続ける出版産業は、活性化するにつれ、イノベーションが進み、印刷技術の発展はプリント・メディアの起業を安価にし、同人雑誌の出版を容易にしている。日本近代文学は、脱亜入欧の意識に沸く「国民」の中、帝国主義の正当化のために、標準語を目指す極端な国語教育政策を推進する政治家・官僚・軍部・メディアによって成立し、発展してきたのであり、文学者は、メディアの一員として、帝国主義に荷担している。

 確かに、自然主義文学は欧米で確立された理論を根拠として持っている。文学の脱亜入欧にふさわしいイデオロギーだ。日本での実態はともあれ、その論拠は文学界の外部にも理解しやすい。近代文学の主流・非主流は必ずしもその内部の論争の結果で生まれたわけではない。自然主義文学の勝利は体制による認知によって決着する。自然主義文学は官製文学となり、国民文学の地位を手にする。自然主義は権力闘争に勝利し、日本文学の本流となる。自然主義文学を通じて形成される日本近代文学史は非主流派を反自然主義文学という範疇に囲いこむ。漱石や鴎外は日本近代文学のメンシェヴィキにすぎず、自然主義文学の系譜こそ日本近代文学のボルシェヴィキになっていく。

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