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「作者の死」?(1)(2018)

「作者の死」?
Saven Satow
Aug. 31, 2018

「文学の地の塩だったその栄誉は、今日文藝評論家の手に移りつつある」。
平野謙『文藝評論家とは』

1 文学と批評
 文学は自分を含む誰かに物語るための実用性以上の言葉の組織化である。この実用性は対象の直接的な利活用を指す。また、抽象的・一般的概念を扱う際にも具体的・個別的なナラティブを通じて展開される。文学は伝統的には言語と規範を共有する共同体における真・善・美の認識の交歓である。ただ、そのコンセンサスへの異議申し立ても、価値観が多様化する近代以降におけるもう一つの意義となっている。

 伝統的な共同体において最も大切なのはよく生きることである。それは蓄積されてきた習慣や規範に則り徳を実践することだ。言語は知識の伝達・蓄積・共有を可能にする。共同体の継承の際、言語が重要な機能を果たす。だから、その存在理由や規範を共時的・通時的に共有するために、神話や叙事詩を持っている。

 共同体を維持発展させるには、人的ネットワークの強化・拡張が不可欠である。文学は人と人の間で共有されるから、絆を強めたり、広げたりする。こうした社会関係資本の蓄積に寄与する機能がある。それにより今日までこの行為が持続してきたと推察できる。

 主に音声による共時的・通時的共有がなされるものを口承文学、文字を使用したそれを文字文学と呼ぶ。先の定義に基づく文学は文字の発明以前から出現していたと思われるが、起源は定かではない。ただ、人類学がフィールドワークの対象とする伝統的な共同体で物語られている実用性以上の言葉の組織化が初期の文学の姿を推測する手がかりになっている。

 音声による文学の発展・継承はその知識の遍在をもたらす。こうした口承文学は語り手と聞き手が共有する場を必要とする。場が焼失すれば、それは存在しえない。そのため、この発展・継承は社会が安定的=静的であることを前提にする。

 一方、文字による文学の発展・継承ではその知識は集中せざるを得ない。反面、文字文学は場に必ずしも依存しない。不安定=動的な状況に社会が直面しても、発展・継承が可能である。そのため、記されたものが考古史料として発見され、それが死語であっても解読されて後世に伝わることがあり得る。文字による考古史料のおかげで、現存する最古の文学作品としてギルガメシュ叙事詩を知ることができている。

 批評の起源も定かではない。文学作品は評価を経て人々の間で共有される。創作と鑑賞は、共同体において蓄積・共有されてきた言語的・倫理的・文学的規範を共通理解とする。その典拠に基づいて批評もまた行われる。伝統的には、創作者は同時に鑑賞者であり、批評家でもある。

 組織化の規則は繰り返しの中で暗黙知として体得できる。鑑賞の際も同様である。典拠に基づき、創作者や鑑賞者は内省によって作品の出来不出来を判断する。詩歌をめぐる社交や選評会、編纂、試験、指導などの評価・判断基準も、規範を共有している共同体を前提にしているから、必ずしも明示的ではない。

 創作や鑑賞の行為から独立した批評には、この暗黙知を明示知とすることが欠かせない。具体的・個別的な作品の評価にとどまらず、抽象的・一般的な文学的価値の議論を展開する。

 批評は創作や鑑賞のメタ認知である。それは他者との理解の共有をもたらす。行動は感情の共有をしばしば促す。それは具体的・個別的で、場に依存する。一方、理解を共有するには、理論が必要である。それは抽象的・一般的で、場から比較的自由である。この明示知がリテラシーである。それはその領域における学び方のことだ。読み書きの学び方がわかれば、その実践ができる。この学習過程を通じてリテラシーは共時的・通時的な共有において汎用性を持つ。

 今日にける「批評(Criticism)」は対象を「評し(Appreciate)」、「体系付け(Systematize)」、他者に「共感(Empathy)」させる行為である。作品の出来を「判断(Administrate)」したり、他の作品との優劣を「評価(Evaluate)」したりするだけではない。「感想(Book Report)」や「印象(Impression)」にとどまらず、他者と認識を共有するために、論証を示して体系に意味づける必要がある。その際、「理解力(Comprehension)」・「洞察力(Insight)」・「方法論(Methodology)」・「全体認識(Whole Understanding)」・「コミュニケーション能力(Communication Capability)」が求められる。こうした属性により批評は創作や鑑賞のメタ認知たり得る。

2 批評の時代
 メタ認知としての批評が同時代的共同性でもって活動を本格化するには、近代を待たねばならない。近代以前、共同体における価値観は一様である。伝統的共同体では宗教・生活規範がそのまま道徳であり、文学の価値観もそれと一致している。また、国家体制においても政治と道徳は一体化している。民族宗教であろうと、世界宗教であろうと、事情は同じである。文学の価値観もそれに従っている。一つの価値観が共同体で共有されているのだから、その相対化につながる批評は必ずしも必要とされない。こうした条件では、批評は具体的・個別的な作品を評価したり、それらを価値観に基づいて分類したりすることになる。アリストテレスの『詩学』や中国の『文選』がその例である。

 しかし、近代は政教分離が最も基本的な原則である。それは価値観の多様性をもたらす。ある価値観は別のものによって相対化される。そのため、メタ認知である批評が従前以上に必要となる。

 古代より政治の目的は徳の実践である。その認識を覆したのが欧州で勃発した宗教戦争だ。自らの道徳の正しさを根拠に凄惨な殺し合いが16~17世紀に亘って欧州各地で繰り広げられる。トマス・ホッブズは、これを教訓に、『レヴァイアサン』(1651)において政治の目的を平和の実現に変更する。平和でなければ、徳の実践もままならない。ホッブズは、その際、政治から宗教を切り離す。政治を公、信仰を私の領域として両者を分離、いずれもお互いに干渉してはならないと説く。この政教分離は近代の最も重要な原則である。

 伝統的共同体はその存立根拠を神話によって語る。それは共同体の形成が人為的ではないことを意味する。神話は共同体の構成員に共時的・通時的な共通基盤を与える。法も長年に亘って蓄積された習慣や超自然的存在から与えられたもので、神話にその根拠がしばしば述べられている。そうした神話を共有する人たちが共同体を構成する。

 近代社会もその構成員に共通基盤が必要である。共有する理解がなければ、人々は社会をどのように維持・運営していけばいいのか皆目見当がつかない。そこで、近代は神話でなしに、経験的に考察可能な仮定を前提にする。ホッブズは、人間には神の意思など知る由もなく、ただ自己保存だけが確かであり、神の与えたその理性を使い、経験的に考察すべきだと言っている。それは近代という政治社会が人為的に形成されたことを意味する。法も、当然、人為的で、宗教から離れる。

 近代を最初に基礎づけた理論は社会契約説である。中でも、すでに言及したホッブズの他、英国のジョン・ロックがその政治・経済社会についての考察を体系的に展開している。さらに、彼らに影響された大陸やスコットランドの啓蒙主義者が近代にふさわしい諸制度に関する形而上学的提案も発表している。

 社会契約説の「契約」は一つの思考実験である。政教分離原則は近代が個人主義に立脚することを告げている。前近代は共同体があって個人がいるとするが、近代は逆である。個人が集まって人為的に社会を形成する。契約というものは他者間で必要とされる。他者と共存する社会を想定する際、その相互承認を契約として考えてみる。これが社会契約論の発想である。

 信仰や道徳が私的領域に属し、公が干渉しないということは、価値観の選択を個人に委ねたことを意味する。社会には人間が複数いるのだから、価値観は多様化していく。

 中世の民衆は情報をもっぱら教会から得ている。当時は人口が減少傾向で、農産物の生産性も低い。世俗権力は税収が上がらず、民衆への影響力が大きくない。しかも、民衆は移動や職業選択の自由が制限され、識字率も高くない。そんな民衆が情報を入手するとしたら、どんな村落にもある教会に依存するほかない。教会が情報を独占しているので、現実的にも民衆は一つの価値観だけを信じざるを得ない。

 価値観の多様性が社会において実現するには、教会による情報の独占を崩さなければならない。複数の情報源がなければ、価値観の多様性は確保できない。しかし、個々人が自身の信じる価値観に従って効用を求めて行動すると、社会には対立が絶えなくなる。複数の人間が意見を交換する議論の場が必要である。そこは公と私の重なり合う公共的・公益的領域である。自分の意見を述べ、他の主張に耳を傾け、よりよい考えを模索する。多様な情報源と討議の場を確保するという環境の下に、批評が勃興する。それは諷刺の形式をとることになる。情報が増加し、価値観が多様化しても、それを処理して想像力を発揮して役に立てられなければ、不安が募るだけだ。そうなると、人は古い秩序に依存してしまう。笑いによる無礼講のジャンルは情報の既得権者の教会を相対化し、多くの価値観を共存させるのに適している。

 諷刺の批評は17世紀後半から発展し始め、18世紀に黄金時代を迎える。それはちょうど「啓蒙の世紀」に当たる。啓蒙主義者が英国の政治・経済社会に影響を受けたように、批評もそこが先行する。

 諷刺の散文様式は、ノースロップ・フライの『批評の解剖』に従うなら、「アナトミー(Anatomy)」である。これは「医者の文学」であり、社会を諷刺する。ただし、それは再現ではなく、記号化した表象である。傾向は外向的・知的で、扱い方は客観的である。登場人物は、病気や怪我の分類よろしく、社会的・学問的類型に従っている。展開は、因習的ではなく、極めて大胆で、時として天衣無縫や破天荒でさえある。短編形式は「会話(Conversation)」や「座談(Talk)」である。

 啓蒙の世紀にはアナトミーを用いる作家が数多く登場している。ジョン・ドライデンやジョナサン・スウィフト、アレキサンダー・ポープ、ヴォルテール、ドニ・ディドロなど数多く挙げられる。しかも、いずれも個性的である。百科全書を生み出すような知識や教養に対する貪欲な学ぶ姿勢にはアナトミーでなければ応えられない。

 アナトミーは「メニッポス的諷刺(Menippean Satire)」の別名である。紀元前3世紀の伝説的哲学者メニッポスに敬意を表して、この文学形式はそう呼ばれている。最も早く知られているのは紀元2世紀のルキアノスの作品であるが、人間が社会で生きている以上、諷刺の歴史自体はおそらく相当の古代にまで遡る。権力に対する民衆による批判は、アネクドートを例にするまでもなく、古今東西、諷刺の形式をとることが少なくない。諷刺は社会的知性の産物である。

 諷刺であるから、批評は物語や詩、書簡、辞書・事典、演劇など多種多様な姿で表現されている。批評は小説や詩、演劇と異なるジャンルという現在のような区別がない。また、文学者も特定のジャンルに専念して創作することをしない。批評家は詩人にして、劇作家であり、翻訳家、事典編纂者でもある。このとらえどころのなさが啓蒙の時代をよく物語る。啓蒙主義者は無知な民衆を知識人が指導しなければならないとは考えない。何でも知ってやろうという知的貪欲さを持っている。諷刺はこういう時代精神の表象に適している。

 だから、今日、社会科学系の理論書として扱われている作品もアナトミーの形式で書かれている。アダム・スミス『国富論』(1776)も枝葉が多く、議論が拡散し、何を言いたいのかよくわからない記述も少なくない。ルソーの著作は言うに及ばずだろう。アナトミーはその作家らしい文体と言うよりも、啓蒙の世紀にふさわしいそれである。

 森毅は、『数学の歴史』において、18世紀について次のように述べている。

 現在の数学のどの分野でもオイラーの名を冠した基本公式を見出すことができる。オイラー、そしてラグランジュ、それにダランベールまで付け加えれば、現在に及ぶ数学の根幹は、十八世紀にできたともいえる。数学にとって、基本的な事実の発見という点からみれば、この時代は今までの歴史最高かもしれない。十八世紀は、数学にとって、事実の世紀だったのである。
 ついでに、この種の標語づくりを、比較のために試みれば、十七世紀は原理の世紀であり、十九世紀は体系の世紀とでもいうことになろうか。後代の人は、二十世紀をなんとよぶだろう。現代人のなかにはそれを方法の世紀とよびたがる人もあろうが、まあ、それはこれからの問題である。
 しかし、これらの個別的事実だけに、十八世紀を代表させるのも正しくない。歴史はいつでもそうだが、その時代の主流と共に、次代の主流となるべき流れが始まってもいるのだ。百科全書派は、この事実を秩序づけはしなかったが、十九世紀を育んでもいた。

 ごった煮のような諷刺の黄金時代でありながら、18世紀には、神学的ではなしにアルファベット順という秩序に基づく辞書や事典の編纂が進められている。それは体系の世紀である19世紀の萌芽だ。18世紀、英国は市民革命の成果によりいち早く近代の政治・経済社会へと進展している。しかし、植民地アメリカや大陸諸国の現状はそうではない。近代の政治・経済社会は国民国家や資本主義、科学技術を基盤にしている。代議政治や市場経済、産業革命を経験したのはいまだ英国だけである。変化は確かに現われつつあったが、近代の政治・経済社会が西洋に定着していくのは大西洋革命を経た19世紀である。堆積した事実が時と共に体系に秩序立つ。こうした流れの時代を体現して諷刺の批評は黄金時代を迎え、文学が体系化していく中で別のものへと代わられていく。

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