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グッドモーニング,レボリューション(3)(2014)

3 非線形
 さあ、お勉強の時間だよ~ん。作品がよくわかんない時は、それを図にするといいよ。思想書もそうだし、小説や演劇、詩も。関係とか役割とか変化とか整理できっから。概略がわかりやすくなるよ。意外と古典の方が図が複雑になるね。今の作品って言葉尻が難しいから難解かと思うんだけど、図にすると、単純だよ。しっぽ掴まれたくないって煙幕だね、言葉の。

 プラトン以来の西洋形而上学は、ソクラテスのお弟子さんがイデアの比喩に三角形を使っているように、数学を基礎付けにしてきたけど、それは線形数学。ところが、蓄積・増殖してきた線形数学の拡大再生産は非線形現象にはお手上げ。二〇〇四年一〇月九日膵臓癌で亡くなったジャック・デリダ(Jacques Derrida)の脱構築は差分方程式に譬えられる。彼は、その手法を通じて、西洋形而上学が前提にすると同時に、それを正当化してきた線形的認識に潜む非線形性を顕在化させたんですね。Monsieur Déconstructionの企て以上に、大胆不敵に非線形性に取り組んでいたのが、一九九二年八月二九日、心臓発作で亡くなったフェリックス・ガタリ氏。彼は非平衡から非線形にとり組んでいる。覚えてる? 何、猫のことかって?それはフェデックス!お約束だよーん。ほら、サントリーのダルマのコマーシャルに出てた骨太で、繊細な感じのメガネの人、そう、ちょっと鈴木ヒロミツに似てる人。それでも、やっぱり、考えてしまう。♪ああ、この気だるさは、なんだろうか。

 線形ってのは、手っとり早く言っちゃうと、要素還元主義、非線形は非要素還元主義。これじゃあ、乱暴すぎるか。『乱暴者(The Wild One)』のジョニーだって、マーロン・ブランドが演じてた奴ね、もっと丁寧だ。しかし、あのときのマーロン・ブランドの迫力ときたら、もう、Woo!数量的な構成や変化が加法性や比例関係に基づいてんのが線形システム、そうでないものが非線形のシステム。まだわかんない?非線形事態の定義は難しいんだ。線形じゃないものとしか言いようがないから。結構、サイエンスにはそういうとこがあって、例えば、「有機物って何?」と尋ねられても、「無機物じゃないもの」としか答えられない。線形というのは、関数の変数に具体的な数値を代入して数値計算を行うと、その値が決定できる。それだと、成分を重ねあわせたものとして要素を表わすことができるから、完成度の高い体系的な研究が、線形代数学や線形微分方程式の理論などによって、されてきたんだけど、非線形のシステムは、微分方程式を代表とする数学的な解析が難しく、そういったものの存在は多少なりとも知られてきても、ほとんど手つかずの状態。二〇世紀の後半までね。その非線形の研究に道を開いたのはコンピューターの開発。

 マルティン・ハイデガーに従って、「答えを出すことではなく、問いを発することこそ重要」という意見がポスト構造主義の時代にも支配的だったけど、それは時代錯誤ですね。アンリ・ポアンカレ的、すなわち一九世紀的発想だもの。だおたい、問いのほとんどは無意味。「文学界の江戸・ウッド」あるいは「文学界のナポレオン・ダイナマイト」佐藤清文が江戸川の土手に座って「なんで俺は運が悪いんだ?」みたいに、自問自答すべきものか、タンパベイ・デビルレイズのデーモン・ホリンズ(Damon Hollins)が全速力で前進しながらライト・フライをバンザイしたのを見たルー・ピネラ監督の「あいつは馬鹿じゃないのか?」のような、レトリカル・クエスチョン。問いは自己の中心性と他者の同質性の確認。これが国民国家=産業資本主義に基づく自己。二〇世紀後半に本格化したコンピューターは解けない問題でも数値計算をして、ヴィジュアル化できる。そのシミュレーションが非線形研究を可能にしたってわけ。問いでも、答えでもない。アルゴリズムが重要なんです。でも、それさえ、今じゃ、あやしい。ガチョーン!谷啓さん?じゃあ、これならどうだ。がんばーれ、つーよいぞ、ぼくだのなまか!東八郎さんだねえ。

 自然的であろうと人工的であろうと、現象のほとんどは、実は、非線形に属している。しかも、それを利用してきた歴史がある。人類って賢いなあ。別に厄介なものだったわけじゃない。冥王星の軌道や雪崩、化学反応、ニューロン、脳波、溶鉱炉、変圧器、多重振り子、濁流、インフルエンザの患者数の変動、株式市場の暴落、耕地の植物群落、希少生物の絶滅、希少言語の消滅、レーザー・システムあげればきりがない。天気がなかなか当てられないのは、気象予報士ガ無能だからじゃないんです。だから、予報が外れたからといって、森田さんを責めちゃいけません。まあ、気持ちはわかるけど。

 要素間の関係が線形であれば、各要素の独立性と均質性が保たれていると考えられるから、重ね合わせの原理で理解できる。パチンコ玉はどれでも同じパチンコ玉じゃねえかってこと。でも、相互作用が非線形になっていると、要素間で特定の関係が強まり、全体が一つの秩序を持ってまとまっていったり、逆に不安定性が「本気でドンドン」って具合で増幅されてしまったりすることも起こる。要素間の関係が特定の傾向を強めあって、全体が自発的に一つの秩序にまとまってゆくのを「自己組織性(Self-Organization)」って言う。これは、今日の番組で、しょっちゅう触れるから忘れないでね。少しずつリズムの違う振動が非線形の相互作用があると、全体が同期したリズムに統合されてゆくことがある。振動の「引き込み現象(Synchronization Phenomena)」と呼ばれ、非線形のシステムに見られる自己組織性の一例。♪With one breath, with one flow, You will know synchronicity,これは、とにかく多くの現象が自己組織性から研究されていて、非線形の数理モデルで説明されるものも少なくない。

 ちょっこし古いけど、ニューヨーク・メッツのペドロ・マルティネスがテンポよく好投していると、対戦相手のシカゴ・カブスのカルロス・ザンブラーノも引き込まれていいピッチングをするようなもの。「うまいぞ、へたくそ」。非線形の相互作用が、逆に、初期値敏感性のため、不安定性を増幅してしまう場合もある。ほら、パチンコやってるときに、ハンドルの隙間にマッチ棒を挿して固定しているのに、玉があっちこっちに散らばるでしょ?あれあれ。微妙な違いがそれぞれのパチンコ玉にあるから、あんな風になっちゃう。どんなに高い精度で最初の状態を観測しても、ほんのわずかな誤差が時間と共に増幅されるから、ある時間より先の未来については予測が不可能になってしまう。これがカオス。「決定論か確率論か」や「必然か偶然か」なんて、伝統的な二項対立は非線形では無意味。決定!決定全日本歌謡選抜!ベンちゃんのね、『運命』を歌ってもらっちゃおうかな、小川哲哉。♪うんめいー、うんめいー、おやじが死んだ、おふくろも死んだ、女房も死んだ、なぜだろ、どうして、なぜなんだろ!うんめいー、それもうんめいー!

 カオスは短期的にはバルーフ・スピノザ、長期的にはゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツという現象。ライプニッツか、スピノザか?Either Or?いや、どっちも。んー、ウィリアム・シェークスピアの『お気に召すまま(As You Like It)』のセリフを思い出しちゃいますねえ。”Time travels in diverse paces with diverse persons”.

 一応言っとくと、線形がダメなんじゃないからね。これまでの蓄積もある示唆。線形の研究って使えるし、まだまだ行けるとこもあるんよ。要素還元主義の意義ってやっぱあるんだ。新しいのが出てくると、今までのはもう古いってダメ出ししてさ、切捨てんのは短絡だぜ。ステロタイプだな。

 それに、デカルトには個人的な思いれもある。五歳の時に、理由は何か覚えてないけど、親にこっぴどく叱られてね。自分の部屋に行こうと階段登っている時にさ、なんか自分が自分でない気がしてね。「本当に僕は生きているのかな?ここにいるいるのは本当に僕なのかな?」と自問してさ。でも、その時、ふっと、「いや、待てよ、今ここにいる僕は本当に僕なのかなと思っている僕はいる。だから、僕は生きてるんだ」という考えが浮かんでね。その後も、自分が自分でない気がした時は、いつも思ってね。「本当に僕なのかなと考えている僕がいるじゃないか」ってね。中学の授業で、デカルトの「我思う故に我在り」を知った時、自分と同じ考えの人がいるんだと嬉しくなってね。だから、デカルトは捨てられない。

 専門用語は意味が厳密。これを使って説明できるのは、説明する対象がわかってるかよりも、そのテクニカル・タームを操作できるってこと。対象をわかっているかどうかは日常語で説明できるかどうか。対象の構造を日常的なことに見られる同じ構造のもので置き換えるってことだからさ。

 伝統的な主観=客観の二項対立も同じ状況に直面している。フェリックスも含めて、ポスト構造主義の哲学者は主観の哲学を提起しています。この主観はニュートン力学的な主観とは違って、均質じゃない。それぞれによって違う。ムラがある。つまり、一にもそれぞれ特有な幅があって、それを二つ足しても、二にはならない。いや、その二も幅があるから、他の二と違ったりするって複雑なことになっちゃうんです。ニュートン力学に基づく要素還元主義的な近代哲学は主観の均質性を前提にしている。線形において要素は独立しるから。でもね、非線形では、引き込み現象が示しているように、要素は相互に依存している。フェリックスの哲学じゃあ、主観は均質じゃないから、自己組織化するってこと。

 非線形を感じてもらうために、ポップ・ミュージック史上最高の曲の一つをお聴かせしよう。ビーチ・ボーイズ(Beach Boys)、『グッド・バイブレーション(Good Vibrations)』。

Ah! I love the colorful clothes she wears
And the way the sunlight plays upon her hair

Ah! I hear the sound of a gentle word
On the wind that lifts her perfume through the air

I'm pickin' up good vibrations
She's givin' me the excitations
I'm pickin' up good vibrations
(Ooo, bop-bop, good vibrations)
She's givin' me the excitations
(Bop-bop, excitations)
(Good, good, good, good vibrations)
I'm pickin' up good vibrations
(Ooo, bop-bop, good vibrations)
She's givin' me the excitation
(Bop-bop, excitations)
(Good, good, good, good vibrations)
I'm pickin' up good vibrations
(Ooo, bop-bop, good vibrations)
She's givin' me the excitations
(Bop-bop, excitations)

Close my eyes; she's somehow closer now
Softly smile I know she must be kind
When -- I look in her eyes
She goes with me to a blossom world

I don't know where, but she sends me there
(Oh, my my love sensation)
(Oh, my my heart elation)

Gotta keep those lovin' good vibrations a-happenin' with her x3

Ohh!

(Good, good, good, good vibrations)
I'm pickin' up good vibrations
(Ooo, bop-bop, good vibrations)
She's givin' me the excitation
(Bop-bop, excitations)
(Good, good, good, good vibrations)
I'm pickin' up good vibrations
(Ooo, bop-bop, good vibrations)

Na na-na na-na na-na-na

 ブライアン・ウィルソンは、もう、天才。最高です!彼は、実は、方耳が聞こえない。信じられる?メロディもといい、コーラスといい、演奏といい、言うことなし!完璧なシンクロニシティ!一曲だけという条件なら、このポケット・シンフォニーにビートルズも及ばない。スクリティ・ポリティが後にコンピューターを使って、こうした試みに挑戦しているけど、このときは、聴覚のみ。ブライアン・ウィルソンは大バッハ波の才能の持ち主ですね。しかも、わずか三分そこそこに音楽のすべてを凝縮しているんだから、凄いの一言じゃありませんか。レナード・バーンスタインがブライアンを「アメリカの宝」って絶賛したけど、わかりますです、ハイ。


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