北緯35度42分─ヘンリー・ミラーの『北回帰線』(7)(2007)
7 都市放浪記
都市は借用の空間だ。所有の空間じゃない。中世の修道士たちの変遷がそれをよく物語っている。11、12世紀のシトー会やプレモントレ会などの修道士は、江川温の『ヨーロッパの歴史』によると、「祈祷典礼の専門家たち」であり、その役割は「なによりもまず祈りを通じて神の恩寵を地上の教会組織に導入、蓄積すること、また各修道院と深い関係にある個々人の魂の救済のために祈祷典礼を行うこと」であって、修道院の存立基盤は農村における大土地所有制だったが、13世紀に入ると、托鉢修道精が誕生し、事情が変わる。フランチェスコ会やドミニコ会、カルメル会、聖アウグスティヌス会などの修道士たちは「土地財産を持たず、もっぱら喜捨や寄付によって生活し、祈祷よりも説教を主要な活動」としている。彼らの活動の主な場は都市である。修道士も農村に住む限り、土地や財産を所有していなくては生活していけないが、都市では、それらを持っていなくとも、生計を立てられる。その代わりに、彼らは言葉を喜捨や寄付と交換する。農村の修道士は祈祷の作法さえ知っていれば、無学でも無教養でもかまわなかったが、都市の托鉢修道士はキリスト教の知識に通じ、なおかつ話題が豊富で、人を魅惑する話術にも長けていなくてはならない。ヘンリー・ミラーは、その意味で、現代の托鉢修道士である。
もっとも、今、都市放浪記を創作しようとする作家がいるのなら、現実の都市だけじゃなく、『マトリックス』よろしく、ゲームやウェブ、中でも「セカンドライフ」を書くというのも手だろう。ワグナー・ジェイムス・アウはセカンドライフをウォッチし、そえを自身のブログで報告している。人生において最も重要なのはと問われると、「愛」と答えるロマンティストもいるだろうし、「カネ」と嘯くリアリストもいるだろう。しかし、俺に言わせれば、どっちも違う。本当に必要としているのは人と人とののつながり、すなわちコミュニケーションだ。「セカンドライフ」はそれをよく物語っている。
江戸の庶民も家じゃなく、町に住んでいる。住み家は借家、食事は外食、風呂は銭湯、遊びは歌舞伎小屋か遊郭。都市は、近代に入ると、それがより顕在化するが、物と言うよりも、サービスの社会である。しかし、東京は、江戸の郊外も吸収したこともあって、高橋淳子の『東京「農」23区』に目を通すと、意外と農地が多いことに気がつかされる。1984年に発表された吉幾三の『俺ら東京さ行ぐだ』に「東京へ出だなら、銭コァ貯めで、東京でベコ飼うだ」とあるが、1985年まで東京で牧場が営業されている。昭和40年代までは23区内にも牧場がいくつかあり、23区最後であると同時に日本最古の牧場である四谷軒牧場が当時まだ残っている。しかし、あの歌詞は、俺の東京での生活とそれほど遠くない。テレビはチャンネルを変えると、画面が真っ黒になるので、その度に、スイッチを入れ直さなきゃなんない。どうも俺は電化製品と相性が悪い。そのテレビを除いても、過去2年間だけでも故障したのは、電子レンジ、冷蔵庫、給湯器、ビデオ・デッキ、プリンター、CATVチューナー、CDプレーヤー(2台)、固定電話(2台)、モジュラー・ジャック等々。最近、携帯電話も調子が悪い。体から何か電磁気力でも出てんじゃねえかってよく言われるが、確かに静電気がたまりやすいのは事実だけれども、俺はそんな似非科学を信じるような男じゃない。ちゃんと無事なのもある。炊飯器、洗濯機、エアコン、DVD兼用のLDプレーヤー。そう、吉さんよ、俺にはレーザーディスクがある!パイオニアのDVL-919で、『俺たちは天使だ!』や『あぶない刑事』を今でも時々見ている。カメラのサイズとアングルが基本通りで、今時の刑事物と違い、カット・バックが抑えられているのがいい。おまけに、数多くの名作へのオマージュもある。『天国と地獄』、『グロリア』、『フレンチ・コネクション』、『ダーティー・ハリー』、『スカーフェイス』等々。別に、テレサ野田を懐かしがっているだけではない。
テレビも無エ ラジオも無エ
自動車(クルマ)もそれほど
走って無エ
ピアノも無エ バーも無エ
巡査(おまわり)毎日ぐーるぐる
朝起ぎで 牛連れで
二時間ちょっとの散歩道
電話も無エ 瓦斯(ガス)も無エ
バスは一日一度来る
俺らこんな村いやだ
俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら
銭(ゼニ)コア貯めで
東京でベコ(牛)飼うだ
ギターも無エ ステレオ無エ
生まれてこのかた 見だごとア無エ
喫茶も無エ 集(つど)いも無エ
まったぐ若者ア 俺一人
婆さんと 爺さんと
数珠(ジュズ)を握って空拝む
薬屋無エ 映画も無エ
たまに来るのは 紙芝居
俺らこんな村いやだ
俺らこんな村いやだ
東京へ出るだ 東京へ出だなら
銭(ゼニ)コア貯めで
東京で馬車引くだ
ディスコも無エ のぞきも無エ
レーザー・ディスクは何者だ?
カラオケは あるけれど…
(吉幾三『俺ら東京さ行くだ』)
2007年11月22日、『ミシュラン・ガイド』東京版が発売され、それに先立つ同月19日、その概要が公表されたが、東京がパリの2倍の星を獲得したことに欧米のメディアが驚きをもって伝えている。「東京は美食の都の地位からパリを引きずり降ろした」(AP通信)や「パリもニューヨークもローマも忘れてしまえ。グルメの本場は東京なのだ」(ロイター通信)など「マイアミの奇跡」を思い起こさせるような見出しが躍っている。
『ミシュラン』の評価の妥当性はさておき、徳川家が江戸に幕府を開いた頃にはこんな出来事が起こるとは夢にも思わなかったに違いない。当時は、浅草に奈良茶飯屋がある程度で、料理文化はお粗末極まりなかったからだ。
料理文化は、食文化の中でも、美食を問題とするもの。これは料理屋と料理本によって具体化されると言っていい。
江戸時代初期の文化の中心は上方、つまり京都や大阪。都市は人や物、金、情報の出入りする場であり、流通量の多さがその都市の活発さの指標となる。その点で、当時の江戸は上方とは比較にならない。江戸産のものは「下らないもの」や「地のもの」と呼ばれている。今日、ローカルな地域で生産されている酒を「地酒」と言うことがあるが、元々は江戸産の酒という意味。
当時の酒は、現在と比べて、全般的に糖度が高く、甘ったるい。そんな中でも、上方の酒は、比較的辛口で、すっきりしていたため、地酒よりも尊ばれたのも当然。
江戸以前、米の総生産量の3分の1以上が酒類の製造に使われている。食べるより、飲む方がいいという気持ちはわからないでもない。戦乱の世が終わったため、水田開発が急速に進み、米の生産量が増し、酒の製造も大規模化されていく。それに伴い、関西の地元で消費されるだけでなく、関東にも売られるようになっている。酒だけでなく、酢や醤油が家内制ながらも量産されるようになったのは江戸時代に入ってからのこと。
しかし、時が経つにつれ、江戸でも料理文化が発達していく。そのうちに、「料理人を喰いに行く」などと口にする「通」を気どる食道楽者も現われ、グルメのガイド・ブックや格づけ本も盛んに出版される。路上の煮売屋が近世中期に入ってから闊達し、「料理屋」となる。各料理屋も競って腕の立つ料理人を集め、さまざまな趣向を凝らし、名店との評判を得ようと躍起になっている。19世紀初頭の文化・文政期(1804~30)に江戸の料理文化は最高潮に達する。
その代表が浅草の「料理屋八八百膳」。数人でお新香が添えられた茶漬け一杯を頼んだら、1両2分請求されたという記録がある。現在の貨幣価値に換算すると、数万円。何しろ、富士山麓の清水で研いだ米、みりんで洗った大根、油紙の覆いを被せ、その中を火鉢で温めて栽培したナスを使っている。野菜をハウス栽培したり、魚や鳥も養殖したりして、旬の季節以外に出すというのは八尾膳の売り物。また、八百膳は『料理通』という本を刊行していたが、これは江戸土産として珍重されている。
その頃の様子は、サントリー美術館に所蔵されている『江戸高名会亭尽 八百膳の巻』で垣間見ることができる。そこでは料理だけでなく、内装や庭、景色も呼び物の一つだったことがうかがい知れる。
けれども、江戸幕府と料理文化は、根本的には相容れない。料理文化は消費文化の隆盛と平行している以上、質素倹約とは相反する。「改革」が行われる度に、料理文化が衰え、終わると盛り返すのを繰り返していたが、1841年に始まった天保の改革以後は、勢いを取り戻せず、衰退していく。
料理文化は商業と相性がよく、本質的に都市文化。もちろん、都市で飽食の状態にありながらも、地方は飢餓に苦しんでいるという格差を政治家とすれば見過ごすわけにはいかない。けれども、料理をあまりに「物」として考えてばかりいては、味気ない。
料理文化は食を唯物的にではなく、情報として捉えてることで生まれる。情報だから、手に入りにくいもの程ありがたがられるし、信頼性も重要になる。ガセネタをつかまされたタレコミ屋を相手にする刑事はいない。美食は審美的に味わうのではなく、情報を味わえること。究極の料理に到達することを目指すのが美食家の目標ではない。
腹をすかしている人には食はエネルギーの源である一方、美食家にはエントロピーと譬えることもできる。エントロピーが最初に用いられた熱力学では、温度が一定の場合、エネルギーとエントロピーを同じとして差し支えない。しかし、現代は絶え間ない変化の世の中、つまり温度が一定していない社会。グルメ情報も、当然、コロコロと変わる。もし『ミシュラン』の星を権威=エネルギーとして捉えるとしたら、客も店も時代離れしているだけ。変化を味わうのが、むしろ、料理文化にほかならない。
ここのところ、日本は未来ではなく、過去志向だ。映画もそうだが、オタク文化はレトロである。しかし、それには懐かしさはない。思いつきや思いこみが気になることも少なくない。ビート・ジェネレーションが禅をつまみ食いしたように、しばしば、それが持っている歴史的・社会的な背景や意味を──意図的にしろ、無意図的にしろ──無視し、恣意的もしくはアイロニカルに再構成している。流行として飽きられてしまう可能性が高い。概して、自己完結性が強く、それが秘めている意味を読みとるリテラシーへの意志を感じない。懐かしさはその対象が自分自身の中で眠っていた記憶を呼び起こすときに覚えるプラトン流の想起である。本当においしいものの味は覚えていないものだ。食べる前のことや食べた跡のことは記憶にあるのに、食べている間のことは抜け落ちている。だから、また食べたくなる。それを口に入れ、舌で味わった沿いの瞬間に記憶が呼び戻される。想起を楽しむのが美食というもの。視覚や聴覚以上に、嗅覚や味覚、触覚など内部に入ってくるものがきっかけとなりやすい。視覚や聴覚にその機能がないってことじゃない。俺だって、『シバの女王』がラジオから流れてきたりすると、70年代のスキー場にいるかのような錯覚に陥ってしまう。そこはいつも軽く吹雪いている。言うまでもなく、記憶は、認知心理学の各種の研究が告げている通り、偏りがあったり、曖昧であったり、偽りがあったりするものだ。従って、重要なのは反芻することである。
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