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ポピュリズムと万能薬運動(2019)

ポピュリズムと万能薬運動
Saven Satow
Jun. 09, 2019

「おれが万能薬になるんだ!!!何でも治せる医者になるんだ!!!………だって……!!だって、この世に…治せない病気はないんだから!!!!」
尾田栄一郎『ONE PIECE』

 1933年に就任したフランクリン・D・ルーズベルト大統領は、世界恐慌にあえぐアメリカ社会を復活させるため、ニュー・ディール政策を実施する。しかし、効果は期待通りには現われず、人々の不安と不満はなかなか解消されない。しびれをきらした民衆の前に、自分の政策を実行すれば、アメリカはたちどころに回復すると「万能薬(Panacea)」を示す人物が出現する。庶民はその単純明快な処方箋に惹きつけられ、その運動は熱病のように全米に伝染していく。

 この万能薬運動の推進者は、イデオロギーから見れば、左右に亘り幅広い。ただ、いずれも自由放任的な資本主義を批判している。万能薬運動の代表的な推進者4人を紹介しよう。

 1936年にデトロイトに赴任したチャールズ・カフリン(Charles Edward Coughlin)神父は、信者と献金をp増やすため、地元のWJR放送局からラジオによる説教を始める。リスナーのリクエストに応えて説教を選び、アジテーターのような熱く激しい口調で人気を博している。1929年に世界大恐慌が起きると、時事問題をしばしば取り上げるようになる。

 1930年1月、カフリンはCBSラジオに出演、その際、共産主義者の陰謀にアメリカが見舞われていると発言する。大きな反響を呼び、以降、彼は反共産主義・反ユダヤ主義の主張をラジオで展開していく。抗議の投書やCBSによる是正要求があったものの、番組のリスナーは数千万に及び、このカトリック神父はそのスタイルを続けている。

 カフリンは、1932年の大統領選では、FDRを支持、当選後の1934年、金・銀の国家管理と銀貨の自由鋳造を提案している。しかし、大統領はそれを拒否、しかも、カフリンの主宰する宣教団体が銀に大口の投資をしていることを暴露してしまう。これをきっかけに、彼は反ルーズベルトに転向する。

 銀の自由化については補足が必要だろう。南北戦争以降、農産物価格が低迷、農民の暮らしは貧窮が続いている。その一方で、鉄道を始め産業の帝国とも言うべき巨大企業が次々に出現、富の集中が進む。格差拡大により、農民には鉄道や銀行など巨大資本への憎悪が蓄積していく。彼らは農産物価格の上昇と債務軽減のためのインフレを期待し、通貨供給量の増加につながる銀の自由鋳造を政治に要求する。ところが、既成政党はそれに答えてくれない。南部や中西部の農民の眼には、1870年代に迎えた北部の産業革命に浮かれたワシントンが農業のことを真剣に考えていないように映る。

 そこで農民たちは第三党を結成し始める。その代表が1891年に創立した「人民党(Populist Party)」である。これは農民の利益を守る諸党派が合流して結党されている。主張は「ポピュリズム」、党員は「ポピュリスト」とそれぞれ呼ばれる。この政党は短命に終わったものの、「ポピュリズム」や「ポピュリスト」は反エリート主義の内向き志向の草の根運動としてその語定着している。万能薬運動もこの系譜上にある。

 カフリンは、34年11月、社会正義全国同盟を創設、公的資源の国有化と農家の最低所得の保障を主張、中西部の農民や都市部のカトリック信者を中心に500万人が加盟している。彼は反資本主義者であるが、社会主義者ではない。イタリアのコーポラティズムをアメリカに導入すべきだと主張するなどファシズムに好意的である。また、36年の大統領選前に、ユニオン党を結成する。銀の証券を担保に農家への融資制度を提案していたウィリアム・レムケ共和党下院議員を候補に擁立している。しかし、結果は惨敗に終わる。

 カフリンは、選挙から1年間の休止の後、ラジオ説教を再開する。第二次世界大戦が勃発すると、アメリカの参戦への反対キャンペーンを始め、ニューヨークを本拠にキリスト戦線を結成、反共主義・反ユダヤ主義の直接行動を行っている。

 当時、参戦反対の世論は大きく、それを説いたのはカフリンだけではない。代表例としてはチャールズ・リンドバーグらが1940年に結成した「アメリカ第一主義委員会(America First Committee)」がある。この「アメリカ・ファースト」は伝統的な孤立主義の外交を守るべきだという運動だが、真珠湾攻撃以降、急速に下火になる。ところが、カフリンは自説を曲げず、政府やデトロイト大司教エドワード・ムーニーの圧力によって中止させられる1942年まで放送を続けている。

 カリフォルニアの医師フランシス・E・タウンゼント(Francis Everett Townsend)は、1934年、「タウンゼント・プラン(The Townsend Plan)」を発表する。これは老齢年金運動である。政府が60歳以上のすべての男女に月200ドルを支給する。その際、受給者は収益を上げる仕事を退き、それを1カ月以内に国内でのみ消費しなければならない。このようにタウンゼント・プランは経済復興政策と福祉政策を一体化させている。1934年はカリフォルニア州知事選挙の年で、この万能薬は西部の高齢者から熱狂的に支持されている。

 社会派の作家アプトン・シンクレア(Upton Sinclair)は、1934年、「カリフォルニアから貧乏をなくす運動(The End Poverty in California movement: EPIC)」を創設、カリフォルニア州知事選に挑んでいる。彼は、1906年に出版した『ジャングル(The Jungle)』によってアメリカ精肉産業の実態を告発、食肉検査法などの食品衛生に関する制度の成立を促進したカリスマ的作家である。

 このピュリッツアー賞作家は、それ以前にも知事選に社会党候補として出馬したものの惨敗している。34年の選挙では民主党候補として臨む。利用のための生産という主張は有権者から一定の支持を得たが、共和党のフランク・ミリアムの約114万票に対して、シンクレアは約88万票で敗れている。

 大企業攻撃で民衆から人気があった弁護士のヒューイ・ロング(Huey Pierce Long, Jr.)は、1928年、二度目の挑戦でルイジアナ州知事選挙に史上最年少の34歳で当選する。彼は大企業や大農場を糾弾しつつ、教科書無料支給やスクールバス制度の確立、人頭税の廃止、舗装道路の拡張、橋の建設などの政策を実施、白人貧困層から圧倒的に支持されている。しかし、財政赤字の拡大や金権政治、議員の買収、司法・教員への圧力など独裁的統治・政治腐敗も招いている。

 ロングが1929年にスタンダード石油への課税を勧めようとした際、下院によって知事弾劾案が提出される。けれども、買収と恫喝で無効にしている。ロングは、32年、子分のオスカー・K・アレンを州知事にさせ、自身は国政に鞍替え、上院議員に当選している。

 ロングは1934年の大統領選挙においてFDRを支持したが、自分への評価が低いと1カ月で反対派に転向している。大統領は大企業の虜になったと糾弾、「富の共有運動(Share Our Wealth)」を始める。そこで彼は資産没収を含む累進課税やすべての家族への自作農場の提供などを富の再分配を主張し、庶民から熱狂的な支持を獲得する。ロングの元にこのような手紙も寄せられている。「私はルーズベルト大統領に投票しましたが、ウォール街が彼にふらふらになるほどのパンチを食わせたようです。私たちに必要なのはあなたの主張する通り、さらに左に進む決断力のある人物です」。

 民衆のロングへの熱狂を目の当たりにしたFDRは彼を最も危険な二人の人物のうちの一人と警戒している。ちなみに、もう一人はダグラス・マッカーサーである。

 しかし、民衆からの支持と裏腹に、その独裁的な手法によりロングは多くの政敵を生み出している。実際、彼もそれを承知しており、つねにボディーガードを同行させている。

 特に、ロングが警戒していたのはベンジャミン・ペイリー判事である。上院議員になってからも、ロングはルイジアナの陰の州知事として影響力を行使、判事排除を画策している。医師でペイリーの女婿カール・ワイスにより、1935年9月8日、バトンルージュのルイジアナ州会議事堂で撃たれ、2日後に亡くなる。ワイスもその場で射殺されたが、事件に関しては謎が多く、今でもさまざまな説が唱えられている。

 このように万能薬運動は世界恐慌期に熱狂的に民衆から支持されたが、統治に対する影響は限定的である。それはその先祖である19世紀末のポピュリストも同様だ。第二次世界大戦後、ニュー・ディールはリベラルを再定義し、保守派はその批判にアイデンティティを見出す。もっとも、保守派にしても、リチャード・ニクソンがそうであるように、福祉国家から逸脱することなどない。ポピュリズムや万能薬運動は格差拡大による貧困層からの異議申し立てで、既成政党への不満やエリート層に対する不信が伴っている。しかし、戦後は中産階級が増加、そうした運動が活発化することはない。

 けれども、ここで紹介した4人は今日のアメリカのポピュリストたちと少なからず重なる。財政赤字など気にすることはないとするMMTは21世紀の万能薬運動だろう。けれども、当時より事態は深刻である。カフリンが大統領になることはあり得なかったが、2016年の大統領選では政治経験のないリアリティショーのホストで、「アメリカ・ファースト」を叫ぶドナルド・トランプが当選している。

 これはアメリカに限らない。世界各地で万能薬を口にするポピュリストが国家指導者の地位に就いている。彼らは貧困層から人気がある反面、非寛容な主張や独裁的手法を続けるカフリンとロングを合成したような人物である。格差の拡大によるエリート層への反発や既成政党に対する不信の世界的伸長がこうした指導者を招いている。日本も然りである。アベノミクスなる万能薬を嘯く安倍晋三が首相になり、憲政史上有数の長期政権が続いているのがその証だ。しかし、万能薬はドラッグにすぎない。何もしていないのに、何かをした気にさせるだけである。
〈了〉
参照文献
『教科書アメリカ合衆国史』全3巻、講談社現代新書、1989年

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