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対面販売と暗黙知(2013)

対面販売と暗黙知
S aven Satow
Oct. 03, 2013

“Super flumina Babylonis, illic sedimus et flevimus, cum recordaremur Sion. In salicibus in medio eius suspendimus citharas nostras. Quia illic rogaverunt nos, qui captivos duxerunt nos, verba cantionum, et, qui affligebant nos, laetitiam: ‘Cantate nobis de canticis Sion’.Quomodo cantabimus canticum Domini in terra aliena?”
“Psalmus” 137: 1-4
 
 食料品関連小売業において、百貨店や総合スーパーに代表される量販店が総販売額の50%を占めている。しかし、店舗数で見ると、専門店や中小店が圧倒的に多数である。減少していることは確かであるが、依然として健在である。10年前の2003年のデータで恐縮であるけれども、店舗数が百貨店312、総合スーパー1.670、食料品専門スーパー18.493であるのに対し、食料品専門店・中小店は323.167とケタが違う。

 専門店・中小店は対面販売方式を採用している。この販売方法が日本の食料品小売業では根強い。百貨店は言うに及ばず、セルフサービス方式が中心である総合・専門スーパーでも、部分的にとり入れている。

 スーパーはアメリカで開発されたイノベーションである。ただ、アメリカではスーパーは食料品関連専門小売店である。日本において、それを「専門スーパー」と呼び、食料品だけでなく、日用品雑貨や衣料品も備えているのを「総合スーパー」と区別している。厳密に言うと、食料品比率70%以上が前者、10~70%が後者である。このように分化したのには固有の事情が影響している。

 スーパーは大量仕入・大量販売によって商品の低価格を実現する。豊富な品揃えによりワン・ストップ・ショッピング、すなわち一店を利用するだけで欲しい食料品がすべて購入できることを狙っている。人手を減らすために採用したのがセルフサービス方式の販売方法である。

 1950年代に日本に入ってきたが、スーパーは環境への適応を余儀なくされる。日本の食料品買物習慣は少量多数回購買である。住宅地から徒歩ないし自転車で毎日のように行ける範囲に専門店・中小店が立地する方が適している。当初は自家用車の普及率も低く、また住宅も狭いので、食料品専門の量販店が成功する見込みはない。徒歩や自転車で行ける都市部の駅前などに総合スーパーが出店し、成長し始める。

 自家用車が普及し、住宅事情も改善され、次第に郊外に大型の量販店が出店しても成功するようになる。けれども、依然として食良品専門店・中小店の数が他国と比べて格段に多い。また、人口・面積当たりの店舗数も上回る。以下の統計データは時期のずれがあるので、参考資料として見ていただきたい。



日(99年)
米(97年)
英(92年)
仏(90年)
独(90年)
店舗数(単位千)
488
177
79
167
125
人口1万人当り店舗数
38.5
6.6
13.7
29.7
19.6
100平方km当り店舗数
129.2
1.8
32.2
30.4
50.2


 このように日本の数値が際立っている。量販店によって従来の小売店が駆逐されていない。それは、スーパーが成長しても、少量多数回購買の買物習慣が続いていることも意味する。

 専門店・中小店は質と量の変化に臨機応変に仕入れを行い、店頭の品質水準をできる限り安定させている。消費者は各食料品毎にその時々のニーズに応じて複数の小売店の売場から選ぶことができる。

 この買物習慣には対面販売が合っていると言わざるを得ない。対面販売の最大の利点は暗黙知に代表される多様な情報が収集できることである。対面販売は顧客と店員が会話を交わしながら売買を行う。顧客は自分の消費行動を自覚していないことが多い。店に行ってから買うものを決めることもよくある。

 暗黙知は売り手にも買い手にもある。暗黙知を言語化できる消費者がいるなら、開発に参加してもらえれば、満足度の高い商品が生み出せるに違いない。近年、消費者とのコラボレーションによる商品が市場に投入され、成功している。当然だろう。

 店員は言葉を交わしたり、容姿や身なり、しぐさを見たり、同伴者の様子をうかがったりするなどして顧客のコンテクストを洞察する必要がある。顧客のニーズを将来の予測を含めて的確に把握し、生産事情や食料品に関する豊富な情報を提供する。顧客の消費行動は暗黙知であり、店員はそれを明示化する。そうやって収集・蓄積した知識に基づいて、品揃えや店構えを考える。

 この過程をコミュニケーションとして捉えることもできるだろう。コミュニケーションの上達には経験や学習が要る。試行錯誤の中で磨かれる技能であり、「力」ではなく、「才」に属するものである。

 かつての店員は近所の情報を熟知していることが自らの財産である。いささかやみくもであるけれども、三河屋などは経験の浅い店員を御用聞きとしてお得意様を回らせて学習させたものだ。育成や継承を前提にしたシステムである。暗黙知は、それが言語化しにくい理由でもあるが、繰り返しの中で習得するものである。その日々の営業を通じて才が磨かれていく。

 対面販売方式は経験が必要であるから、非正規雇用では十分に務まらない。ところが、小売業は、顧客の来店に波があるので、非正規雇用が適しているとされ、量販店やコンビニ等でその拡大が進んでいる。経験不足を補っている一つの手段がIT活用である。量販店がPOSシステムを導入し、消費行動を定量データとして収集・解析するのは、明示化の形式化である。それはブラウン運動を統計力学によって把握することに似ている。

 最近、日本を世界に売りこむ際、「おもてなし」がしばしば用いられる。しかし、それはたんなる接客の姿勢ではない。もてなしができるようになるには、経験が必要である、なのに、非正規労働者比率が年々増加し、4割の実態である。誇大広告以外の何物でもない。

 暗黙知を形式化せずに奥深いとありがたがる時代はITの進展と共に消え失せている。カリスマや達人を持ち上げるのは、アナクロであるから、やめた方がよい。それは、育成や継承のシステムが解体し、人材の使い捨ての風潮の現われでもあろう。

 集めた定量データを解析すると、思いもかけぬ消費者行動が発見される場合もある。その端的な例が「おむつとビールの法則(Diapers and Beer)」だろう。詳細は省くが、米大手スーパーで、データ・マイニングの結果、紙おむつとビールを同時に購入する消費者行動が見つかり、それを並べて陳列したら、売り上げが伸びたという話である。消費者の暗黙知を明示化して、店は陳列の変更で応えている。

 今日のITの進歩は目覚ましく、消費行動をめぐる情報も膨大に集められ、詳細に解析されている。量販店やチェーン店はPOSだけでなく、さまざまな手法でデータ収集を行っている。顧客のニーズを将来の予測を含めて可視化し、品揃えや店構えに関するヒントとさえなり得る。ビッグ・データ・ブームはこうした動向の拡張である。

 とは言うものの、個々の顧客のニーズに対応する点では、対面販売の方が上である。消費者が本当に欲しいものがないので、別の商品を買っていることは少なからずある。その心の内はデータには現われない。一方、対面販売であれば、店員は顧客とのコミュニケーションを通じて知ることができる。「パール柑、ここにはないの?」という顧客からの質問により、店頭に置いていない商品の需要に店が気がつくというわけだ。

 この情報収集の暗黙知を無視できないからこそ、量販店であっても、部分的に対面販売をとり入れているのだろう。データ・マイニングの定量分析に加えて、対面販売の持つ定性分析を活用すれば、消費者の暗黙知をより理解できる。これまで外資系スーパーが進出してもすべて失敗に終わったのは、この暗黙知に対する認識の不十分さも一因である。

 対面販売の人材育成には、多様なコミュニケーションの経験が要るので、コストと時間がかかる。非正規雇用労働者比が増加する傾向ではそれがままならない。けれども、日本の根強い買い物習慣を考慮に入れるなら、人件費の圧縮ではそのニーズに応えられないのは明らかだろう。

 近年、総合スーパーが低迷傾向であるのに対し、食料品専門スーパーが堅調である。この専門スーパーはフランチャイズ制を採用している場合も多い。チェーン店毎の消費者のニーズに差異化が起きており、本部が受注の中心であるものの、各店が独自仕入れを部分的に認められ、地元固有のそれに対応している。競争で生き残るためには個別への志向が欠かせない。それには生の情報が欲しい。売場に才ある店員が要る。

 暗黙知は言語化しにくい。だからこそ、食料品関連小売業において消費者の暗黙知を認知することが店の成果につながる。それは今も昔も変わらない。
〈了〉
参照文献
稲本志良他、『アグリビジネスと農業・農村』、放送大学教育振興会、2006年

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