わが友トランプ(2017)
わが友トランプ
Saven Satow
Aug. 21, 2017
“We’ll see what happens with Mr. Bannon. He is a good person, and I think the press treats him frankly unfairly”.
Donald J. Trump
その大広間には二人の男しかいません。一人は額が広く、もう一人は小柄で、ちょび髭を生やしています。彼らは今日から始まった事件について話しています。広い額の男が「アドルフ、よくやったよ。君は左を斬り、返す刀で右を斬ったのだ」と讃えます。それに応えて、ちょび髭の男が「そうです、政治は中道を行かなければなりません」と返すのです。
これは、1934年6月30日夜半、ベルリン首相官邸の大広間の光景です。額の広い男はグスタフ・クルップ、クルップ・コンツェルンを率いるドイツ産業界の実力者です。一方、ちょび髭の男はアドルフ・ヒットラーで、前年に首相に就任しています。
彼らが話し合っているのは6月30日から7月2日に亘って行われた「長いナイフの夜」についてです。これはナチスが決行した血の粛清です。エルンスト・レームらSA幹部、ナチス左派の領袖だったグレゴール・シュトラッサー、元首相で名誉階級陸軍大将のクルト・フォン・シュライヒャーなど党内外の多数を裁判なしに殺害しています。
この場面は、実は、三島由紀夫の戯曲『わが友ヒットラー』の第3幕のクライマックスです。舞台はここで幕を閉じます。
『わが友ヒットラー』は三島由紀夫が1968年に発表した全3幕の戯曲です。初演は翌年の1月18日、劇団浪曼劇場第1回公演として紀伊國屋ホールで上演されています。舞台は1934年6月30日夜半開始の「長いナイフの夜」前後のベルリン首相官邸の大広間です。第1幕と第2幕は事件数日前、終幕の第3幕は6月30日夜半に設定されています。登場人物は、アドルフ・ヒットラー、エルンスト・レーム、シュトラッサー、グスタフ・クルップの4人で、いずれも実在しています。
この作品は三島が「楯の会」の活動を行い、自衛隊の決起を待ち望んでいた時期に発表されています。彼は会のメンバーを引き連れて、その2年後の1970年のクーデター未遂事件を起こしています。
こうした背景からこの戯曲は三島の思想や心情の反映としてしばしば論じられます。実際、タイトルはレームの認知が強調されています。しかし、彼がそれを吐露するのは第2幕で、全3幕の芝居にもかかわらず、終幕に登場しません。実質的主役はヒットラーです。論者は、こういった点に注目して、三島の認知行動を読み解くテキストと扱っています。
ただ、『わが友ヒットラー』は戯曲です。小説ではありません。演劇固有のリテラシーに基づいて創作されています。小説家でもある三島がこのジャンルを選んだのには、演劇でなければ表現できないことがあるからでしょう。演劇のリテラシーを参照しつつ、作品御体現するメッセージを読み取る必要があります。
なお、リテラシーは、本来、読み書き能力を指します。しばしば批判的に読むこととして使われますが、それでは書くことが抜け落ちてしまいます。書き方を認識した上で、批判的に読むことをリテラシーとして用いられるべきです。
演劇は、暗転を使わない限り、同じ幕の間で場面が移動できません。物語の展開は人の出入りをきっかけにします。演劇の場面はホテルのロビーのようなハーフ・オープンの場所が基本です。ホテルの個室はクローズドですから、人の出入りがありません。また、ホテルの前の道路はオープンですので、多くの人が通過します。いずれも物語を動かすきっかけがつくりにくい場所です。もちろん、意欲的な劇作家はその難しい条件を逆に利用して捜索します。
『わが友ヒットラー』は場面がすべて首相官邸の大広間です。立ち入りが、ホテルのロビーのように自由ではありませんが、関係者には開かれていますので、ハーフ・オープンの空間に属します。ただ、登場人物が4人です。空間への人の出入りが多くとれませんから、展開が少なくなります。これですと、物語が動くきっかけのないまま、会話が続くことになり、煮つまっていきます。
登場人物は作品世界の内部でのみ活動します。世界の境界ないし外部の視点が作品には表われません。登場人物はこの空間からの解放を望むように振る舞います。『わが友ヒットラー』の場面設定と登場人物数であれば、作品は行きづまり状態からの脱却への願望や意思を表現することになります。
それでは作品のあらすじをたどってみましょう。
第1幕 は 1934年6月、ベルリン首相官邸の大広間という設定で、奥にバルコニーが見える部隊構成です。前年の総選挙でナチスが第一党になったため、首相に就任したアドルフ・ヒットラーが聴衆に向かい演説しています。官邸に呼ばれた突撃隊幕僚長レームとシュトラッサー、鉄鋼会社社長クルップが演説を終えたヒットラーと会話をします。彼らはそれぞれ思惑を持っています。
第2幕は その翌朝、ベルリン首相官邸の大広間です。朝食後、ヒットラーは、レームに突撃隊に長期休暇をとることを勧めます。その際、現大統領が死んで自分が職を引き継ぐまでの間、病気を装って休戦するように指示します。
正規軍の最高指揮官となったヒットラーは、実は、ナチスの私兵の処分を考えているのです。そうとは知らないレームはヒットラーに厚い友情を抱き、「どんな時代になろうと、権力のもっとも深い実質は若者の筋肉だ。それを忘れるな。少なくともそれをお前のためにだけ保持し、お前のためにだけ使おうとしている一人の友のいることを忘れるな」と言い、指示に従うと去ります。
レームとの会話を盗み聞きし、ヒットラーの意図を見抜いたクルップが現われます。彼は「嵐の兆そのものだった」とヒットラーをヨイショします。
昨夜からにヒ首相の目論見に気づいたシュトラッサーは、このままでは殺されてしまうとレームにヒットラー追い落としのクーデター計画を持ちかけます。レームはそれに反発し、両者は口論を始めます。レームはヒットラーを裏切るような行動に加担できないとシュトラッサーの提案を拒むのです。
第3幕は1934年6月30日夜半、ベルリン首相官邸の大広間です。レームとシュトラッサーを「長いナイフの夜」で粛清し、眠れぬヒットラーはクルップを呼び出します。二人は粛清が正しかったと語り合います。
ヒットラー 射て!…射て!…射て! レームあってこそ肩で風を切っていた、あの若い逞しい無頼漢ども。筋肉だけをたよりにしたやつらの青春のこれが最後だった。・・・これでおしまいだ。これであいつらの兵隊ごっこも、口先だけの義侠義血も、旗日ごとの人もなげな行進も、ビヤホールでの放歌高吟も、古臭い野武士気取も、ノスタルジヤも、感傷的な戦友愛もおしまいだ。…これでおしまいだ。あいつらの夢みていた革命もおしまいだ。…親衛隊の銃弾が、やつらの子どもっぽい革命の夢の、金モールで飾り立てた胸もとを、穴だらけにしてしまった。…これでどんな革命ごっこもおしまいだ。
クルップ どんな革命ごっこも…。もう二度と革命を夢みるものは出ては来るまい。革命の息の根がとめられた今日、軍部はこぞって君を支持している。君ははじめて天下晴れて大統領になる資格を得たのだよ。こうなくてはならなかった。
ヒットラー あの銃声が、クルップさん、ドイツ人がドイツ人を射つ最後の銃声です。…これで万事片附きました。
クルップ そうだな。今やわれわれは安心して君にすべてを託することができる。アドルフ、よくやったよ。君は左を斬り、返す刀で右を斬ったのだ。
ヒットラー そうです、政治は中道を行かなければなりません。
これで幕引きを迎えます。
合法的・非合法的を問わず、非主流の勢力が権力を握ると、経験不足から統治に行きづまるものです。中心的人物は権力を手放さないために、共に頑張ってきた左右の急進派を切り、現実的な統治にしばしば向かいます。明治維新の後に岩倉具視ら穏健派が西郷隆盛や板垣退助を下野させたことなどがそうした例です。
ところが、この作品のヒットラーは全体主義を徹底化する目的で国民の警戒感を解くために中道のポーズをとります。彼は現実的な統治に急進派が邪魔だから「長いナイフの夜」を起こしたわけではありません。極右のイデオロギーから決別したと国民に思わせるためです。レームはヒットラーにとって「わが友」であるからこそ粛清されなければならないのです。
この三幕の戯曲で私が書きたかったのは、1934年のレーム事件であって、ヒトラーへの興味というよりもレーム事件への興味となっている。政治的法則として、全体主義体制確立のためには、ある時点で、国民の目をいったん「中道政治」の幻で瞞着せねばならない。それがヒトラーにとっての1934年夏だったのであるが、このためには極右と極左とを強引に切り捨てなければならない。そうしなければ中道勢力の幻は説得力を持たないのである。
(三島由紀夫「作品の背景──『わが友ヒットラー』」)
しかも、登場人物4人のうち2名がいなくなります。これではもう物語の展開が望めません。この状態が今後続くことになります。全体主義が完成するのです。
確かに、ナチスを美化しているという批判もあり得ますが、ヒットラーが権力をわがものにするための過程の一面を演劇の特性を生かして表現したという点で、すぐれた作品です。小説家としての三島は空疎な比喩の羅列のナラティブやロマンス構造と心理描写のミスマッチなどにより無残な作品しか残していませんが、戯曲においては近代日本文学でも傑出しています。
この『わが友ヒットラー』を思わせる事件が起きています。2017年8月18日、サラ・サンダース米ホワイトハウス報道官がスティーブ・バノン大統領首席戦略官の解任を発表します。彼はドナルド・トランプ大統領誕生の最大の貢献者の一人です。トランプ候補に「アメリカ・ファースト」のイデオロギーを吹きこんで支持層を広げ、民主党のヒラリー・クリントン候補に対する個人攻撃を指揮し、さまざまなスキャンダルも彼のコミュニケーション対応で乗り切っています。
そのポピュリズム革命の立役者がトランプ政権から追われたのですから、アメリカのみならず世界が驚いても不思議ではありません。しかし、だからこそ、バノン解任はトランプ政権の変化を世論に印象付けるには効果的とも言えます。
バノンは、保守系の雑誌『ウィークリー・スタンダード』の”The Trump Presidency That We Fought For, And Won, Is Over!”という記事でインタビューに応じています。これは解任発表の日にウェブ上で配信されています。彼はこの中で「わが友トランプ」への心情を語り、政権が金融資本を始めとする既成勢力に乗っ取られると批判しています。また、ホワイトハウスから離れても、各種の報道によると、「わが友トランプ」のために政権内部の敵に宣戦布告したと伝えられています。
今後トランプ政権がどうなっていくかは予測が困難です。トランプ・タワーでのアドリブ記者会見を見る限り、現実的統治にすんなり向かうとは考えられません。けれども、これは比較的はっきりしているでしょう。三島の『わが友ヒットラー』が描くように、おそらく「わが友トランプ」がバノンの思いを共有しているわけではないのです。
〈了〉
参照文献
三島由紀夫、『サド侯爵夫人・わが友ヒットラー』、新潮文庫、2003年
Peter J. Boyer, ‘Bannon: 'The Trump Presidency That We Fought For, and Won, Is Over.'’, “The Weekly Standard”, 6:18 PM, Aug 18, 2017
http://www.weeklystandard.com/bannon-the-trump-presidency-that-we-fought-for-and-won-is-over./article/2009355
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