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戦後70年の反戦文学に向けて(2)(2015)

第2章 力の均衡
 アリストテレスを始め多くの前近代の理論家は政治の目的を徳の実践としている。けれども、トマス・ホッブズは、宗教戦争の惨劇の経験を踏まえ、政治の目的を平和の実現とする。平和でなければ、徳の実践もおぼつかない。そのため、彼は政治と宗教を分離する。宗教戦争では自分の道徳の正しさに基づき、他の道徳を抹殺しようとする。彼は宗教を内面の問題、すなわち私的領域に位置づける。一方、政治は公的領域にある。政治と宗教は公私の区別として分けられる。

 近代国家はこのホッブズの理論を踏襲している。政教分離が原則で、公私は区別される。ちなみに、軍務は公的活動である。殉職した場合、彼らが追悼される儀式並びに施設は無宗教でなければならない。信仰の自由は内面の問題として保障されている。追悼に宗教が帯びているなら、それは政治が内面に立ち入ったことになる。追悼を司るのは政治家でなければならない。欧米の無名戦士の墓が無宗教であるのはそのためである。

 19世紀の欧州では力の均衡が国際政治の理論として受容されている。ナポレオン戦争は欧州全体を惨禍に巻きこんでいる。こうした大戦争を避けるには、突出した力を持つ国が出現しないようにする必要がある。それには同盟を結び、各国が共同してその動きを潰せばよい。同盟を柔軟に組み替えてパワー・バランスを維持し、ナポレオン戦争の再来を抑止する。大戦争を予防するためには小戦争もやむを得ない。これが力の均衡である。

 ホッブズが主張した通り、近代政治の目的は平和である。欧州の為政者もそれを踏まえている。ただ、は大戦争を予防するための小戦争は平和な状態と見なす。当時の欧州各国はほとんどが立憲君主制を採用し、その王族も親戚関係にある。政治的・経済的・社会的体制が関係国でまったく異なり、外交関係も制限されていた東西冷戦とは違う。力の均衡は類似した体制とさまざまな渉外トラフィックが前提である。

 欧州での戦争はこの理論に立脚して行われている。しかし、戦争は偶発的に起きる危険性がある。当時の欧州の為政者は戦争も外交の一手段と見なしている。けれども、戦争は必要な時だけ行われるべきで、それ以外は避けなければならない。そのため、彼らは工夫を凝らしている。例えば、イギリスとロシアはこれを避けるために緩衝国としてアフガニスタンをつくっている。英領インドとロシアが直接接触していては、ちょっとしたはずみで戦争が起きかねない。アフガニスタンは力の均衡によって生み出された人工国家である。

 力の均衡は欧州の外にも影響を及ぼしている。けれども、日清戦争はこの理論とは無関係である。朝鮮をめぐる日清の主導権争いが発端である。戦争は伝統的な華夷秩序を解体し、東アジアを国際関係の枠組みに組みこんでいる。東アジアは日清戦争を通じていち早く20世紀を迎えている。

 1900年、英国はロシアの南下政策への対抗の一環として日本と同盟を結ぶ。04年2月、満州の権益をめぐって日露戦争が勃発する。この戦争は中国などほとんどの戦場が第三国である。唯一の例外はロシア領のサハリンであるが、それは終戦直前であり、戦闘もたいして起きていない。

 日露戦争は力の均衡の限界が見始めた頃に起きている。この理論が破綻するのは第一次世界大戦である。欧州におけるパワー・バランスを維持するため、外交官と軍人が同盟を柔軟に組み替えてきたが、19世紀も進むと、状況が変化してくる。各国で国民の政治参加が拡大し、議会制民主主義発達する。政党は議会で多数派になるため、支持層を大きくしようとする。

 けれども、都市の商工業者と地方の大土地所有者や資本家と労働者など国内の有権者は利害対立する。そこで政党は国外に仮想敵を求め、それを攻撃して異なる翰林の有権者をまとめて自らの支持者にしようとする。好戦的ナショナリズムは外交の柔軟性を縛る。与党が他国にちょっとでも妥協すれば、野党と世論は弱腰と糾弾するので、外交は強硬姿勢をとらざるを得ず、同盟は硬直していく。オーストリアとセルビアの小戦争が同盟の連鎖によって欧州全体を巻きこむ大戦争へと発展する。力の均衡はかくして終わりを迎える。

 トルストイはこうした時代において戦争を絶対悪として糾弾する。1910年に亡くなった文豪の主張の意味を14年に始まる第一次世界大戦を通じて欧州の人々は痛感する。

 第一次世界大戦は戦場が膠着、消耗戦・補給戦・生産戦・封鎖戦となり、国家が総力を挙げた戦争へと発展する。近代官僚機構がフル稼働し、物資・人員・情報を管理統制、すべてを戦争遂行に注ぎこむ。もはや戦争は戦場で軍人が戦闘を行うだけではない。国家が力を総動員する総力戦である。

 機関銃や毒ガス、戦車、飛行機など破壊と殺戮の新兵器が戦場に次々と投入される。大戦は西洋近代文明への懐疑を人々に印象づける。科学に代表される近代文明は西洋人にとって世界のリーダーの根拠である。世界を未開から文明へと解放しなければならない。そうした信念は第一次世界大戦で打ち砕かれる。歴史上例を見ない大規模な破壊と殺戮をもたらした近代文明への楽観論は消え失せ、悲観論が社会を覆う。

 大戦後、国際社会は侵略戦争を違法とする。1928年、参戦国の間でパリ不戦条約が締結され、戦争は原則禁止される。大戦争予防のための小戦争が是認されることはない。文豪が述べたように、戦争は絶対悪である。参加しなかったスペインが1931年憲法に戦争放棄を書き入れる戦争放棄が成文憲法に位置付けられて史上初の事例である。現在日本を始め多くの国がこの条項を憲法に記している。


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